概要
1971年に共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会が合流して結成された過激派(但し日本共産党本部からは認められていない)。毛沢東思想、反スターリン主義を基本。
活動のピークはわずか2年足らずだがその残虐な内ゲバが広くインパクトを与えた。
事件
結成の12月には軍事訓練等を行っていたが、早々に路線対立などから内輪もめが起きるようになり、榛名山中の「山岳ベース」と呼ばれた拠点内の狭い世界で「総括」と称してメンバーに反省を促す吊るし上げ、というより難癖つけ暴力を振るうリンチが発生し出した。
リンチはエスカレートしていき、寒い外に放り出されて凍死した者、「見込みがないから死刑」と宣告され残虐な方法で殺された者もおり結局12人が死亡。これを「山岳ベース事件」と呼ぶ。
これらの詳細は多数解説サイトがあるが、写真ではなく文章中心のものが多いとはいえ残虐な描写が多いためグロ耐性のない人は閲覧に注意。
翌年警察の山狩りに追いつめられたメンバーのうち5人が銃を持って長野県北佐久郡軽井沢町の山荘に押し入り一般人の人質をとって立てこもる事件を起こす。これが「あさま山荘事件」である。
山荘はやがて警察に包囲され、攻防戦の末に警察官2名、民間人1名の死亡者を出して制圧された。
この制圧の際に警察がクレーンで鉄球をぶつけたり放水したりといった様子がニュース映像として流され世間にインパクトを与え、既に下火になっていた学生運動への目がさらに冷たくなることになった。
組織のメンバーも殆どが逮捕され、山岳ベース事件の凄惨な実態も明らかになった。
その後
リーダーの森恒夫は獄中で自殺し、サブリーダーの永田洋子は死刑判決を受けたが執行前に病死。
その他のメンバーは現在も獄中にある者、出所して細々と暮らすものなど様々である。
上記の事件は狭い世界で暴走していく人間の集団心理のサンプルとしても多くの人の興味を引き、多数のフィクションの題材にも使われている。
連合赤軍をモチーフとしたフィクション作品
映画
- 食卓のない家
- 光の雨
漫画
- RED(山本直樹作)
- アンラッキーヤングメン