概要
背景
1991年の湾岸戦争以来、アメリカとイラクとの関係は険悪な状態が続き、またイラクを治める軍事的・独裁的なサダム・フセイン政権も続いていた。
2001年9月11日にニューヨークで同時多発テロが発生し、ブッシュ政権はアフガニスタンのタリバン政権に匿われているテロ組織「アルカイダ」による犯行を断定し、10月にアフガンに報復攻撃を開始し、12月にタリバン政府を崩壊させ民政へと移管させた。この時より、アメリカによる対テロ戦争が始まった。
対立
アメリカは次なる矛先をイラクに向けた。ブッシュ大統領はイラク・イラン・北朝鮮をテロ支援国家「悪の枢軸国」と発言して名指しで非難。とくにイラクに対して大量殺戮兵器を保有を指摘し、国連を通じて調査と査察、武装解除などを要求。イラク政府も要求に応じて大量の証拠資料を提出したが、ブッシュ政権はこれらの資料を黙殺、国連にイラクに対する武力制裁を要求した。
これらの要求に常任理事国のロシア、中国のみならず国連のアナン事務総長も反対。アメリカの提出した「イラクへの武力侵攻案」はロシア、中国が拒否権を発動することにより否決された。安全保障理事会での調整が不調に終わると、ブッシュ政権は国連の意向を無視して同盟国にイラク進攻に参加するよう要求。大義がないことにフランス、ドイツはこれを拒否したが、イギリス、オーストラリア、ポーランドなどはアメリカの要求に応じて「有志国連合」を結成。
開戦から
2003年3月19日、イラクへの侵攻「イラクの自由作戦」の決行。イラク国内の都市や軍事拠点などに対しミサイルや爆撃機による空爆を開始、翌日には地上部隊を派遣。イラクを一気に制圧していき、4月にはイラクの首都・バクダッドを陥落。フセイン像が引き倒される映像は米軍勝利を印象付けるものとなって世界に報じられた。
イラク各地を次々に制圧し、5月にイラク暫定政府からイラク統治評議会を発足。そして12月に潜伏していたフセインを拘束。米軍侵攻から1年足らずでフセイン政権の時代は終わりと遂げた。
この戦争によりイラク人は軍民併せて10万人以上、アメリカ軍を含む多国籍軍は6千人超の死者を出す結果となり、アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾に多くのガン患者が続出しているといわれている。
日本の小泉政権は有志国連合のイラク進攻を支持、資金を提供し、戦後復興のために自衛隊を派遣する措置を行っている。
アメリカ当局はイラクのフセイン政権は悪の枢軸だと決め付けていたが、後日調べると大量破壊兵器は存在せず、更にアメリカがイラクの石油利権を掌握する目的ではないかと言う声が世界中に上がってきている。
戦後イラク
フセイン政権崩壊後のイラクはイスラム教シーア派を代表するマリキ氏がアメリカを後ろ楯に首相に就任したが、マリキ政権はフセイン大統領の出身母体であるスンニ派を冷遇。この結果、シーア派とスンニ派の対立が激化しフセイン政権残党によるテロも多発。国内の混乱に加えシリア内戦に介入したアルカイダやISILと言ったテロ組織やアメリカの傭兵組織との抗争に苦しんでおり、フセイン政権時代よりも酷い状況になってきている。
それをイランが、曲がりなりにもISIL対策をやっているお蔭で最悪の事態は避けられている故に、イラクからイランへ行く人も多い。
その後の国連
イラク戦争の顛末は5つの常任理事国が国際連合の上に立っていることを知らしめ、国連事務総長は実権のない単なる名誉職に過ぎないことを国際社会に知らしめることになり、結果として国際連合の地位を決定的に貶めることとなった。