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ZX-RR

ぜっとえっくすあーるあーる

川崎重工業が2002~2009年にかけてMotoGP(ロードレース世界選手権)に参戦する際に製造したバイク。
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生まれた経緯

このバイクが生まれた経緯は、2002年にこれまでの2ストローク500ccクラスから、4ストローク990ccのバイクを用いたクラス、MotoGPクラスが新設された事を受けて、カワサキのスーパースポーツバイクが売れてない事による不振を解消しようとして、このバイクが生まれた。


最初期型(2002年式)

こうして生まれたカワサキZX-RRだけど、当初はスズキと資本提携とかを結んでおり、自分達のバイクをスズキにOEM供給していたりした。その為、スズキとの合同チームで参戦しようとして計画していたが、それではスズキ主導になってしまう為、カワサキはカワサキらしく行こうと決めて、純カワサキワークスとして参戦を表明した。そしてマシンも出来上がり、全日本ロードレース選手権という、日本最高峰のバイクレースにあった「エクスペリメンタル・クラス」という、MotoGPマシンをそのまま走らせる事が出来る、所謂「プロトタイプクラス」に柳川明選手と共に、スポット参戦とかをしていた。そして迎えた、MotoGP第13戦パシフィックGP。舞台はツインリンクもてぎ。そこに現れた、1台のライムグリーンのマシン。それこそまさにカワサキZX-RRである。結果としては、オイル漏れを起こして転倒リタイア。柳川明選手も骨折という何とも後味が悪い結末に。そして、これがトリガーとなって翌年大迷走をする事になるとは、この時はまだ、誰も知る由もない。この時のマシンのスペックは、全日本ロードレース選手権仕様とMotoGP仕様でかなり違っている。まずは、全日本仕様だと燃料供給装置がケーヒン製(現アステモ)のキャブレターでMotoGP仕様がFCR-Iと呼ばれる、レース用キャブレターとしても人気があるFCRキャブレターとフューエルインジェクションの良いとこ取りをしたものを使っていたが、これまたなかなかの曲者で、かなりシビアなセッティングを要求される事になったとか。そしてエンジンは、スーパーバイク世界選手権で活躍しているZX-7RR用の750cc4気筒を240ccボアアップした物を2005年まで使っている。


世界の壁の高さ(2003年型)

昨年のほろ苦いデビュー戦から、カワサキワークスは、前年型ベースで開発作業を続けていた。そして生まれた2003年型。この年からカワサキは、このクラスにフル参戦。ライダーもかなりのライダーを招集した。が、結果としては昨年型に少し毛が生えた程度の出来であり、所謂「駄作」を作っていたのだ。だけど結果としては、少しづつ改善していき、ポイント圏内を走る事もしばしばあったが、それでもまだ水準に達してないのは否めなかった。そしてシーズン終了後のテストで、ブリジストンタイヤを装着してみた所、2秒近くタイムが縮まったという事は、単にマシンだけの問題ではなくて、タイヤの問題でもあったというのも分かる。結論から言うと、タイヤに振り回されていただけである。でもこの型はFCR-i特有のシビアなセッティングと過度特製に難があり、4輪で言う「ドッカンターボ」、2輪で言う「ドン突き」という、パワーの出方があまりにもピーキー過ぎて扱いにくいという事もあり、2ストロークマシンより、かなりタチ悪い性格だったとか。でもダンロップもこの時は、カワサキオンリーだった為、データ不足は避けられない問題だった。


ヤマハからの刺客、そして覚醒。(2004年型)

昨年の大迷走から迎えた翌年。カワサキは、ヤマハからとある日本人ライダーを迎え入れた。そのライダーというのは、未だ、あの甘いマスクで多くの女性ファンをメロメロにしている、「王子」こと、中野真矢選手である。本人曰く「YZR-M1のウィークポイントをいくら指摘して、改善して欲しいと要求しても後回しにされまくって、嫌気がさして来て、カワサキに行けば自分の思う通りにマシンを作れる。」という、かなり衝撃的な理由であり、これにはメディアも大騒ぎ。「ヤマハの秘蔵っ子カワサキに電撃移籍!?」という見出しの記事も多かったとか。マシンもこの型から、かなりスタイリッシュになり、角張ってた所も丸くなっていたりとフルモデルチェンジをした。そして1番のポイントは、シーズン途中で上記の欠点を持っているケーヒンFCR-iと決別した事だ。ECUもマレリ社のやつを採用したり、バタフライバルブスロットルを採用したりと、かなり扱い易い性格に様変わりした。そして排気系も、サイレンサーレスの所謂「直管」の4-2-1右出しショートスラッシュカットメガホンマフラーという、とてつもなく良い音出す割に、めちゃくちゃうるさいマフラーを採用したりしている。ちなみに中野選手のマシンは1本出しだがチームメイトのジョン・ポプキンス選手のマシンは2本出しと双方のマシンも違ってたりしている。タイヤも、これまでのダンロップからブリジストンにスイッチ。そしてこの年、中野選手が日本と中国で2度の表彰台を獲得。昨年から大躍進を果たした。


昨年と似て非なる物(2005年型)

昨年の大躍進から、カワサキも波に乗り始めてノリノリに。この年はエンジン自体もアップデートしまくって、ホンダの変態バイク「RC211V」にも負けないトラクション性能を手に入れていて着実に戦闘力を強化している。この年こそ中野さんは、表彰台こそ無かったがシングルフィニッシュを重ねたり、怪我で欠場したジョン選手の代役で急遽抜擢された、オリビエ・ジャック選手は、かつて中野さんとコンビを組んだりしていて、2000年のWGP250ccクラス最終戦での激闘は、今も語り草になっている程のライダーだ。そんなオリビエ選手は、雨の中開催された中国GPで復帰戦ながら、いきなりカワサキの最高位を更新する2位を獲得したりと話題尽くしだった。


新生ZX-RR(2006年型。)

カワサキはこの年、かなりデカい決断を下した。それは、来年の規定が大きく変わる為、このシーズンの為だけに新たにエンジンを作る事にした。そしてこのエンジンは、昨年型までのZX-7RRベースではなくて、1から自分達で手がけたエンジンである。これがカワサキにとって初の純レース用エンジンである。そして戦闘力もかなりの物に仕上がっており、予選でポールポジション争いは当たり前、首位独走も当たり前のマシンになったがツキに恵まれずこれも2位止まり。だけど両者の転倒やリタイアが尾を引きランキングは2桁と低迷。そしてこの時から、ZX-RRに余命2年という宣告が告げられているとは、この時、まだ皆知る由もなかった。


ダウンサイジングNinja(2007年型)

MotoGPは、この年から排気量を990ccから190ccダウンサイジングした800ccという、これまた中途半端な排気量を上限として、最高速低下を図り安全性を向上させようとしていたが、この規定がメーカー達の闘争心に火をつける事になるとは…。勿論カワサキもこれに合わせてニューマシンを投入。エンジンも最大で20000rpmを許容範囲にしている、超高回転超高出力エンジンを投入してるけど、燃費面を考慮して18800rpmを上限にしている。そして音もよりF1に近い音に変貌していた。この年も最高位は2位止まり。というよりこの年の規定上、いかにエンジンをぶん回すかもカギになっていて、超高回転化は避けられなかったとか。


カワサキワークス・ラストNinja(2008年型)

昨年からカワサキワークスは、完全なニューマシンを投入しないと公言していた事から、昨年の改良型で応戦する事を決めていた。エンジンも更なる高回転化が進み990cc時代を超えるパワーを手に入れていたが燃費面を考慮して18800rpmを上限にしている。実際2万近くまで回せば990ccを楽に超えるパワーが出るのだけど、それじゃ燃費がよろしゅう無いと言う事で敢えて抑えていたとか。でも耐久性自体は、2万回転以上回せる位の耐久性があったとか。そしてこの年は、表彰台自体お預けという、あまりにも悲惨すぎる結果に。ポイント獲得も昨年のフレームを使ってやっとという有様で、いきなり弱体化してしまっていた。そして「スクリーマー」エンジンというエンジンも電子制御との兼ね合いから「時期尚早」と判断されお蔵入りという有様だった。これは結論から言うと、2003年の再来である。優勝も時間の問題だっただけにもったいない。


Ninjaと名乗れなかったNinja(2009年型)

昨年の大不振を踏まえて、かなり大掛かりなマイナーチェンジを施し、ライダーも2年目のジョン・ホプキンス選手とドゥカティから招集したマルコ・メランドリ選手という、かなり派手なペアになった。これで念願の初優勝も夢では無いと思っていた矢先に、「リーマンショック」という、世界的な金融恐慌が起き、それに伴う世界同時不況の影響で、開幕直前になって撤退を強いられる事になった。だけど、もうマシンも何も完成しちゃってる為、残された手段は、カワサキワークスの人を集めて再結成した「ハヤテ・レーシング」として再出発をする事で何とか開幕戦にこぎつけた。そして問題は、カワサキとMotoGPを運営してるドルナとの契約である。カワサキは2011年までドルナとの契約を結んでいたので双方協議の結果、賠償としてこのZX-RRをプライベートチームに供給するという形での参戦となった。この為、カワサキワークスでは無い為ライムグリーンが使えず、カラーリングは黒と赤とシルバーというカラーリングになったが、これまたカッコイイのだ。そしてランキングでも一時的にだが、5位に着けるなど戦闘力もあったが、蓋を開ければ10位と、かなり平凡な結果に終わった。でも、左右のカウルに漢字で「疾風」と書かれたカウルはカッコよかった。


ZX-RRの皮を被った何か。(2013年型?)

その後、撤退したカワサキNinja ZX-RRは、フレームとカウルだけだが、プライベーターチームの手によって蘇ることに。そのプライベーターチームというのが、現在ドゥカティのサテライトとして動いているアヴィンティア・レーシングである。エンジンは、当時の規定「CRTマシンルール」という規定上、Ninja ZX-10Rベースのエンジンを搭載していた。まぁ活躍はお察し下さい。でもカウルからして、2009年型の亜種である。興味があったら、「アヴィンティアMGP14」と調べて見て欲しい。


その後

その後は、ちゃんと2001年のプロトタイプから、ワークスラストイヤーの2008年型までを全部動態保存してるとの事。ちなみに2004年か06年型は、カワサキワールド・神戸海洋博物館で展示してるとの事なので、興味がある人は是非足を運んでみて欲しい。そこには往年の名車も勢揃いしていて見所満載だ。2001年型は、たまにホンダコレクションホールとかにイベントで現れる為、チャンスがあったら是非とも足を運んで見に行って欲しい。


ホビー展開

このバイクの模型とかは、タミヤが1/12スケールでプラモデルを、ミニチャンプスが1/24スケールでモデルカーを出している為、是非とも入手してじっくり観察してみてほしい。ちなみに、タミヤのプラモの方は運が良ければだが、あまり人気が無さそうな模型屋とかで意外と安く売られてたりするから、見つけ次第、店長とかに頼んでキープしてもらったりするというのもありだよ。ちなみに家電量販店のおもちゃコーナーにたまにだけど、生息事例が多数報告されている為、そこも現地に行って要チェック。あとはタカラ(現タカラトミー)がこれのプルバックカーを出していたが、現在はメーカー廃盤品の為、オークションや中古品とかを扱ってるとこに行って見つけ出すしか手段が無い。おすすめは鑑定団とか駿河屋とか。

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