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時雨(駆逐艦)の編集履歴

2014-02-12 23:18:36 バージョン

時雨(駆逐艦)

しぐれ

本稿では太平洋戦争時の二代目、白露型の2番艦の時雨について記述する。

日本海軍の白露型駆逐艦の2番艦。「雪風佐世保の時雨」と並び称された武勲艦である。


浦賀船渠で1933年12月9日に起工し、1936年9月7日に竣工。

太平洋戦争開戦時には第1艦隊第1水雷戦隊第27駆逐隊に属し、柱島泊地に所在していた。

珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、マーシャル諸島戦で活動し、アパママを占領。

以後はガダルカナル島輸送作戦に10回従事。

1942年11月12日に第三次ソロモン海戦に参加して損傷を受けてトラックで応急修理。その後はトラックから空母「冲鷹」を横須賀まで護衛したのを始め、横須賀とトラック間の護衛に7回従事した。

その次はブカ輸送作戦、レカタ輸送作戦、コロンバンガラ輸送作戦など輸送作戦に13回参加。

ベラ湾夜戦、第一次ベララベラ海戦、第二次ベララベラ海戦にも参加し、ブーゲンビル島沖海戦では、参加艦艇中唯一無傷で帰投し佐世保に入港した。その活躍は天皇にも報告されたという。


1944年1月3日に横須賀を出港し、トラックからラバウルへの物資輸送に従事。だが米機動部隊のトラック島空襲で損傷、パラオで応急修理を受けた後に佐世保に帰投して修理・改修工事を受け、今度は佐伯港から第三航空戦隊を護衛してタウイタウイに入港。

同年6月7日に渾作戦に加わり、ビアク島増援のため陸軍部隊を載せた駆逐艦6隻とソロンを出発。

8日にビアク島北西で米艦隊と交戦し2隻が小破したため、増援作戦は中止された。

19日マリアナ沖海戦に参加し佐世保に帰投し修理を受け、7月16日にリンガ泊地に入港。

8月7日パラオ輸送の第16戦隊を護衛し、レイテ沖海戦においては西村艦隊に所属。スリガオ海峡海戦における唯一の生き残りとなった。

1945年1月24日、タイランド湾のマレー半島東岸でヒ87A船団の「さらわく丸」を護衛中、米潜水艦「ブラックフィン」(SS-322)による雷撃を受け戦没。戦死者37名で、3月10日に除籍された。

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