三池鉄道は、かつて福岡県大牟田市と熊本県荒尾市に跨って敷かれていた産業用鉄道の通称。地元では炭鉱電車と呼ばれていた。
三井三池炭鉱から産出される石炭の搬出のために敷設されたもので、運用者は数回変わったものの一貫して三井系であった。
2020年に最後まで残った区間が廃止された。
概要
福岡県大牟田市と熊本県荒尾市に跨る三池炭鉱は江戸時代から採掘が行われていた歴史ある炭鉱で、明治維新後しばらくは官営であったが、1888年に三井財閥に払い下げられた。
石炭の搬出のための本格的な鉄道が敷かれたのは1891年で、福岡県側の七浦坑から北西にある海岸(三池浜→後の大牟田港)に向かう線路が敷設された。
鉄道の開業後、三池港の本格的な整備などを経て、最終的に三池港の北の工業地帯(先述の三池浜のあたり)から鹿児島本線大牟田駅の北側を通り、宮浦駅、宮原、万田の各坑を経由して再び鹿児島本線と交差し三池港に向かう逆C字状となって、ここから数本の支線が繋がる格好となった。
開業当初は蒸気機関車が使用されていたが、明治時代末には電化された。
沿線には炭鉱関連の施設のほか、工場や石炭火力発電所があり、各坑から産出された石炭の搬出のみならずそれらの施設への物資や、従業員の輸送も行っていた。
鹿児島本線とは北側で大牟田駅の北にあった旭町駅(仮屋川操車場)、南側は荒尾駅に至る連絡線で結ばれていた。ただし、荒尾駅への連絡線は17年ほどしか使われていなかったようである。
最後まで残った区間は宮浦~旭町駅(仮屋川)間で、JR線から宮浦駅の傍にある三井化学大牟田工場に向かう貨物列車が運行されていた。
車両
開業当初は蒸気機関車が使用されていたが、電化とともに米GE製の15t電気機関車が導入され、次いで独シーメンス製20t機、これを参考にした国産機(三菱造船製)、1936年には最も大型の東芝製45t機が導入された。
この他に第二次世界大戦後には従業員とその家族を運ぶための客車が導入された。木造客車の資材を流用して製作された車両と国鉄63系の付随車と同等の車両が使用されていた。
宮浦駅横の三井化学大牟田工場では引火性が強い物質を扱う区域があったため、20t機関車に蓄電池車を繋いで運転されていた。
廃止
三池炭鉱は国内の炭鉱としては比較的遅くまで操業していたが、1997年に閉山。
これに伴い先に述べた三井化学向けを除く大部分が廃止された。
廃止後
再開発や道路の整備などで痕跡が失われた区間もあるが、多くの区間で廃線後の用地にパイプラインの敷設などが行われたため、結果的に比較的原型を留めた軌道跡が長い区間にわたって残っている。
福岡県側の県道3号(大牟田植木線)より南側から三池港にかけての廃線跡は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された。
開業直後から使用された蒸気機関車は現存しないが、電気機関車は三池港そばの三川坑跡の資料館に保存されている。
最後まで使用されていた機関車のうち、20t機が荒尾市内で動態保存される予定。