ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

松原忠司の編集履歴

2015-07-22 17:26:16 バージョン

松原忠司

まつばらちゅうじ

松原忠司とは、幕末に活躍した京都守護職『新撰組』の隊士で、新撰組四番隊組長。

概要

幕末に活躍した京都守護職新撰組の四番隊組長。

播磨国小野藩(現:兵庫県小野市)の藩士の子として生まれたとされ、初名は小太郎。

大坂関口流柔術(北辰心要流不遷流とも言われる)の道場を開いていたといわれており、後に新撰組の柔術師範を務めた。


温厚な人物として知られており、壬生の近辺からは総長山南敬助と共に、「親切者は山南と松原」という言葉が伝わっており、会津藩薩摩藩が中心となった公武合体派が、長州藩尊王攘夷派を京都から追放した、『八月十八日の政変』が起こった際に、自分にがないことに立腹した山南を、松原が宥めたという逸話がある。


関連タグ

日本 新選組 武士

江戸時代

柔術 体術

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました