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治天の君の編集履歴

2015-03-10 12:14:15 バージョン

治天の君

ちてんのきみ

平安時代末期(院政期)から室町時代にかけて、天皇に代わって日本の国主を務めた上皇を指す歴史用語

概要

平安時代末期以降、それまでの摂関家政治に代わって天皇を退位した上皇(出家していれば法皇)が天下を治めるいわゆる院政が行われた。しかし例えば承久の乱の当時、仲恭天皇に対して上皇は後鳥羽上皇土御門上皇順徳上皇、と何人も存在し、誰が天下を治めていたのか分かりにくい。その中で院宣を出して朝廷ひいては全国に号令していた上皇は通常ただ一人であり、これを「治天の君」と呼んでいる(上横手雅敬「中世前期の政治構造――はじめに」『院政と平氏、鎌倉政権』)。


歴史

治天の君の初代と考えられているのは一般に白河法皇である。「この(白河法皇の)時より、かく太上天皇にて世を知食(しろしめ)す事久しき也(『愚管抄』)」という。ただし、白河法皇が最初から院政を意図して行ったとは考えられていない。白河上皇が堀河天皇に位を譲った時は、新帝と関白藤原師通による政治がいったんは始まっていた。しかし堀河天皇と師通は相次いで早世してしまう。新帝鳥羽天皇の外戚藤原公実摂政就任を要求し、師通嫡流のまだ若い藤原忠実とのどちらが摂政となるかが問題になった。この時、法皇の判断で忠実が摂政に任ぜられたため、摂関の任命権自体が藤原氏から法皇に移り、完全に法皇が摂関家から実権を奪うことになったという(福島正樹『院政と武士の登場』)。


その後、鳥羽上皇後白河法皇と院政が続き、後白河法皇の代に鎌倉幕府が成立する。しかし実は院政はなお続き、後鳥羽上皇が次代の治天の君として源実朝北条義時と渡りあっている。いつまで続いたのであろうか。形式的には江戸時代光格上皇まで院政が行われているが、院の家政を行っていたのみである。国政を動かしていたのは室町時代後小松上皇までである(上横手雅敬、前掲書)。上横手は、南北朝時代北朝では院政が継続しているがそもそも朝廷の権限自体が弱く、南朝後醍醐天皇が親政を開始して以降院政は廃止されたとみるべきだとしている。もっとも南朝でも長慶上皇の院政が行われ、光格上皇に至るまで明確な廃止時期もなく自然に消滅したという見方もある(福島正樹、前掲書)。


政治の仕組み

何故、治天の君が摂関家に代わって実権を掌握できたのだろうか。院政期の時代には官職による国家運営は形骸化し(摂関家すら権限の源泉は摂関ではなく天皇の外戚という血縁)、王家近衛家九条家平家といった有力貴族族長たちの談合によって国政が運営されていた。すなわち、治天の君はただの上皇ではなく、王家の族長にして天皇の父または祖父といった直系尊属であるゆえに国政を執ったのである(上横手雅敬、前掲書)。


ちなみに院政と治天の君を歴史学者が語る際に頻繁に登場するこの「王家」という概念であるが、元は黒田俊雄が権門体制論を発表する時に武家寺家を統べる公家の代表者として用いている(黒田俊雄『現実のなかの歴史学』)。黒田は「皇室」「天皇家」は近代国家での呼称であり当時の呼称は王家であったとしたが、史料では皇家の使用頻度が王家の使用頻度に劣らず、あくまで多くの研究者が用いているに過ぎない用語と考えるべきという見方もある(岡野友彦『院政とは何だったか: 「権門体制論」を見直す』)。


治天の君が天皇を動かして政治を行った仕組みとしては、院近臣に注目する見方もある(福島正樹、前掲書)。院近臣には先述の藤原忠実の摂政就任について白河法皇に助言した源俊明のような代々公卿となっている上級貴族もいる。しかし、せいぜい四位・五位程度の受領あるいは実務官僚の抜擢も多かった。福島によれば、受領の出身には白河法皇の乳母子藤原顕季、鳥羽上皇第一の側近と呼ばれた藤原家成や平治の乱の首謀者藤原信頼等が挙げられ、受領として稼いだ資金によって院に所領や寺の造営等の寄進を行ったという。実務官僚の代表は『今鏡』にて「夜の関白」と呼ばれた藤原顕隆らである。顕隆は昼間行われた関白らの奏上を夜間に院御所に参内して取り下げさせていたという。このような院に仕えた実務官僚たちが太政官の公文書発行を司る弁官と天皇の秘書たる蔵人、さらには摂関家の家司も兼ね、治天の君の意向によって政治を動かしたという(福島正樹、前掲書)。


関連項目

天皇 上皇 院政 朝廷 公家 平安時代 鎌倉時代

白河上皇白河法皇 鳥羽上皇鳥羽法皇 後白河上皇後白河法皇 後鳥羽上皇

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