概要
アメリカ合衆国が勝手に悪の枢軸と名付けたイラクで起こした侵略戦争の一つである。
ことは2001年9月11日に起こったニューヨークの同時多発テロに始まる。
この時のテロで死者は3000人にも及び、当時のブッシュ政権は犯行を起こしたのはアフガニスタンのタリバン政府にかくまわれているアルカイダによるものだと断定。
10月にはアフガニスタンへの報復攻撃を開始、12月にタリバン政府を崩壊させ民政へと移管させた。
しかし、これでアメリカの報復がやむことはなかった。
今度は反米・軍事独裁政権として知られるイラク・フセイン政権へと矛先を向けることになった。
国連を通じてアメリカはイラクに対し大量破壊兵器がないという証拠を出すよう要求、イラク政府も要求に応じて大量の証拠資料を提出したが、ブッシュ政権はこれらの資料を黙殺、国連にイラクに対する武力制裁を要求した。
これらの要求に常任理事国のロシア、中国のみならず国連のアナン事務総長も反対。
アメリカの提出した「イラクへの武力侵攻案」はロシア、中国が拒否権を発動することにより否決された。
安全保障理事会での調整が不調に終わると、ブッシュ政権は国連の意向を無視して同盟国にイラク進攻に参加するよう要求。
大義がないことにフランス、ドイツはこれを拒否したが、イギリス、オーストラリア、ポーランドなどはアメリカの要求に応じて有志国連合を結成、2003年3月、イラクへの侵攻を開始し6月にイラクの首都・バクダッドを陥落させた。
この戦争によりイラク人は軍民併せて10万人以上、アメリカ軍を含む多国籍軍は6000人を超える死者を出す結果となり、アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾に多くのがん患者が続出しているといわれている。(なお、日本の小泉政権は有志国連合のイラク進攻を支持、資金を提供し、戦後復興のために自衛隊を派遣する措置を行っている)。
アメリカ当局はイラクのフセイン政権は悪の枢軸だと決め付けていたが、後日調べると大量破壊兵器は存在せず、更にアメリカがイラクの石油利権を掌握する目的ではないかと言う声が世界中に上がってきている。
その後のイラク
その後、イラクではフセイン政権が倒れた後、イスラム教シーア派を代表するマリキ氏がアメリカを後ろ楯に首相に就任したが、マリキ政権はフセイン大統領の出身母体であるスンニ派を冷遇。この結果、シーア派とスンニ派の対立が激化しフセイン政権残党によるテロも多発、国内の混乱に加えシリア内戦に介入したアルカイダやISILと言ったテロ組織やアメリカの傭兵組織との抗争に苦しんでおり、フセイン政権時代よりも酷い状況になってきている。
それをイランが、曲がりなりにもISIL対策をやっているお蔭で最悪の事態は避けられている故に、イラクからイランへ行く人も多い。
その後の国際連合
イラク戦争の顛末は5つの常任理事国が国際連合の上に立っていることを知らしめ、国連事務総長は実権のない単なる名誉職に過ぎないことを国際社会に知らしめることになり、結果として国際連合の地位を決定的に貶めることとなった。