おことわり
俳優の佐藤佑介は少なくとも二人いる(1959年生まれと1982年生まれ。後者は『アストロ球団』の高雄球六等を演じた)が、こちらでは1959年生まれの佐藤佑介を取りあげる。
概要
東京都新宿区出身、1959年7月3日生まれ。詳細は後述するが、生死は不明。兄が二人いる。東京都立代々木高等学校卒業。かつてはサンミュージックに所属。
既述の通り、同姓同名の俳優(1982年生の佐藤佑介。現在は引退)がいるため、しばしば出演歴が混同されて記載される場合がある。
デビューしてから
1972年に新宿紀伊国屋に買い物に出掛けた際にCMディレクターの杉山登志に見出され、同年、資生堂のTVCMでデビュー。当時は美少年として注目されていた。俳優デビューはサンミュージックに所属した1974年から。当初は、青春を描いた映画やテレビドラマに多数出演し秋吉久美子や原田美枝子、桜田淳子などの相手役を務めた。その後は、大岡越前にレギュラー出演するなど、時代劇の映画や舞台で活動。
不明瞭な後半生
しかし、1990年代後半に芸能活動を休止。 1992年にインテリアデザイナーと結婚したのは「日本映画人名事典・男優篇」(1996年)にも掲載されており確からしいが、その後離婚して別の人と再婚したとも言われる。
2008年かその翌年か、東京ビッグサイトのイベント片付け現場で目撃したという方のブログ(下部にリンクあり)を最後に、ネット上からの目撃情報は途絶える。ウィキペディアでは2010年頃に亡くなったとの情報を項目編緝にて提供した人もいるが、定かではない。
ウィキペディアに寄せられた未確認情報など
- 1997年に芸能活動を突然引退、同年再婚。相手は元女優の天見啓子(あまみけいこ、本名:鈴木淳子。横須賀市出身)国家公務員(旧郵政省)から女優へ転身、森田健作氏のかつての映画製作会社森田フィルムズに所属。その後は参議院議員秘書等。書道家。現在は旧姓の鈴木に戻っている。
- 引退後はイベント会場の設営などの仕事をしていた。
- 2010年(または2009年)に都内の病院にて病死。葬儀は神奈川県横須賀市の菩提寺で執り行われた。本人の生前の希望により、亡くなったことを公表していなかった。
主な出演作品
映画
テレビドラマ
- 青葉繁れる(1974年、TBS)
- 明日がござる(1975年 - 1976年、TBS)
- おんな太閤記(1981年、NHK大河ドラマ)
- 必殺仕事人
- 水戸黄門 第15部、第18部、第19部、第20部(2回)、第21部(2回)、第22部、第23部(2回)
但し書きがない部は一回出演。
- 大岡越前 第9部〜第14部(1985年 - 1996年、TBS / C.A.L) 立花喬之助 役
- 暴れん坊将軍II SP「勅使下向、天下を賭けた江戸っ子神輿!」(1985年、ANB / 東映) - 清二郎 役
- 江戸を斬るVII
- 名奉行 遠山の金さん
- ウルトラマンダイナ 第14話「月に眠る覇王」(1997年12月6日、MBS / 円谷プロ) - シマダ研究員 役
CM
- 資生堂 シフォネット オートマスカラ 「影も形も・軽井沢」 (1973年)
- 同 シフォネット パウダーアイシャドウ 「影も形も・図書館」 (1973年)下に動画あり
- カンコー学生服
- ハウス食品 シャンメン 「私作る人、僕食べる人」 (1975年) ※このCM内のセリフを性の役割云々と槍玉に挙げる人もいた。
関連動画
シフォネット パウダーアイシャドウ 「影も形も・図書館」
未確認情報などもまとめた解説的動画
外部リンク
ウィキペディア「佐藤佑介(1959年生)」 本記事はここからの転載多し。ここ以外、もしくは電子化されていない資料に基づく本項への加筆を強く望みます。特に、亡くなられたことの真偽に関する情報源を歓迎
佐藤佑介氏を発見したという方のブログ ※個人ブログ