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飯塚幸三

いいづかこうぞう

飯塚幸三とは、元高級官僚である。交通事故加害者としての面が特に有名。
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半生

1931年、東京都中野区で出生。
1939年に第二次世界大戦が勃発した際、飯塚自身は疎開や工場動員こそ免れたものの自宅が焼失している。1945年の終戦後、理科好きの少年であった飯塚は勉学に励み続け後に東京大学理科一類に合格。在学中は工学部応用物理学科(計測工学専修)を選択。卒業研究では日置隆一教授の下で位相差顕微鏡のカラー化に関連するテーマに取り組む。

1953年、東京大学を卒業し通産省(現在の経済産業省)に入省。同省が主管する工学技術院中央計量検定所(現在の産業技術総合研究所計測標準総合センター)に入所。以降は国内の機械産業や鉄鋼業で用いられる「硬さ標準」の研究に邁進。1986年、工業技術院院長に就任。
後に日本計量振興協会会長、株式会社クボタ常務取締役などを歴任し、2015年には瑞宝章(瑞宝重光章)を叙勲している。

交通事故


2019年4月当時、彼は87歳の老齢かつ無職であった(しかも足が悪く、医者に車は運転しない方が良いと言われていたらしい。)が、彼は予約していた飲食店へ急いでいた。故に池袋の都道を時速100km近いスピードで走行し歩行者を次々と撥ねてしまう。結果、彼本人と同乗の妻を含む10人が怪我、無関係の母娘2人が死亡する大事故となった。
この事件は被害者遺族の心に一生消えることはない深い傷を刻み付け、平成最後にして令和最初の時代にあまりに大きく痛々しい爪痕を残した。

あれだけの大惨事を大衆の面前で引き起こしておきながら、当初こそは上記のように過去の経歴やあまりに老齢という立場から「長時間の勾留には耐えられない」として、事情聴取や家宅捜査などはあっても警察には逮捕すらされていなかったが、紆余曲折あって同年11月、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で、書類送検された。

そして2020年10月8日、ついに初公判が行われた。

裁判において飯塚は一応の平謝りこそすれ罪状に関して「アクセルを踏んでいた記憶はない。車の何らかの異常が原因で暴走した。」と悪びれもせずに完全無罪を主張。

要は、「ワシは悪くない。乗ってた車が不調なのが悪い」と言っているのである。

なお、車にはアクセルを踏み続けた記録が残っており、この主張は完全に誤りであるといえる。

TOYOTAと車検会社は訴えていい。


また、検察側が遺族男性の調書を読み上げている最中に爆睡するなど、もはや高齢者以前の問題行動をしている。


経歴以前に、未来ある子供の命まで奪われているというのに「年寄りだから」なんだというのだろうか。


同時期に行われた、88歳男性が運転中に意識を失い女子高校生2人を死傷させた事件の裁判で、無罪判決を受けた被告側が控訴して有罪を求めるという事象が発生し、より飯塚の悪質性を際立たせる事となった。


そうして2020年12月14日に行われた公判で「乗用車は10年以上前に購入した」「経年劣化し、電子部品にトラブルが起きてブレーキが作動しなかった」として無罪を主張。
車検制度と言うモノを知っているのだろうか。

そして2021年2月、遺族が民事賠償請求を起こす。刑事裁判で係争中に民事訴訟を起こすのは異例のことだが、刑事裁判が長引くと予想される為に訴訟。
それに対して、飯塚側は請求棄却を求めた。
要するにびた一文たりとも払うつもりなどないということである。

さらに本人の証言で「パーキンソン病の疑い有りと医師に言われたが返納は考えなかった
タクシーや公共交通機関は不便」と言ったことが判明した。

被害者の冥福を祈りはするが、決して自分の非は認めず、矛盾だらけの証言をする元高級官僚。それが飯塚幸三である。

遺族である男性をして「人として、人間として最低」と言わしめた人物である。

こうした凄惨極まりない事件の結果、免許を返納する老人が続出するなど社会的影響が非常に大きく残る事件となった。

なお、事件直後からWikipediaが編集不能になり事故関連の記載の一切が削除されるという珍事も発生した。

関連タグ

学者 勲章
半天狗 パワー(チェンソーマン)
事実陳列罪

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