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ミハイル・ゴルバチョフの編集履歴

2016-03-01 15:24:27 バージョン

ミハイル・ゴルバチョフ

みはいるごるばちょふ

ソヴィエト連邦最後の最高指導者。最後の赤い皇帝

Людвиг ван Бетховен. Симфония №9. "Ода к радости".

第9交響曲第四番(ロシア語)(Dasha Chepizhnaya)


彼ほど勇気のある政治家共産党員)はかつてこの世にいただろうか。


私にとって最も印象的だったのは、大統領書記長がソヴィエト連邦から独立を求めるエストニアソビエト社会主義共和国主都ビリニョスに単身乗り込み赤衛兵(大統領書記長の衛兵)や保安委員SP)も付けず敵対的な感情を抱くエストニア市民の中にたった一人でわけはいり対話を始めた場面だ。


『エストニアに独立を!』を掲げるデモ隊エストニア市民戦線)本部の横断幕をみてゴルバチョフは「ここから見えているよ、降りてきて話をしよう。」と呼びかけに当初敵愾心に満ちていた民衆と市民にどっと笑いが起こった。

ゴルバチョフ大統領とデモ隊幹部の討論は数時間に及び、あくまでソヴィエト連邦にとどまるよう説得を続ける大統領書記長とエストニアの群衆との溝は遂に埋まらなかった。だがこんなことは世界中の政治家が誰一人として行わなかったことだ。


[遺言Ⅰ ミハイル・ゴルバチョフの思い出・忘れられた解放者]より(高橋成)


・露Михаил С.Горбачёв

・英 Mikail・S・Gorbachev


ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ

(1931- )(2016.85aeg)


ソヴィエト連邦の政治家。共産主義者

連邦最後の第一人者赤い皇帝独裁者)として有名 あだ名ゴルビー(GORBE)

公の世界に伝記を組み立て残せるほどの情報を残した唯一のソヴィエト政治家である、あとはソ連共産党とともに闇に沈没した模様。

モスクワ大学法学部卒(1955)、ロシアソ連社会主義共和国カフカスに生まれる。ロシア帝国時代からの農家、父も共産党員

 ソヴィエト連邦ブレジネフ政権の治世中だった1970年にスタブロポリ町ソビエト第一書記、71年ソ連共産党ポリトビューロ政冶局)候補、78年ソ連農業省大臣、80年からポリトビューロ員(政治局員)メンバーとなってクレムリン(ソ連共産党本部・ソ連中央政府)に入城した。

  

 1982年にブレジネフが亡くなり、後任のアンドロポフ、チェルネンコ書記長が一年おきに亡くなる異常事態に元で台頭し、85年にチェルネンコの後任として書記長に就任した。就任演説においてペレストロイカグラスノスチ建て直し・情報公開)政策を宣言した。

1986年ソ連ウクライナソビエト共和国チェルノブイリ原発事故が発生し人類史上の未曾有の放射能災害が発生した。原発事故の第一報を始めて国際社会に知らせたのはイギリス政府であった。ソビエト・共産党体制の深刻な構造腐敗を痛感したゴルビーは、同年開催されたソ連邦共産党第27回大会においてペレストロイカグラスノスチ建て直し・情報公開)政策の早急な実行を決定した。

 

 彼は手始めにポリトビューロ政冶局)のブレジネフ・フルシチョフ時代から着任していた古参メンバー(ノーメンクトゥーラ)を粛清した。ゴルビーの場合は唯の引退勧告で済むが他の書記長だったら『人物写真の配置を交換されて存在そのものも消される』 彼はソヴィエト連邦の全国家イデオロギーグラスノスチ(情報公開)に変更させ、ソビエト人の(ロシア人など)の下品下劣卑猥なおしゃべりも平然と出来るようにし、共産党・CCCP(ソ連)に対してぼろ糞・馬事雑言を言うことも平気にさせた。そして出版の統制も廃止し、美男美女の恐るべきエロ本やクッソくだらないゴシップ習慣紙・専門紙・漫画も露天に置けるようになった。それ以前のソ連はチェス文学作品が秀逸でプラウダ真理)やイズベスチア(ソ連ニュース)という無味無感な硬い文章や、かなり政府公認の良識的な作品しか表現出来なかった。


 また共産党中央委員会・ソビエト社会主義共和国市評議会ソビエト町評議会ソビエト村評議会ソビエトらの各ソビエト共産党政府が一括して決定していたソビエト市民生活の全般・国営会社集積農業コルホーズソフホーズ)など多岐にわたる分野でのソ連市民(プロレタリ)に分権し活性化する五カ年計画計画経済に着手を始め、1987年にはソヴィエト連邦自体が放っていた負(悪)のイメージ独裁共産党の公安警察(カーゲーベーKGB)の超弾圧超大国・強制労働収容所帝国の世界観の一掃に着手した。つまりソ連国内外の歴史設定の全面見直し、亡きスターリンを髣髴させるような政冶パフォーマンスとのオサラバ。ソヴィエト式社会主義民主主義=政冶選択のできる自由選挙による共産主義(社会主義民主国家)にソヴィエト連邦自体を再建しようとした。極論すると共産主義版アメリカ合衆国を目指した(三権分立・民主主義・資本主義のソヴィエトバージョン)


 外交では『新思考路線』を打ち出し、ブレジネフ政権から継続していた、ソヴィエト経済を疲弊させていたアフガニスタンからの疲弊しきったソ連赤軍の撤退命令を発令しソヴィエト領土拡張の野心に目処を付ける。同時に総兵力700万のソ連赤軍の近代的再編の戦力強化と保安委員会(KGB)の拷問の廃止と組織の刷新強化が行われた。ソ連圧制を敷いた東欧の社会主義諸国(ソ連同盟国)を解除するためWTO軍ワルシャワ条約機構軍)の解散を行う、またソ連衛星国ポーランド人民共和国の首都ワルシャワで行われたソビエト・ポーランド両共産党会議で鉄のカーテンの終了宣言を行い社会主義に反目する諸外国へのアプローチも積極化した。


 ゴルビーは共産主義原理のガチガチの政治家と思えぬほど数の会談を行うようになった、特にソヴィエト最大の仮想敵国だったアメリカ合衆国大統領D・レーガンとの数度にわたる首脳会談は歴史上まれに見る伝説的な、今までありえないほどの協調関係を作り出した。中距離核戦力全廃条約(IMF全廃条約)や米ソ冷戦の終了宣言(1989)は突飛に値する。(米ジョージ・W・ブッシュ)この時の成果からヨーロッパ諸国ではゴルバチョフは民主主義体制の大統領でもめったにお目にかかれない大政治家と目されるようになった。


 ゴルビーは民主主義世界でもなかなか現れない英傑的存在だが、左翼・共産主義世界ではかなり番外的存在であった。『レーニンと労働者党の栄光の歴史の破壊者』という批判を受け足りもした。今まで左翼(レーニンスターリン毛沢東ポルポトカストロトロツキー)を手本にし、理論武装で飯を食っていた物共(ゴルバチョフ以外の共産党員)から食い扶持を全て奪う行為であり、共産党・社会党という組織はなんだったのだという根本的な考えまでさかのぼらならずえず。理論武装で権威を得ていた頭のいい学者共が一瞬にして無価値ではないが塵に等しい存在になった


 さらにばちが悪いことにあの共産主義政冶独裁原理の支柱的カリスマであったV・スターリン書記長の直系の後任の書記長で世界の(一応)ユートピア国家ソヴィエト連邦で『ソ連共産党を完全リセットする勢いで新しい社会主義の価値を提示』しうる存在があわられたというのはあってはならないことではないだろうか。キリスト教がローマ教皇を否定していくようなものだ。ただし他の左翼共がゴルバチョフを非難する資格は全くない、ゴルビーのようにマルクス主義や共産党の組織慣習やそれまでの全てを一応網羅し・また新たに共産主義・社会主義を棄てないままで『表現していく』を行うことがどれくらい困難な作業なことか。この作業は芸術家的な苦悩・困難に近い。これはソ連共産党以前のロシア社民労働党の体質に比較的近い日本社会党でも結局解決できず沈没していった。


 調べれば解かることだがもともとソヴィエト連邦が公に登場する以前のボリシェビキー時代からの政治的展開の頃から『こうゆうこと』はいつかは起こると感じていた人々はいたように思う。過去の文献にはなんとなくちらほらしている(トロツキーなど)。ソヴィエト連邦は野党側が無理やり政権を奪ってめちゃめちゃ踏ん張りながら保ったような強国だからだ。ゴルビーはソビエト人の経済的・心理的・肉体的限界がソヴィエト連邦でまさに来て,

言葉どおり腐りきった連邦を『全てをいったんボリシェビキがソビエト共産党とソビエト政府が粛清内ゲバなどをえてガチガチに一本化完成する中途段階に、ソ連共産党を前のロシア社民労働党的な右派左派が火花を散らした状態に強引に引き戻し、滅茶苦茶でも試行錯誤の政策決定をし、別の可能性を持った(たとえばトロツキーの言うソビエト政府が機能したソヴィエト連邦とか)それまでのことが嘘になるぐらいに素に立ち直ったソヴィエト連邦』を実現し成ればならないと感じていたようだ。素のソヴィエト国家においての民主政治のまともな達成も、素のソヴィエトにおいての超大国にふさわしい実力を持った達成も全て『ソヴィエト共産主義の栄光の歴史の一端』にするつもりだったのだ。ソ連共産党も破壊するつもりは基本的になかったことは、大統領就任後も共産党独裁職の書記長を無意識的に兼任していたことで証明できる。結局ソ連共産党はロシア社民労働党には戻らなかったけど。


 しかしゴルビーがもう少し『共産党ぽいお堅い人』だったらとか、『V・プーチン』みたいに核のボタンを握っていることを鼓舞する奴が共産党第一人者に成っていたらどうなっていただろうか、連邦が多方面に極限限界となって恐慌に陥ったソ連赤軍が核ミサイルを世界の主要都市に撃ちまくり第三次世界大戦ハルマゲドン)とか起こって私たちは存在していなかったのではないかとか、強制的にソヴィエト市民が脳みそにチップを埋め込まれて完全に『ロボット人間』にさせて。

 映画ターミネーターの完全コンピュータ制御のスカイネットに支配された世界のように全自動生体コンピュータ・コミュニストパーテーとロボット人間による無機質な人間越えた恐怖映画のようなソヴィエト連邦が「人間を排除する」とか機械的決定して世界戦争を展開し、世界を恐怖のどん底に陥れる第三次世界大戦ハルマゲドン)とか最悪の方しか考えられない。


 話を戻して1988年ゴルビーはソビエト最高議長(元首)に就任後ソ連憲法の改定し、ソ連共産党オートクラシー全自動政冶専制独裁)の項目を削除、労働者代議員会議下院)を新設を決定、地方都市全部も二院制となった。これでソヴィエト政府は二院制議会を得たことになる。

1889年にゴルビーは労働者代議員会議議長(元首)に就任した。


 その後にソ連邦第1回労働者代議員総選挙が行われそれ、まで永久職だった共産党員も立候補し他ソビエト人から政治家になりたい人々が立候補した、結果はソ連共産党共産党議員の大惨敗に終わった。これは全連邦ソビエト共和国の何処の選挙区でも同じだった・・・。ゴルバチョフ自身も一応議員当選を果たしたと思われるが。各地で選挙に大惨敗した結果についての総括が行われたのかは不明である。この場合、デモクラシー国家の場合政党党首や幹事長・執行部に責任があり辞任となるが辞任しなかったようだ。この間、ドイツではベルリンの壁が崩れ東西ドイツが統一が勝手に進む事態となった。ゴルバチョフ自身はさすがに当初粛○やソ連赤軍を動かし最悪弾○する予定であったようだが、西側ドイツ(西ドイツ)中央政府要人らと議論を重ねることによりNATO軍をこれ以上拡大しないことを条件にドイツ民主主義共和国東ドイツ)自発的にドイツが統一できるように援護射撃をし対処した。(神対応


 どっちにしろソ連共産党はソヴィエト連邦において少数与党に転落したことになる、1922年以来より良い悪いにつけ超絶独裁政党の代名詞だったこの共産党徒党が一挙に頼りない存在になった衝撃は自由主義諸国・社会主義国諸国・ソヴィエト連邦において計り知れなかった、というより歴史上でも例のない政冶状況だ。この結果を受けてロシアソ連社会主義共和国ではロシア最高議会の再建が行われ、エリツィン(当選)がロシア議会議長に就任し、ソ連中央政府とロシア中央政府が二重政府状態となりロシア政府自体ソヴィエト連邦が主導権を握ることになる。ゴルビーはロシア政治での統治権を形骸化させた。


 1990~1991年にロシア政府など野党勢力の圧力よって自身の権力の危機を感じたゴルビーは(民主政治的には正しい)、大統領制を導入し自分の権力の固定化をねらった、さならがら古代ローマ帝国(このばあいローマ共和国)の元首制のローマ皇帝であるが、これによってソ連史上初の『ソビエト市民の第一人者』をえた、これまでは共産党の第一人者だった。


 ゴルビーは自身に迫るエリツィンをリーダーにした『ゴルビー下ろし』にもめげず、アメリカ・中国・バチカン・日本・イギリスをソ連共産党側初めての首脳として歴訪し、日本ではシベリア抑留の被害者の全記録を公開し、バチカンではカトリック教会との和解を成功させた。そしてかなり強引であるがソヴィエト社会主義共和国連邦という国号を代え新ソヴィエト連邦に当たる『ソビエト合衆共和国』(ソビエト合衆国ソ連合衆国)を成立をさせ、一応ソ連構成共和国もソビエト合衆国に参加した。これによって大統領制三権分立民主主義資本主義体制が社会主義国家ソ連史上初めて導入され社会主義国家の建前と調整が進むのかとされたが『ロシア共和国』はもはや、この新ソヴィエト連邦もソヴィエト連邦も相手にしないことを決めていた。


 1991年にアメリカ合衆国とソヴィエト連邦は冷戦の終了を公式に宣言した。20世紀における最高クラスの対立が終了した。

その後ゴルビーはヨーロッパ連合EU)とアメリカ合衆国とソヴィエト連邦の超広域共同体政府、本当の意味での世界政府地球連邦政府設立を立ち上げる。当時の米国・欧州の元首などはこれに真面目に賛同し第一回のアメリカ・ヨーロッパ・ソヴィエト世界的連邦機構の構想会議が行われた。今現在ではこのようなことはヨーロッパ世界でも夢のまた夢に見える、あの時代は在る意味チートだった・・。


 これがソヴィエトの中央・地方・政府機構が数時間おきに崩壊しながら行えたというのは想像を絶する。

ゴルビーはクレムリンでどうゆう心境で生活を行っていたのだろうか。結局ゴルバチョフは1991年の年末(12月31日)に政治生命を絶たれソヴィエト連邦という全存在を失効するという大惨事をもたらしたが、これがあの時代の人間(共産主義者)の最大限の限界だったと思う。よく暗殺されなかったと思う 12月31日はソヴィエト連邦建国記念日であった。


 赤い皇帝からただのロシア人になったゴルビーは現在、国会に議席を持たないロシア社会民主党→ロシア独立民主党など力の陰りの在る野党側政治家として生活している、現ロシア政府のV・プーチン政権ではかなりの苦境だと思われる。今現在のロシア政冶はソビエトまでいかないまでも、同じような危険な専制独裁的な政冶が主流である。金策に奔放することが多いようで、宗教組織や変な団体と交流を持ったなど醜聞も聞くようになった。それは政治家などの支持者集めなどがあるから仕方じゃないか。


 彼の歴史的評価はどうなるかはまだちょっとわからない。

ゴルビーが亡くなったときは白鳥の湖のテーマ(クレムリンの共産党員が亡くなると訃報のBGMで使われた)と旧ソ連国家・革命歌(インターナショナル)(旧ソ連国家・共産党歌)を葬儀曲を希望する。


*文献

ゴルバチョフソ連共産党書記長就任演説

(1985.3.11.モスクワ・クレムリン最高ソビエト大会宮殿)[参考:外務省]


 親愛なるタワーリシチ達(同志諸君)

我々全員・我が党全体・CCCPソヴィエト連邦)は深い悲しみに見舞われました。

忠実なレーニニストレーニン主義)、KPSS(ソ連共産党)CCCPインターナショコミュニスト(ソ連国際連帯共産主義者)

プロレタリア(労働者)運動の傑出したレボリューショナリスト革命家)、慈悲心を持ったオーガナイザ組織構成者)として

豊かなる才能を持ったコンスタンチン・ウスチノビッチ・チェルネンコ(前書記長・第一人者)が逝去しました。


 彼、コンスタンチン・ウスチノビッチは(共産主義的)永い栄光の道を歩みました。


 彼、コンスタンチン・ウスチノビッチは党(パーティーニャ)の部署(ビューロー)の何処においても、彼の能力人々を動かす彼の能力が遺憾なく発揮されました。

 

 彼、コンスタンチン・ウスチノビッチはCCCPKPSS中央委書記長(ソ連共中央委員会書記長)、ソビエト最高議長(元首)のポストにあって。CCCP(ソヴィエト連邦)のエコノミー経済)の発展、ソヴィエト市民(プロレタリアート労働者)の(社会主義)福祉・(社会主義)文化の向上、CCCPの安全保障の確保、地位の向上。地上の平和の維持と強化に自身の全ての才覚・知識・労力を捧げました。

 

 彼、C・U・チェルネンコはKPSS(ソ連共産党)内の統一・中央委員会(CC)・政治局ポリトビューロ)の集団的性格を自分の瞳のように大切にし、党があらゆるレベルで結束した・整然とした・戦闘的有機体として連動するように常に努力しました。

 

 彼はコミュニスト共産党員)のフィロソフィー思考思想)とアクション行動)の統一こそ諸所の欠陥の克服と信じました。それが全ての成果の保障・<アバンギャルド><前衛>であることの保障であると信じました。

 

 CCCPソヴィエト連邦)のソーシャル・エコノミー(社会経済)・ソーシャル・ピープル(社会生活)の発展のスピードアップ、前側面での改善という原則(ドクトリン)は。生前ユーリ・ウラジミロビッチ・アンドロポフ(前々書記長・第一人者)・C・U・チェルネンコが積極的に参加したKPSS中央委員会総会において打ち出された戦略的方針は、今も変わらず堅持しています。


 諸所の課題


 ソーシャル・コミュニケーション(社会的諸関係)のペレストロイカ(改善)、特にエコノミー(経済)のペレストロイカ(改善)、人間そのもののペレストロイカ(改善)、人間の精神的内容の質的ペレストロイカ(改善)を挙げます。


 第一に我々はソヴィエト市民(プロレタリ)の集約的発展路線に移行させるための決定的な路線変更を達成しなければなりません。

我々は短期間に科学技術で最も先進的地位のソーシャル・プログラム(社会生産制)のワークプログラムエコノミー(労働生産経済)の面で世界最高レベルに到達しなければならず、またその義務があります。

この課題を速やかに、より成功裏に解決するためにプログラム・エコノミー・システム(計画経済経営)全体を粘り強く改善しなければなりません。


 MYLORDに進撃(advance)し、最善解決を選ぶに当たり。ソーシャル・エコノミー・プログラム(社会主義計画経済)の基本的諸原則を創造的に適用することが重要です。エコノミー経済)の計画的発展のたゆみなく実現するため<社会主義的所有>(共同財産共産)を強化させ、全古希英企業(カンパニー国営企業)の自治権限を拡大します。これはソヴィエト全国営企業の自主性と責任を高め活動の最終結果(利益・達成感)の関心を高めることを意味します。


そして

<ソヴィエト市民(プロレタリ)の生活状況改善はコミュニテー・プログラム(共同事業)への増大する犠牲を土台にしなればならない>

<ソーシャルフェア(公正社会)はユートピア(社会・共産主義世界)の統一と発展に最も重要である。>

このドクトリン原則教義)からの逸脱のあるところではソーシャルフェア(公正社会)が不回避的に侵害されてしまいます。


 党はデモクラシー民主主義)とプロレタリ(ソヴィエト市民)のソーシャル・マジストテリアル(社会主義内自治体制)においてのオール・レジーム(体制全般)の一括建て直し(ペレストロイカ)をCCCPの内政面での根本的課題と見なしています。これらのポリティカルの問題(政治問題)は非常に複雑ですが、少なからぬ実績あるサクセス・ロード(成功路線)を提示したい。


 それはソヴィエト政府・議会の向上、全ソビエト労働組合中央ソビエト、青少年団(コムソモール)の積極的活用、民主集中制的集団生産労働(人民統制・集団労働)の自由自発的介入などです。


(編集中)


関連項目

神対応

ソ連 ロシア連邦 大統領

ゴルビー/ゴルバチョフ

ボリス・エリツィン


・参考

・マルタ会談(大学生的こうこうせい)

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