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司馬懿の編集履歴

2014-08-03 22:13:56 バージョン

司馬懿

しばい

姓「司馬」名「懿」(字「仲達」)。三国志演義後半の主役の一人で諸葛孔明最大のライバル。 魏の曹家四代(曹操・曹丕・曹叡・曹芳)に仕えていた。

司馬懿とは


来歴

姓「司馬」名「懿」(字「仲達」)。三国志演義後半の主役の一人で諸葛孔明最大のライバル。
魏の曹操に仕えていたが、
曹操は晋書によると「人に仕える男ではない」と重用しなかったようだ。
出仕の時の逸話に関しては魏略と晋書で内容が全く異なっている。
彼亡き後、曹丕に取り立てられ出世。曹叡の時代には曹真から軍権を引き継ぎ、北伐と言う名の孔明の侵略から国を守りきった。
その後政局の腐敗に陥った魏を立て直すため、クーデターを起こして政権を奪った。
横山光輝三国志において「孔明の罠」という名文句を生み出したことで有名。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ということわざにもなったが、仲達本人は「生きてる人間の腹なら読めようもあるが、死んでる人間の腹など誰にも読めようか。笑いたい奴には笑わせておけ!」と豪快に許したとか。
つまり、孔明をもってしても仲達の守りを完全に打ち破ることはできなかったのである。
余談だが中国のトランプでは孔明と一緒に仲達がジョーカーの役となっている。
なお、こういった孔明の北伐に対する方策から持久戦を得意とする印象があるが、実際のところは後述のように奇襲戦を得意としていた。

概要

孔明の北伐に対する方策(及びそれを基にした演義の描写)から持久戦が得意というイメージが強いが、彼自身はむしろ電撃戦を得意としていたようである(これは魏という国全体の特色でもあるのだが)。

実際、第一次北伐の際には孔明に呼応して反乱を起こした孟達の拠点、上庸まで通常一ヶ月はかかるところをわずか八日で進軍。敵の足並みがそろわぬうちに反乱を素早く鎮圧して孔明の計算を大きく狂わせた(ただし、この時に北伐に直接相対したのは曹真である。司馬懿が関わるのは演義のみ)。

どちらにしろ、北伐に対する方策は「兵站の弱い蜀の事情」を突いた戦法であったし、そもそも魏の側の勝利条件は敵の殲滅でなく相手に勢力圏を築き上げさせないことである。
これらの方策は蜀(諸葛亮)を最も望まぬ展開に引きずりこんだ彼の賢明さを称えるべきであろう。

北伐でのエピソード

長い持久戦に陥った五丈原の戦いに業を煮やした孔明は過激な挑発にでた。
ある時孔明は司馬懿の陣営に使者を送り、「大軍を率いておきながら立てこもったままとは臆病者め。そんなに閉じこもっていたいなら女人の服を着て家事でもしていろ」と言う内容の手紙と女性の服を送りつけた。
これには我慢強い司馬懿も頭に来たが、即座に思い直し「わざわざ敵陣にこんなもの命がけで持ってくるとは、あなたも大変だな」と丁重に使者をもてなして帰らせた。
司馬懿は持久戦の効果がこの挑発の形で現れたこと、孔明が切羽詰まっていることを冷静に解析したのである。
それを聴いた孔明は途方に暮れたという。

余談

「晋書」の記述によると、
妻(正室)に抗議の意味で断食されて謝った時に
「老婆の命を惜しんだのではない。息子が心配だった」と捨て台詞を言った。
もちろん本気の憎しみによる言葉であり、
「老物可憎(憎い老婆)何煩出也(なぜ出て来て煩わせるのか)」
と妻を罵倒する言葉も書かれているので愛情の裏返しじゃあない。
忘れられがちであるが、側室の柏夫人を寵愛していたと記述されている。
そのため断食の逸話を事実とするならば、正室とは険悪な関係だったという意味の記述である。

詳しくは張春華の記事を参照のこと。

一部では恐妻家と信じる人もいるが、晋書にすらそのような記述は無く、完全なる誤解。
「重んじる」という意味の記述を質の悪い三国志本が誤訳し、
そこから三国志大戦といった後作の創作設定やインターネットなどで間違いが広まったのが原因のようだ。

また、晋書によると彼は首が180度後ろに回せるという特異体質の持ち主であった。
それをおもしろがった曹操がある時司馬懿を後ろからいきなり呼びつけた所、確かにぐるりと首が後ろに回ったのだが、改めて彼の顔を見た曹操は「こいつは見た目は従順そうだが根っこに野心を抱えているな」という印象を抱いたと言われている。

ただしこの晋書は信憑性が低い。晋書出典の逸話は創作かもしれない。鵜呑みにしないように気をつけよう。

その後の活躍

諸葛孔明が死んだ後の司馬懿の活躍はあまり知られていないが、死ぬまでその辣腕ぶりは衰えなかった。
そんな中で面白いエピソードとして、遼東の地で反乱を起こした公孫淵の討伐がある。
反乱鎮圧を命じられた司馬懿は時の皇帝・曹叡(曹丕の息子)に「反乱鎮圧はどのくらいかかるかね?それと公孫淵はどんな手を打ってくると思う?」と聴かれたところ、
「そうですね、行きに100日、帰るのに100日、戦闘に100日、兵士の休養に60日、…一年もあれば片が付きます。
公孫淵側がとる手段としたら、城を捨てて逃げるのが一番良く、遼水の地で戦うのが二番目、
真っ向勝負にでるのが一番駄目な手です。
だが公孫淵は城を捨てられるような男ではなく、二番の策を取れるほどの頭も無いから、三番手に出るでしょう」と答えた。

果たして結果は司馬懿の言った通りになり、公孫淵はボロ負けした挙げ句兵糧攻めにあい、降伏も許されず殺されることとなった(なお電撃戦を得意とした司馬懿なのでフルボッコにした時点で勝ち確だったかもしれないが、中央の政争に巻き込まれるのを避けて敢えて引き伸ばしたという見方もあったりする)。
この時の口上がまた凄い。和睦の使者をその場で斬って一言、
「貴様らはの故事を知らんのか?私も魏帝から列侯に封ぜられた身、王建(和睦の使者)ごときに『囲みを解け』『軍を退け』と指図されるいわれはない。王建は耄碌して主命を伝え損なったのだろう。次は若く頭の良い者を寄越すがいい」
「戦には五つの方法がある。戦うか、守るか、出来なければ逃げるか、降る。そして、お前は降ろうともしなかった。ならば死ね、人質など要らん!」(人質を送って恭順を示すという文書に対して)
……見栄を張って降伏でなく和睦という手段を選んだ公孫淵がアレとは言え怖すぎる。敵に回したくない男である。
その後、仮病を使ったりボケ老人のふりをしたりと権謀術数をもって政敵の曹爽を打倒。魏の実権を掌握した。

臨終の際の息子たちへの言葉は「魏の臣としての節度を忘れず、仕えること(意訳)」であったという。
建前上なのか本音なのかまでは判然としないが、少なくとも彼自身はクーデターを起こしつつ、最期まで魏の臣として生きていたことだけは紛れもない事実である。
ただ、事実上実権を握ってたとは言え、形式的立場上はまだ魏の臣であり、蜀呉がまだ残ってるうちは反乱を匂わせる遺言は出来なかったであろうが。
これは彼を取り立てた曹操の立場と類似しており、死後に皇帝の座を禅譲させたのも同様(ただし曹操は子、司馬懿は孫が帝位に立った)である。

真・三國無双の司馬懿

+ 司馬懿 +


CV:滝下毅
1から参戦。曹操に才能を見出され配下となった軍師。激情家で自尊心が高いが、
冷静な判断力も持っており、次代の覇権をねらう野心家でもある。(特に後者は5以降顕著になりつつある)
「馬鹿めが!!」「フハハハハノヽノヽノヽノ \ / \/ \」という異常な程の高笑いが有名。それと度々『凡愚』との言葉を使用する。
史実同様諸葛亮とはライバル同士。武器も同じくビームを出す羽扇。(1では剣、5では鉄糸)
曹丕に対しても信頼されてはいるが本人は表上従っているだけの事でしかなくいずれは裏切るつもりでいる。当の本人にはバレバレだったりするが。
「6」では所属勢力が魏から晋へと変更され「5」同様、息子らと共に魏に反乱する首謀者となる様子が描かれ、シリーズ中唯一所属勢力が移籍したキャラでもある。
また同作から「才ある者が世を治めるべし」というスタンスに変わっており、乱を起こした理由も「凡愚の殲滅」となっている。

「7」では正妻・張春華が参戦。鉄線は張春華に譲り、自身は新しく「拂塵」を武器として使用する。
曹操を「天下に相応しい漢」、曹丕を「覇道を継ぐに足る器」と評価する台詞すらある。

無双OROCHIシリーズでは戦国無双の伊達政宗と一緒になる事が多い。
政宗自身も初登場時すら『馬鹿め!』と叫んでいるためか。

政宗に馬鹿めと言われ、「馬鹿めとは…馬鹿め!」と返したり
魔王再臨ドラマティックモードの下邳の戦いでは共演したりしている。
2の広宗の戦いでは司馬懿・政宗合わせて10回以上、『馬鹿め!』と言う。
(最近の司馬懿は「馬鹿め!」より『馬鹿めが!』の方が多い。)

ちなみに、司馬懿の話だが、上記の広宗の戦いは箱に入った娘を探すシナリオである。
その正体は「ガラシャ」。と言うことは、つまり……

担当声優である滝下の逝去後、現在の時点ではライブラリー出演という形になっている。
7Empires以降は息子の司馬師を演じた置鮎龍太郎氏に代わることが決定した。

『ドラマ三国志 2010年版』の司馬懿

演:倪大宏
吹替:佐々木勝彦
上記のように、本国中国でも諸葛亮の引き立て役としての活躍ばかりだった司馬懿だが、
こちらのドラマでは主役クラスの活躍を見ることができる。
『魏』の勢力では、曹操の次にキャスティングされていることが公式ページでも分かる。

登場も『三国志』の話としては非常に早く、『赤壁の戦い』直後から登場。
曹操には危険視され、重宝されなかったが、曹丕には信頼され、彼の支えとなっていく。
そして曹叡の時代には彼は全幅の信頼を置かれる。

もちろん、諸葛亮の北伐におけるライバル格としての登場であり、主人公側ではないのだが、彼の最大のライバルであったことがよく描かれており、
また、最終話にして、後日談的に描かれる正始の変のエピソードは、彼が主人公であり、彼が『魏』の全権を握ったところで物語は完結していく。

息子司馬師司馬昭、さらには孫の司馬炎も登場。
司馬昭にいたっては、司馬懿の参謀並みの活躍を見せ、無双シリーズなどで司馬昭のファンとなった人には嬉しいところである。

歴史的な意味もあってか、次男の司馬昭の登場のほうが遥かに多い。

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