日本の俳優。初代仮面ライダーを演じたことで有名。
人物
空手、居合道 初段、柔道 三段、抜刀道、小刀護身道 四段、刀道 七段・教士。幼少の頃には父親から家伝の武術を習った現代に生きる侍。
国民的ヒーロー、仮面ライダーこと本郷猛の役で一躍有名人となり、他にも映画「日本沈没」では主役を演じ、セガサターンのイメージキャラクター「せがた三四郎」でブレイクをかまし、「藤岡弘、探検隊」でお茶の間を沸かせた。その人気は衰えることを知らない。
ボランティア活動にも注力しており、民間ボランティア団体『グローバルレインボーシップ』の理事として、ボランティアに加え、宗教、政治といった分野でも国内外問わず幅広く救済活動を行い、青少年育成や防犯のための講演会活動も精力的に行っている他、武術や武士道を通して世界平和を目指したいと提唱し、自身のホームページで侍道や祖国愛、日本の在り方や防衛論について度々語っている。
奥尻島の地震津波災害では「映画撮影の際にお世話になったので」とボランティア用の水などを持てるだけ持って駆けつけ、2011年の東日本大震災の際にも被災地へ1トンの米を寄付している。
仮面ライダーエピソード
藤岡本人の大出世作である仮面ライダーについては数々のエピソードがある。
- アクションの得意な藤岡は変身後の仮面ライダーの中の人も兼ねており(後にも先にも藤岡のみ)、派手な格闘やバイクアクションを披露していたのだが、運悪く撮影中にバイク事故で左大腿部を複雑骨折してしまった。このとき藤岡は反対側を向いている自分の脚を元の位置に戻してから気絶したそうである。その後第39話で再登板したのだが、まだ脚に固定用のボルトが入ったままの状態で阿蘇山での撮影に臨み、見事復活を果たした。ちなみに撮影中は傷口からの出血で脚が血まみれであり、主治医からも「今ロケに行くなんてとんでもない。下手をすれば一生歩けなくなるかもしれない。」と釘を刺されていたらしい。その後、第53話にて完全復帰を果たした。ちなみに、治癒後の左足は右足と比べてわずかに長くなってしまい、長年の腰痛の元になってしまったらしい。
「、」の意味
90年代に入って芸名として名前の後ろに読点(、)を入れるようになった。
きっかけは、1984年にアメリカ映画に出演した際、自身が演じる侍役と日本の侍のイメージの食い違いを目の当たりにし、侍文化の普及とイメージの是正に尽力。結果、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞し、日本人初の米国俳優協会の会員となる。そして周囲から「ヒロシさん」と敬意をもって扱われることとなった。
このときの経験から、「周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と「『我未だ完成せず』との意味を込めて」"、"を付けるようになったという。
なお、この「、」は芸名に読点や句点(。)を用いた芸名の先駆けである。まれにモーニング娘。などが先などと主張する人もいるが、年代的には藤岡弘、氏の方が早い。
余談
・実は幼少期のの頃のトラウマのせいで蛇が大の苦手らしく、事務所裏には『マムシ注意』の立札」が立てられている。
・また、上記にある通り、仮面ライダー第9話と第10話の間に負傷したとあるが、奇しくもこの9話に登場した怪人が藤岡氏の嫌いな蛇をモチーフにしたコブラ男だった。第10話は同じく爬虫類モチーフのトカゲロン。
・上記以外にも蛇に関する余談がある。『仮面ライダー』のラスボスであるショッカー首領のモチーフが蛇、藤岡氏が難色を示したとされる『浅倉威』が変身するライダーも蛇モチーフだったり、
久しぶりにライダー1号として演じた映画に登場するグリードのモチーフがカナリコブラと同じ蛇と鷲だったり、挙句、そのオマージュなのか仮面ライダーオーズの変身者の苦手な動物が蛇だったりと挙げればキリがない。
・ただならぬ勘の持ち主であり、東北地方沖地震の日には鳥一羽飛ばぬ様子に違和感を感じていたという。
なお、藤岡氏の勘の鋭さは母親譲りのようで、妊娠中に同様の胸騒ぎを感じ、空襲を逃れたといわれている。
主な出演作品
警視総監@仮面ライダーアギト_プロジェクトG4