概要
米西関係(べいせいかんけい、英語:Spain–United States relations、スペイン語:Relaciones entre España y Estados Unidos)は、アメリカ合衆国とスペインの国際関係の事である。両国関係の困難な歴史は、「愛と憎しみ」の1つと見なされてきた。スペインはNATOによってアメリカと緊密な同盟関係にあり、現在アメリカはスペイン国内に2箇所の軍事基地(ロタ海軍基地とモロン空軍基地)を維持している一方で、スペインはアメリカ国内にそれを保有していない。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
---|---|---|---|---|
アメリカ合衆国 | 大統領制 連邦共和国 | ジョー・バイデン | 962万9091平方キロメートル | 3億3328万7557人(2022年7月) |
スペイン | 議院内閣制 立憲君主国 | ペドロ・サンチェス | 50万5944平方キロメートル | 4761万5034人(2022年7月) |
歴史
1783年2月に外交関係を樹立し、同月にウィリアム・カーマイケルが駐スペイン大使となった。1775年4月に発生したアメリカ独立戦争では、スペインはフランスと共にイギリスに宣戦布告し、この戦争でアメリカに物資と弾薬を提供した。1783年3月にスペインはアメリカの独立を暗黙の内に承認し、同年9月にパリ条約が締結されて独立戦争は終結した。
1898年4月に米西戦争が発生し、同年8月にアメリカはスペインを破って勝利した。この戦争でスペインは植民地を喪失した事で国力が低下し、新興国のアメリカに呆気無く敗北した事もあって、ヨーロッパでの国際的な地位・発言力を同時に失った。同年12月に形式上の平和条約であるパリ条約が締結され、アメリカはキューバ・プエルトリコ・グアム・フィリピンを獲得した。
1936年7月に勃発したスペイン内戦ではアメリカは中立を維持し、どちらの側にも武器の販売を禁止した。アメリカ議会はほぼ満場一致で禁輸措置を支持し、フランクリン・ルーズベルトは静かに左派の共和派を支持した。しかしアメリカのカトリック教徒からの強い圧力によって、ルーズベルトは中立の維持を余儀無くされた。スペインはナチス・ドイツとの関係にも係わらず、1939年9月に発生した第2次世界大戦では慎重に中立を維持していた。
1945年9月に第2次世界大戦が終結すると共に、スペインは国際社会からの孤立による経済的影響に苦しんだ。スペインは主にフランスの共産主義分子によって、国際連合への加盟を阻止された。アメリカは1947年3月以降のソ連に対する冷戦において、戦略的に位置付けられた同盟国としてスペインを必要としていた。スペインのNATO(北大西洋条約機構)への加盟は、1975年11月にフランシスコ・フランコが死去した後、民主主義に移行した後の1982年5月に実行された。
2008年11月にバラク・オバマが大統領に選出されてから3日後、オバマはサパテーロからの短い電話で祝福された。2009年2月にミゲル・アンヘル・モラティノスはヒラリー・クリントンと会談し、モラティノスは記者団に対して「司法条件が受け入れられるという条件で、スペインはグアンタナモ湾の収容所から何人かの囚人を連れて行く用意がある。」と語った。
2018年6月にフェリペ6世とジョセップ・ボレルがアメリカを公式訪問し、彼らはドナルド・トランプに会った一方で、ボレルはマイク・ポンペオと会談した。2022年6月にバイデンとサンチェスがラ・モンクロアで会談した後、両国関係を強化する為の共同宣言(2001年1月の共同宣言を更新)が発表された。バイデンはスペインを「不可欠な同盟国」と表現し、「私たちの素晴らしい友情が、私たちを強力な同盟国にしている。」と強調した。