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ヤマイチの編集履歴

2023-12-13 15:27:11 バージョン

ヤマイチ

やまいち

ヤマイチとは、1951年産まれの競走馬。母に最強馬とも名高いクリフジと、父はそのクリフジに最も近い着差に迫ったトシシロ。母の出走が叶わなかった桜花賞に勝利し、史上4頭目の二冠牝馬となった。また、史上唯一の母娘二代での二冠牝馬である。優秀な成績を残した一方で、二冠牝馬として唯一最優秀3歳牝馬に選ばれていない馬でもある。

プロフィール

競走馬名ヤマイチ
繁殖名朝藤(母親の幼名からの連想)
生年月日1951年4月4日
没年1966年
性別
毛色栗毛
トシシロ
年藤
母の父ダイオライト
生産下総御料牧場
調教師尾形藤吉
競走成績30戦5勝
獲得賞金486万7000円

概要

1951年産まれの競走馬。母や兄弟と同じく下総御料牧場にて生を受ける。

馬主はあの「幻の馬」とも謳われた母に次ぐ無敗記録を持つ名馬「トキノミノル」を所有した永田雅一氏。ヤマイチの弟であり春天2着やその他毎日王冠、スプリングS、東京盃、金杯、スプリングHなど数々の重賞で2着となったホマレモン等を所有している。

クリフジは戦前の名牝で、その戦績は驚異の11戦11勝。日本の中央競馬における無敗の最高記録を80年保持している名牝である。

トシシロ下総御料牧場の基礎輸入牝馬の1頭である星旗の娘であり、第57回帝室御賞典の勝ち馬であるクレオパトラトマス(繁殖名月城)を母に持つ良血馬である。母クリフジはその無敗記録に加え、大きな着差で勝利する事が殆どだったが、彼女の記録の中で最小着差である1馬身にこのトシシロが迫っている。

母父ダイオライトは言わずと知れた名種牡馬で、史上初の三冠馬セントライトやクリフジのデビュー前であった皐月賞の勝ち馬ダイヱレク、クリフジ不在の帝室御賞典にて勝利したヒロサクラ、55戦もの激戦を走りぬき、繁殖牝馬としても活躍した史上2頭目の皐月賞牝馬ヒデヒカリ等数えきれない程の名馬を輩出し、日本競馬黎明期の土台を支えた。


そんな一流も一流、当時にしても今にしてもこれ以上の良血統を探し出す事がほとんど不可能な程の良血統に産まれたヤマイチ。

その期待に応え、母の出走が叶わなかった桜花賞にて勝利を収め、またオークスでは6馬身の差をつけ、母を思わせる大楽勝を収めている。

続く三冠目最後の砦である菊花賞では、3着と好走。1着馬は母やカブラヤオートサミドリらと並ぶ中央競馬における最多連勝記録タイの名馬ダイナナホウシユウだった。因みにこの時紅一点で出走していた彼女は「走る精密機械」と謳われたタカオーやゴールデンウエーブに先着している。尚2着は祖母に種正を持つミネマサという馬だった。上記の馬たちを差し置いてこの菊花賞でも一番人気に選ばれている。


その後は重賞に勝利する事は無かったが、何度か勝利を収めている。この年のダービー馬ゴールデンウエーブとは対戦する事が多く、実に8回もの対戦経験がある。1955年4月に行われた特別ハンデではオークス馬とダービー馬がワンツーフィニッシュ、それもクビ差の接戦という珍しいレースだった。(1着がゴールデンウエーブ、2着がヤマイチ)


その後何度か掲示板入りをし、1955年の12月4日のレースを最後に引退。「朝藤」の名で繁殖入りした。繁殖入り後は産駒を三頭出産した。1980年代頃まではヤマイチの牝系も確認できたが、現在は残念ながら途絶えている。

その後は母が亡くなった2年後の1966年に夭逝した。享年15歳。

その時期と前後してトキツカゼが、前年にはセントライトが、更に一昨年にはクリフジが亡くなっており、次々と大物が世を去った時期でもあった。


母とは違い安定感があると言えない戦績だったせいなのか、全30戦中1番人気に押されたのは5回しかない。(桜花賞では1番人気で勝利している。)


2023年現在でも、「母と娘二代で二冠を達成する」という偉業を成し遂げたのはこのクリフジ・ヤマイチ母娘のみである。それに加え、史上初の母娘オークス制覇者でもある。この親子の他に母娘オークス制覇を成し遂げたのはダイナカールエアグルーヴ母娘しかいない。


関連タグ

クリフジ

二冠馬

菊花賞

下総御料牧場

桜花賞

優駿牝馬

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