概要
播磨国小野藩(現:兵庫県小野市)の藩士の子として生まれたとされ、初名は小太郎。
大坂で関口流柔術(北辰心要流、不遷流とも言われる)の道場を開いていたといわれており、後に新撰組の柔術師範を務めた。
温厚な人物として知られており、壬生の近辺からは総長の山南敬助と共に、「親切者は山南と松原」という言葉が伝わっており、会津藩と薩摩藩が中心となった公武合体派が、長州藩の尊王攘夷派を京都から追放した、『八月十八日の政変』が起こった際に、自分に鎧がないことに立腹した山南を、松原が宥めたという逸話がある。