概要
- 露 Никита.С.Хрущёв
- 英 Nikita Khrushchev
(1894年 - 1971年)
本名ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ ソビエト連邦の政治家、第3代〈赤い皇帝〉。ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)を兼務した。スターリン的な問答無用の超人的超ハード統治から、人間が統治する一政党の統治へと転換をに変え、世界で一番恐い帝国的国家、ソ連共産党を世界で一番恐い労働者の政党・魔王のように強い政党、ガチガチの『鉄の規律』と『スターリン憲法』、の払拭を試みる。
1918年のレーニン時代の革命勢力だったロシア社民労働党多数派(ボリシェビキ)に参加し、共産党運動員から赤軍の幹部にまで昇格した、レーニン没後、後継者スターリンとクレムリン(ソ連共産党本部)の辞令によりソ連ウクライナ共和国(略)の第一書記に着任、その後クレムリンに命じられて粛々と粛清や弾圧に関与した功績により、ソ連中央の政治局員に昇格しクレムリンに入城。(ポートビューロー)(ソ連の政治家)第二次大戦中はスターリングラードの防衛司令官として着任した。(映画スターリングラードを参照)
1953年にスターリン直々の後継者マレンコフを粛清し、書記長に就任。書記長を第一書記に変更する。(次代のブレジネフが書記長に戻す)スターリンの死後「スターリン批判」を行った。
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【逸話】
フルシチョフがスターリンの側近になれたのは、スターリンの二番目の妻ナジェージダ・アリルーエワ(通称ナージャ)のおかげである。ナージャの通う工業大学には論敵を次々に論破する耳の大きな太った若者がいた。後のフルシチョフである。ナージャはスターリンにフルシチョフを推薦し、定期的に家でナージャと三人で食事をするようになったのが出世の始まりとなる。これ以降フルシチョフはスターリンのお気に入りになる。
「こうやって私は生き延びた・・・・・・ナージャの存在は私の幸運の宝くじだった」。フルシチョフには自分がスターリンと同じ場所にいること自体が信じられなかったという。半ば神様のように尊敬していたスターリンが目の前にいて、いとも謙虚に「笑ったり、冗談を言ったり」していたからである。
【参考文献】
・Google翻訳
・wikipedeia『二キータ・フルシチョフ』
イラスト
・フルチショフ(テリーヌ)