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T-34

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T-34とは第二次世界大戦におけるソ連軍の主力戦車である
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概要

1941年のドイツ軍によるソ連侵攻(バルバロッサ作戦)時より実戦に参加したソ連軍の中戦車。大戦中に最も大量に生産された戦車(57,000輌)である。

最初のモデルであるT-34/76は、高火力の76.2mm砲、避弾経始に優れた傾斜装甲、高性能ディーゼル・エンジンによる高速力と航続性能、接地圧の少ない幅広のキャタピラといった新機軸により、ドイツ軍をして『T-34ショック』と言わしめた。これはドイツ軍Ⅴ号戦車パンター)やⅥ号戦車B型(ティーガーⅡ)の設計にも強い影響を及ぼした。
1943年頃より砲塔を大型化し85mm砲を装備したT-34/85に生産が移行。圧倒的な生産数によりドイツ軍をベルリンまで押し戻した。

旧式ながら冷戦時代も東側諸国などに配備され、現在も一部で使用が続く。

攻撃性能

T-34/76
独ソ戦開戦当初に配備されていたT-34(1940年型)はL-11 30.5口径76.2mm戦車砲を搭載していたが、1941年型より長砲身化されたF-34 41.5口径76.2mm戦車砲に変更され、砲口初速と装甲貫通力が向上した。この砲はドイツ軍主力戦車のⅢ号戦車Ⅳ号戦車の装甲を1km先から貫徹する事が出来た。
しかし、1943年頃からドイツ側が配備し始めたⅤ号戦車やⅥ号戦車の前には能力不足であり、火力強化が必要となった。
初期の主砲は殆ど俯角が付けられず、背の低い対戦車砲や突撃砲に苦戦を強いられた。

砲弾:貫徹能力(距離/装甲)
BR-350A:100m/80mm 500m/70mm 1000m/63mm 1500m/58mm
BR-350B:100m/86mm 500m/75mm 1000m/68mm 1500/62mm
BR-350P(高速徹甲弾):100m/102mm 500m/92mm

T-34/85
Ⅴ号戦車やⅥ号戦車に対抗すべく、計画中止となったT-43から3人乗り砲塔が流用され、1943年型は52-K 55口径85mm高射砲を改造したD-5T 51.6口径85mm戦車砲、1944年型はZiS-S-53 54.6口径85mm戦車砲を搭載した。
強く要望されていた攻撃力の強化はこのT-34/85において一応の達成を見た。それでも尚、Ⅴ号戦車やⅥ号戦車に対しては不利だったが、Ⅳ号戦車に対しては依然有利だった。
練度の高い乗員と戦術的な条件が整えば、T-34/85でもⅤ号戦車やⅥ号戦車を撃破する事が出来た。1944年8月12日、オグレドゥ村(ポーランド)へ偵察に出たT-34/85(車長:アレクサンドル・オスキン中尉)は、Ⅵ号戦車B型3輌を単独で撃破した。

砲弾:貫徹能力(距離/装甲)
BR-365 :100m/119mm 500m/115m 1000m/105mm 1500m/100mm
BR-365K:100m/128mm 500m/118m 1000m/108mm 1500m/102mm
BR-365P:100m/167mm 500m/152m 1000m/140mm 1500m/110mm

いずれも直角90度の垂直装甲に直撃した場合の最低値である。
この性能は当時の標準的な戦車砲の中でも優秀である。

望遠照準器TMFDはアバディーン性能試験場(アメリカ)の試験官から「ドイツ製を除いて最高の性能」と評価された。
しかし、独ソ開戦から1943年10月までの間は照準器用ガラスの品質が低下し、命中弾を出す事が難しかった。レンドリースでガラス製造のための資源と機器を入手し、出征した熟練工を呼び戻し、ドイツ軍の装備を参考に望遠ジョイント式照準器TSh-16を開発するなどの努力が続けられ、戦争後半に入るとソ連製照準器の品質は著しく向上した。

T-34/85の砲塔の天井にはコピーしたヴィッカース戦車潜望鏡Mk.Ⅳが取り付けられ、戦車長は全周視界を得られるようになった。

防御性能

T-34最大の特徴は、その洗練された機能美とも言える傾斜装甲で、オチキスFCM36(フランス)を参考としている。
装甲を傾斜させる事により垂直装甲より実質的な厚みを増加させることができ、また、徹甲弾などの対戦車砲弾の運動エネルギーを分散させ、逸らして弾くことができる。

車体装甲
前面45mm:傾斜60°
側面45mm:傾斜50°
後面45mm:傾斜47°
上面20mm:傾斜なし

T-34の車体傾斜装甲は全方面に対して均一で、殆どの小型対戦車砲の攻撃を弾き返した。しかし、傾斜装甲の採用は車体容積を減らす事になり、乗員の居住性は犠牲にされていた。
パンツァーファウストなどの成形炸薬弾に対しては、鳥籠装甲(ケージ装甲)や随伴歩兵により対抗した。

砲塔装甲
前面90mm:曲面
側面75mm:傾斜20°
後面52mm:傾斜10°

当初は圧延鋼板の溶接型砲塔のみであったが、量産性の優れた鋳造製砲塔が主流となった。
第二次大戦当時、大型部品の鋳造技術に関してソ連はドイツより優れていたため、積極的に鋳造製砲塔が採用された。鋳造製の砲塔は圧延鍛造装甲より一割ほど硬度が劣る傾向があった。
砲弾が直撃する可能性の高い砲塔の前面には鋳巣(鋳物を作る時に出来る空洞)は無いが後部には許容するといった、目的的な品質マネジメントがなされている。
圧延鋼板の装甲部分は被弾時のホプキンソン効果により装甲内壁が剥離し、乗員を殺傷する例が、米英製戦車と比較して顕著であり、特に砲塔の乗員の死傷率が高かった。原因としては戦時下のニッケル不足や焼入れのバラつきなどが挙げられる。

機動性能

T-34のV-2型エンジンはフィアットの航空用ディーゼル・エンジンを元に開発された。
アルミ合金製の直接燃料噴射式液冷60°V型12気筒4バルブDOHC 38800ccで、最高出力は500ps/1800rpm。燃料消費率は170g/ps・hで、日本のディーゼル・エンジンがこのレベルに到達したのは1970年代である。
全体的にシンプルな作りだが、シリンダーヘッドなど重要な部分の工作は精密で、ウォーター・ポンプとオイル・ポンプを下端に置くなどアビュース性も配慮している。バンクの間にあるディストリビューターは寒冷時の始動用。
ドイツ側がT-34のコピーを検討した際、ネックになったのはエンジンのアルミ合金ブロックを作れない事と、搭載できる戦車砲が無かった事と言われる。

路面への追従性の高いクリスティー式サスペンションを用いた大型転輪と幅広い履帯は、接地圧が低いことから雪上や泥濘でも高い走破能力がある。

しかし、T-34は他のソ連製戦車同様に、トランスミッションに弱点を抱えていた。
シンプルで生産と整備が楽な反面、初期型のノンシンクロ4段変速型はギアチェンジが渋く操縦手を疲労させた。ハンマーでレバーを打ち込まないとギアが入らない事もあり、頻繁に無線手の手助けを必要とした。クラッチ接続のタイミングも難しく、迂闊な操作で破損することもあったが、後にシンクロメッシュ式5段変速となり改善された。
また、左右に細かく機動することは苦手だった。

製造効率・生産数

T-34の価格は1941年に27万ルーブルで、1945年にはほぼ半分の価格となった。
開戦時は全戦車の数%に過ぎなかったが、終戦時には55%を占めていた。
1945年末までに5万7000輌以上が作られた。戦後もしばらくソ連や東側諸国で生産が続き、8万4070輌が製造されたと推定される。この他にT-34ベースの自走砲13,170輌がある。
T-55の10万両には及ばないが、大戦中最も生産された戦車である。

戦歴

大戦中

T-34はしばしば独ソ戦におけるソビエト反撃の象徴とされる。
ドイツ軍兵士らは装備の劣ったソ連軍と戦うだけだと考えていたが、1941年夏にT-34が戦場に現れた事により精神的なショックを受けた。ドイツ歩兵部隊のPaK36 37mm対戦車砲はT-34の装甲を貫通できず、敵に自分の位置を知らせるだけの『ドア・ノッカー』と言われた。
だが、当時のソ連軍の戦車兵の練度はまだ低く、大粛清の影響から軍の指揮系統も壊滅していた。また、T-34には機械的な問題もあり、半分以上の喪失が故障によるものあった。

1942~1943年にかけて、T-34の生産台数は急増したが、生産能率を上げるための改善が行われただけで、改良はほぼ凍結されたままだった。欠点は認識されていたが、改良を行うと生産効率が下がるためスターリン書記長が許可しなかった。
圧倒的な数のT-34が戦場に現れ、重火器の必要性が増したドイツ軍は砲口初速の大きい PaK40 75mm対戦車砲を多数配置するようになった。さらには強力なⅤ号戦車やⅥ号戦車の投入もあったが、ソ連軍は質量ともにドイツ軍を圧倒するようになり、1945年、大祖国戦争はソ連の勝利に終わった。

大戦後

T-54が1950年に正式採用されるまで、T-34/85は主力戦車であり続け、世界各地で使用された。

  • 1950年の朝鮮戦争における北朝鮮軍の先鋒は、約120輌のT-34/85を装備した旅団であった。第一次侵攻部隊が韓国に入った後も続々とT-34が送り込まれ、M24軽戦車・M4中戦車・M26中戦車と戦った。北朝鮮軍の第105機甲旅団は、戦争初期には韓国軍の歩兵や、アメリカ軍のスミス支隊、M24軽戦車に対して劇的な勝利を収めている。しかし、航空機攻撃と3.5インチ・スーパー・バズーカ投入などにより、北朝鮮軍のT-34の進撃速度は鈍化していった。一連の戦闘で北朝鮮軍が大部分の戦車を失った一方、国連軍側には新しい装備が供給され続け、1950年8月になると形勢は国連軍に有利となった。9月15日の仁川上陸作戦によって補給路が断ち切られ、北朝鮮軍は退却を余儀なくされ、多くの戦車と重火器が放棄された。この時までに239輌のT-34と74輌のSU-76が失われた。
  • 朝鮮戦争が終結してから60年以上経った現在も、北朝鮮では未だにT-34が現役である。
  • 冬戦争継続戦争でソ連軍と激しい攻防を繰り広げたフィンランド軍は、ドイツ軍が戦時中に鹵獲したT-34を1960年まで使用していた。それらは、光学系兵装などをフィンランド及び西側の装備に換装していたため、元々のT-34よりも高性能だった。
  • 多くの東側諸国で採用され、1953年6月17日の東ドイツにおける蜂起や1956年のハンガリー動乱中東戦争ベトナム戦争、チェコ事件、ソマリア紛争、中越戦争で投入された。
  • 1974年のキプロス紛争では、キプロス国家守備隊がユーゴスラビアから供給された35輌のT-34/85を装備し、1974年7月15日の軍事クーデターに用いた。同月20日のトルコ軍のキプロス侵攻でもT-34が目撃されている。
  • ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の1995年5月、ボスニアのセルビア人がT-34/85を用いて国際連合保護下のイギリス軍部隊を攻撃。さらにコソボ紛争ではユーゴスラビア陸軍がT-34をNATOの空爆に対する囮として使用した。
  • レバノン内戦において、PLOやイスラム教左派民兵組織が運用し、また、一部のキリスト教民兵組織がイスラエルから供給されたM50スーパーシャーマン等と共に使用した。
  • イラク軍は1990年代初期までT-34を使用していた。
  • アンゴラやソマリアなどのいくつかのアフリカ諸国でも使用が確認されている。
  • 2011年に勃発したリビア内戦でも目撃例があるとのこと。

以上のように、T-34は兵器としての寿命が非常に長く、数多の紛争地域に出没した。そして、今も世界のどこかで戦い続けているのかもしれない。

登場作品

ガールズ&パンツァー

第8~10話にて、プラウダ高校がT-34/76とT-34/85を多数運用。全国大会準決勝において、主人公たちが所属する大洗女子学園を苦しめた。

宮崎駿の雑想ノート』シリーズ

「豚の虎」「泥まみれの虎」「ハンスの帰還」等で頻繁に登場。ただし、いずれも主人公がドイツ軍側であるためか、やられ役が多い。

関連タグ

戦車 ソ連 ソビエト連邦軍 北朝鮮 第二次世界大戦 東部戦線 独ソ戦 大祖国戦争 朝鮮戦争

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