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あじあの編集履歴

2010-07-29 21:36:29 バージョン

あじあ

通常、ひらがなで表記した場合、南満州鉄道が運行していた特急亜細亜号のことを指す。


1067mm狭軌に縛られていた日本国鉄と異なり、1435mm標準軌(当時の日本ではこれを広軌と称した)にパシナ形と呼ばれる大型流線型の蒸気機関車を用いる事で、営業最高速度120km/hを実現したとして、日本や満州国内などで大きく喧伝され、現在も鉄道ファンからは同時の画期的な高速列車として語られることが多い。

しかし、この点においては、実際にはヨーロッパでは既に蒸気機関車で200km/hに迫る速度のものが出現しており、また国内でも私鉄の電車列車などは100~120km/hで日常的に走行していたため、本来さほど特筆すべきものではない。


このような状態になった理由としては、

  1. ヨーロッパ産の石炭に比べてアジア産の石炭の品質が低く、質量に対する熱量が低かった事。
  2. 日本の蒸気機関車開発技術がC51形・D50形以降停滞気味であった事。特に後に新幹線開発で大問題になる高速運転時の共振問題は、当時は全くといって良いほど無関心だった。

等が上げられる。


本来特筆されるべきは、客車に専用の固定編成を採用し、全客室に冷房装置を搭載した事である。日本国鉄の「」すら固定編成前提の客車ではなく、冷房は食堂車と1等車に限られていた時代であり、世界的にも数は僅かだった。

この際の冷房装置は現在のものと異なり、機関車から供給される(本来は暖房用の)蒸気で蒸気吸引装置を作動させて負圧を発生させ、水を蒸散させて冷気を得るものだった(日本国内で採用されなかった理由のひとつは、日本国内では既に一部区間で電気機関車牽引が行われていた事)。

日本国内で固定編成・完全空調の車両は戦後も昭和33年の20系(ブルートレイン)まで待たなければならず、まさに世界最高水準の豪華列車だった。


関連項目

パシロ つばめ かもめ 富士 さくら

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