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概要

ゲーム『ペルソナ3』を原作とした劇場アニメシリーズ「PERSONA3 THE MOVIE」における主人公の名称である。

CVは原作と同じ石田彰

容姿・来歴・ペルソナ能力など大まかな設定についてはキタローと同様だが、性格については劇場版独自の解釈・設定を織り込んだ、プレイヤーの分身ではない一人のキャラクターとして確立されている。


近年ではメディアミックスでもこの名前が使われることが増えてきている。本記事ではP3Mの結城理について解説する。


人物像

一人称は「俺」。

必要な時以外殆ど喋らない無口キャラ。感情の起伏が少なく、素で無気力症のような状態。

原型であるP3主人公からしてクールなイメージが根強いが、一章時点の結城理は一際無関心・無感情ぶりが強調されたキャラ付けがなされている。美鶴達が閲覧していたパーソナルデータには、10年前に両親が死亡した事故の前後で人が変わったようになったとの記述があり、幼少期の出来事が人格形成に大きな影響を及ぼしたことが示されている。

泣かないの?P3M


幼少期から現在までの人生で「怖い」「悲しい」「楽しい」「これがやりたい」「これは嫌だ」といった普遍的な感情すらまともに持ちえなかった結果、

  • 自分の中に湧きあがる感情が何かを理解できず、言語化して相手に伝えるのも不得意
  • 他人が感じている感情も理解できないため、悪気なく無神経な発言や行動をする
  • いざ理解しはじめると、楽しいと感じるもの・失いたくないと思ったものへの執着が強い
  • 度を越えたショッキングな出来事に対する耐性が低く、忌避感が強い

といった、普通の人とは異なる歪な精神構造を抱えるに至っている。


ペルソナ使いとしては原作同様の特別な力で優れた戦闘力を発揮する一方、#1~#4の各章においてメンタル面で何らかの問題に直面するのが特徴(ある意味他のS.E.E.S.メンバーと同様とも言える)。精神状態が安定している平時は屈託のない様子も見られるものの、一度心に傷を負うとなかなか立ち直れず、放課後や夜時間に一人物思いに沈む姿が印象的。


有り体に言えば、「何を考えているのか分かりにくい上、事あるごとに塞ぎ込んでは諸々に支障をきたし、皆からよく心配される困ったちゃん」であり、(プレイスタイルにもよるが)原作主人公の「物静かだが何事にも動じず、物事を淡々とやり遂げる、皆から頼られるリーダー」というイメージとはある意味正反対の、不器用で繊細な等身大の主人公として描かれている。無感情なようで感受性が強く、クールなようで傷つきやすい理が、何に対してなぜ苦悩し、どう向き合い変わっていくのかという心理描写が劇場版ストーリーの中核となっている。


#1における姿

ペルソナ3-新しい世界

「どうでもいい。死ぬって、そんなに怖いこと?」


異常現象である「影時間」の中でも顔色変えず一つ平然としており、シャドウの襲撃で死が迫っても「どうでもいい」と言わんばかりの態度でいるなど、感性・感情が非常に乏しい。馴れ馴れしい順平に困惑したり、困っている風花を助けたりと全くの無感情というわけでもないが、煽りにしか聞こえない天然ボケや空気の読めない行動も多く、お世辞にもできた人間とは言えない。

自分の死には無頓着な一方、10年前の体験から「目の前で誰かが死ぬ」ことには過敏であり、他人の死を意識すると普段の態度が嘘のように激しく動揺する。


流されるままに特別課外活動部へと参加するが、円滑なコミュニケーションを取ろうとする姿勢が見られず、確固たる目的意識や主体性にも乏しく、周囲の反応を意に介さない万事どうでもよさげな態度が更に神経を逆撫で…といった感じで仲間からの評判はよろしくなかった。

そんな理も、誰かのために必死になれるゆかり風花達を見て、「友達」や「仲間」とは何なのかを考える中で少しずつ変わり始めていく。ちなみに部活は剣道部に入ったらしい。


#2における姿

終わっちゃうのか

「みんなと一緒にいると、飽きない。こういうの…楽しいって…言うのかな」

「…もうすぐ、終わっちゃうんだな…」


仲間と過ごすうちに少しずつ「楽しい」という感情を抱いていく理。仲間と交流を深め、共にシャドウと戦う日々そのものが理の戦う理由となっていき、タルタロスへも自分から行きたいと言い出すほど。

しかし、ストレガタカヤが放った「影時間を消せばどうなる」という言葉から、「影時間を消せば仲間たちとの繋がりがなくなってしまう」ことに気付いてしまう。影時間が消えた後の平和な日々――それはシャドウとの戦いという充実を覚える時間も消え、無味乾燥な日常に戻ってしまうことを意味していた。


ようやく生きがいを見つけた理にとって、何もかもがどうでもよかった元の生活に戻ることは受け入れ難いものであり、戦いを続けるべきか迷いシャドウ討伐にも身が入らなくなっていく。世のために影時間を消したい仲間達と、自分のために消したくない理の温度差は激しく、皆とは違う感情を持ってしまう自分自身に理は苦悩する。

彼の中に生まれた迷いと執着は、第二章終盤において取り返しのつかない事態に繋がってしまう。


#3における姿

無題

「でも、いつか消えてくんだ。アイギスもきっと」

「違う…俺は! 俺はつながりから逃げたりしない!!」


大切な存在を失い自責と失意の底にいた理は、いつか来る仲間との離別を恐れるあまり、あれほど求めていた仲間との繋がりを否定するようになる。仲間と一緒に居たい、でも一緒に居れば居るほど別れが辛くなる――ジレンマに陥った理は心の整理が付かず、孤独に苛まれながらも仲間と距離を置くことを望む(望んでない)。豆腐メンタルとか言ってはいけない。


そんな理から拒絶されても理のために寄り添おうとするアイギス望月綾時の優しさ、また大切なものとの向き合い方を考えさせられる真田や順平の言葉に触れた理は、失うことから逃げるのをやめて再び人との繋がりに向き直る事を選ぶ。シャドウとの戦いが終わっても、皆との時間は楽しくかけがえのないものであると自覚した理の修学旅行でのハジケぶりは必見。


しかし第三部終盤で、彼は再び残酷な別れを経験する事となる。


#4における姿

次の春は

「もう考えたよ。俺はもっと生きていきたい。この世界を終わりになんてしたくないんだ。それがどんなに無理なことだとしても」

「…忘れない。たとえ失ったとしても、必ず取り戻す。みんなとの記憶を!」


友達だと思っていた少年から残酷な事実を告げられる理。以前なら「どうでもいい」で済ませていただろう絶望と恐怖が、今の理には重くのしかかる。

そんな折、ムーンライトブリッジで出会った女性に導かれ、彼は自分自身に問いかける。仲間と一緒にいる時間はなぜ充実していたのか?かつては感じなかった充実を今はなぜ感じられるようになったのか?

運命の日、彼が下した決断は…。


彼の想いが伝わるクライマックスは涙なしには観られないだろう。


発動したペルソナ

P3Mみてきたよ!

劇場版オリジナルの設定として「大型シャドウを倒すごとに対応するアルカナが解放され、そのアルカナのペルソナが使えるようになる」というものがある。

これは「コミュ育成に割く尺がない」という映画ならではの制約に対応した変更であるとのこと(オーディオコメンタリーでのプロデューサーの発言)。

ちなみにアルカナ1つにつき1体というわけではないらしく、同じアルカナから2種類を召喚している描写がある。また偶然なのか狙ったのか、鳴上悠が召喚したペルソナとほとんど被っておらず差別化ができている(共通するのはアラハバキとコウリュウのみ)。



余談

スタッフへのインタビューによると、制作段階では「結城理」ではない仮名で呼ばれており、監督の意向で「愛着の湧かない名前にしよう」ということで「山田月太郎(やまだげったろう)」と呼ばれていた。しかし制作も終盤に入ってこの名前がスタッフ内で定着してくると、むしろ月太郎の名前に愛着を感じてしまい、「もう月太郎でいいかも」とも考えかけたらしい。

もしそうなっていた場合、奇しくも彼の名前に『キタロー』の文字が入ったことになっただろう。

しかし、同じくペルソナ3 原案のアニメである、『ペルソナ〜トリニティ・ソウル〜』の主人公三兄弟の名前が全員「まこと」とも読めるため、プロデューサーである足立氏がこれは運命と称し、現在の名前に決定した。


関連イラスト

P3M#2憶えていて

見てきたWinter of Rebirth

キミの記憶 僕の証僕の証


関連タグ

ペルソナ3 P3M キタロー 有里湊

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