ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

福留孝介の編集履歴

2015-12-31 15:09:42 バージョン

福留孝介

ふくどめこうすけ

阪神タイガースに所属するプロ野球選手。主なポジションは外野手。主なポジションは外野手。

概要

鹿児島県出身。

PL学園時代は高校No.1スラッガーと呼ばれていた。

1995年のドラフトでは7球団が1位指名し、大阪近鉄バファローズが交渉権を獲得するが拒否している。

日本生命に就職した後、1998年中日ドラゴンズを逆指名して入団。


入団当時は遊撃手を務めていた。当時の星野仙一監督が積極的にスタメン起用し、福留もそれに答えたが、守備に難があり打撃も確実性に欠けていた。

2000年に三塁手へコンバートされるが守備難は相変わらず。2002年に外野に再コンバートされると、ようやく守備も安定した。

打撃では松井秀喜の三冠王を阻止する首位打者を獲得するなど、安定感も増した。

2003年は3割、30本塁打。2004年には4番にも座った。以降2007年オフにFAでメジャーに移籍するまでドラゴンズの中軸としてプレーし続けた。


2008年からはシカゴ・カブスでプレー。この年は打率.257と苦戦。

2009年は打率.259、2010年は.263。特に2009年は日本時代あまり守らなかった中堅守の守備に苦労していた。

2011年は前年より好調なバッティングを維持していたが、7月28日クリーブランド・インディアンスへトレード移籍。この年は打率を除いてメジャー移籍後最低の成績に終わる。

オフにシカゴ・ホワイトソックスと契約するがケガと不振で解雇。後にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶがメジャー昇格はならず、9月に解雇された。


2012年オフに阪神タイガースへ移籍、翌2013年に正式契約。


人物

  • 中日時代は広角打法を武器に、コンスタントに打率3割と20本塁打以上を記録。守備も前述のように内野手時代は不安定だったが、外野手としては強肩を武器に堅守を支えた。

メジャー移籍後はやや不安定になる。ヤンキースでは一塁手を守ることもあった。

  • カブス時代の2008年に「It's gonna happen」(カブスファンの常套句。訳は「何かが起こるぞ」、「ついにその時が来た」)を機械翻訳した「偶然だぞ」のボードが掲げられたことがある。
  • プロ野球界屈指の銭闘員。かつて「誠意は言葉より金額」という迷言を残す、日本球界復帰の際に3年15億の報道が出される(これによりはませんを中心とした2ちゃんねらーなんJ民の顰蹙を買っている)など、その銭闘能力(?)はトップレベル。
問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました