概要
『古事記』『日本書紀』に記載のある人物。『五十狭芹彦(いさせりひこ)』『彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)』とも。
七代天皇孝霊天皇の息子で第三皇子。兄弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)と共に吉備国を平定させ、十代目崇神天皇の代に四道将軍の一人に任命され、西道(山陽道)に遣わされた。
鬼退治の伝説
吉備(岡山県南部)には彼が温羅という鬼を討伐したという伝説が残っており、伝説によると、鬼ノ城に住んで地域を荒らした温羅を、吉備津彦命が犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来と共に討ち倒し、その祟りを鎮めるために温羅を吉備津神社の釜の下に封じたとされている。
この伝説が後代に昔話「桃太郎」となったとされ、温羅の本拠地鬼ノ城が鬼ヶ島、討伐にあたって引き連れた臣下はそれぞれ、犬飼健が犬、楽々森彦が猿、留玉臣が雉のモデルとなったとされる。
上述の吉備平定の活躍と、岡山県(吉備国)の温羅(うら)伝説は、共に古代の大和政権と吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものとされ、つまり鬼とは当時の地元民の抵抗勢力の隠喩とも言われ、蝦夷などの古来民族を敵視する古事記や日本書紀などの流れを組んだ部分が強いことを示唆している。
この伝説は、岡山県において広く語り継がれている後に上田秋成が手掛けた読本『雨月物語』中の1編である『吉備津の釜』に登場する 、同神社の御釜殿(重要文化財)における鳴釜神事の謂われともなっている
ちなみに、家来の1人である犬飼健は犬養氏の始祖で、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の祖先であると言われている。