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俳句の編集履歴

2016-05-08 05:57:17 バージョン

俳句

はいく

日本語の定型詩。五・七・五の形式を基本とする。

俳句とは、五・七・五(それぞれの部分は上五・中七・下五と呼ばれる)から成る日本語の定型詩であり、世界最短の定型である。

俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。


概要

俳句は和歌短歌)を源流として、中世に栄えた連歌を経て、近世に発展した文芸である俳諧連歌、略して俳諧から生まれた近代文芸である。

形式の「五・七・五」は、集団作成する俳諧の最初のパートである「発句(ほっく)」に由来している。


日本詩歌の伝統をひきついで成立した俳句は、五・七・五の音数による言葉の調べ(韻律)と「季語」と「切れ」によって、短詩でありながら心のなかの場景(心象)を大きくひろげることができる特徴を持っている。

起源が発句であるため、句の内部で意味が完結してしまう句作は、一般にあまり望ましいものとは見られない。

内容には季節(正月)を含む「季語」を用いるのが基本である。旧来からあった季語は近畿地方基準であり、気候が異なる地域(北海道ブラジルなど)では、ローカルルールとして近畿地方基準の季語とは異なるものを採用している。


そもそも俳句とは、明治期に正岡子規らが俳諧の発句を独立させて生み出した文芸形式であるが、松尾芭蕉与謝蕪村小林一茶などの江戸時代の俳諧師の発句も、近代的視点から俳句とみなされることもある。


なお、大正期以降の近代俳句では、「人間探求」や「社会性」などの現代的なテーマを盛り込み、季語を用いず、五七五の定型を崩した作品も多く創作された。


今に至るまでの結社などのあり方と、俳句甲子園について

正岡子規の後継者となった高浜虚子が設立したホトトギス始め、数々の結社が今に至るまで生まれ、かつ無くなってきた。基本、従来の俳句結社は、結社の同人誌を買う所から師弟関係が始まる、金銭契約的な徒弟制度とでも呼ぶべきもので、閉鎖的な構造を内に抱え込んでしまっている。まず結社の発行誌を買うところから始めろ、というわけである。

 のみならず結社によっては、他の結社との交流をほとんど行わないところすら存在する。俳句に熱心な県と思われている愛媛県においてすら、今世紀に至るまで県内各結社同士の仲は極めて険悪であった(そのため、かつてNHK松山で収録され、NHKBSで放送されていた「俳句王国」という番組の収録においては、結社同士を取り扱う上で上下関係が発生しないようにするなど、番組製作者の村重氏はかなり難渋な条件を強いられたという。同番組にかかわった夏井いつき氏らの証言はこちら)。

 これでは俳句を気軽に楽しめず、俳句人口も増えない。だが、その当の愛媛県で、とあるイベントが始まる。何とか若い人も俳句を気軽に楽しめるようにならないかという夏井いつき氏の長らくの懸案と、俳句関係でイベントをやりたいと思っていた松山青年会議所との思惑が一致、1998年に松山市において、第一回俳句甲子園が開催される。最初こそ参加校も少なかったが、この句合わせの競技形式を面白く思った人々が、次第に参加し始める。そしてついには神野紗希佐藤文香の両氏など、この大会出身者のうちから本格的な俳人になる人たちも出始めてきた。

 金銭契約や内閉的な結社に関係なく誰もが俳句を楽しめ、また上達できるようになるための俳句環境を作ったという点で、間違いなく俳句甲子園および夏井氏、松山青年会議所の功績は出色である。だがそれを認めたくない向きも松山市内には潜伏していた。


海南タイムズの、俳句甲子園に対する中傷記事

 それは2010年に起こる。県内の事を主に扱う経済誌・海南タイムズが俳句甲子園に対し、全く見当違いな記事を掲載した(それに関する夏井いつき氏ブログ記事のURLはこちら)。

本来は経済紙である海南タイムズがなぜこんな記事を出したかは不明だが、夏井氏がかつてある結社に所属していた頃、その結社の重鎮とされる人物と意見の食い違いが発生し、議論になった際、松山市中の句会などから村八分にされたことがあった。その際から夏井氏を快く思っていなかった勢力が、現在の俳句甲子園の隆盛ぶりを見、横槍を入れてきたのではないかと、一部では言われている。

 実際、夏井氏の句会に出入りしている人がある俳句の賞を受賞した際、撰者らと語る席において夏井氏の句会にいることを言ったら、全員の態度が急に冷たくなったとの話もある。この中傷記事関係は、俳句界隈の従来の閉鎖的な構造が端的に表れた一例であろう。


著名な俳人らの思想傾向の偏り

また、俳句界隈の閉鎖的な在り方は、俳人らの思想傾向にもある程度表れている。短歌であれば右派の雑誌「正論」にも記事を掲載していた福島泰樹氏が右派的な歌人として存在するが、こと俳句に関しては、右派的な立ち位置を示す俳人はネット上で確認する限り、絶無である。

 逆に、左傾的な立ち位置を示す俳人は枚挙にいとまがない。東京新聞でいとうせいこう氏と集団的自衛権について反対の主張を示す俳句企画を行っていた金子兜太氏しかり、ネット上で俳句記事を連載する週刊俳句連載者の関悦史氏も集団的自衛権を、戦争惹起と絡めて語る典型的な左派の論法で語っていたことがあった。またその件の週刊俳句関係者の中にも、左派的な人物がいる模様である。百歳越えの俳人・金原まさ子さんのインタビューにかこつけ、自分の個人名を週刊俳句の看板に隠しつつ左派的な言説を当然の如く語ることも、自然に行われる始末。

 ほかにも、反戦の名を借りて自らの句集などで日本の防衛環境の充実を危惧する俳人は少なくないが、どの人々も、昨今の中国の軍事拡大には、奇妙に全く反対の声明をお出しにならない。俳句にまつわる関係者全員が申し合わせてこんなことになっているわけではなかろうが、これは俳壇の不思議である。


表記上の注意

よくNHK俳句などのテレビ番組では横長画面に句を配置するため、

上五・中七・下五をそれぞれ縦書きにし、右から左へ三行に並べて表示していることが多い。

だが本来は縦一行で、上から下まで切れ目なく書くのが、基本的な正しい俳句の表記である。


「分かち書き」について

本来分かち書きというものは、上五・中七・下五のそれぞれの間に空白を入れ、

句の中で空白を演出として使いたい場合に用いる、特殊な表記法である。

だが上五・中七・下五それぞれを別のものとして見せてしまうテレビ的表示の弊害か、

その三つの間に空白を入れた表記を、正しい俳句の表記法と思い込んでいる人が多々存在する。

ひどい場合、俳句大会の主催者側がそう思い込んで、全ての入賞句をそう表示してしまっている例もある。その一例

それなりの俳人も関わっているであろう大会でこのようなことがある場合、

分かち書き表記を訂正させない俳人がいかほどの水準の俳人であるかは、推して知るべきであろう。

また、大会のみならず特定地域の俳人らの協会が主催する子供向けの俳句教室的なイベントでも、

子供達に分かち書きについて詳細を教えない俳人が、しばしば見受けられる。結果、

その俳句教室で出来た作品の展示において、分かち書きが訂正されないまま展示される。

件の俳人らは、俳句の素人の子供たちを馬鹿にしているのであろうか?

なお俳句甲子園の地区予選等における足切りとして、

作品を分かち書き表記で提出した学校はバッサリ切られることになっている。


関連イラスト

俳句を書いた作品、作品に俳句を折り込んだもの、ただ単に五・七・五を使っただけのものと様々である。

【タイバニで】鳴かぬなら~ホトトギス【一句】ウォーターメロン・スマッシュ

書その2ヤマメ


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 和歌 短歌 連歌 俳諧

  川柳

正岡子規 夏目漱石 高浜虚子 河東碧梧桐 種田山頭火

夏井いつき 俳句甲子園 松山市

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