419系とは、JR西日本の北陸本線において運用されていた交直両用近郊形電車である。
同一仕様の交流用電車で、715系という形式が存在する。
魔改造
419系は、583系特急形電車を改造した車両である。583系は日本初(及び世界初)の昼夜兼用特急形電車であったが、新幹線延伸に伴い、夜行列車の需要が減少。編成が有り余っていた。
一方、北陸本線などの地方幹線においては旧型客車による列車が運行されていたが車両の老朽化や運用効率化、都市近郊での増発のため電車化が求められていた。だが当時の日本国有鉄道(国鉄)は巨額の赤字に圧迫され、純粋な新製車両の投入には限界があった。
この結果、特急形車両を近郊形車両に改造するという計画が実行に移された。おそらく日本鉄道史上有数の魔改造だろう(国鉄・JR以外の私鉄の特急用車両の格下げ改造はさほど珍しいこともないが)。なお国鉄時代には485系や183系のグリーン車が113系に改造されたことはあるが、1編成まるごと改造されたのは初である。
下記に挙げる理由から運用面での不都合が生じ、元車両から数えれば製造から30年以上たってることによる老朽化も問題となっていたが、419系は21世紀を迎えても全車健在だった。車両価格の高い交直両用車ゆえの置き換え車調達の困難、北陸新幹線計画の見通しがなかなか定まらず、在来線への投資に慎重であったなどの要因が挙げられている。
しかし、2006年に富山ライトレールへの富山港線の移管、湖西線、北陸本線の敦賀以南の直流化などで運用範囲が縮小、さらに521系が投入され始めるとついに廃車が始まった。この時も、より車齢が若いはずの475系から先に廃車されるなど意外なしぶとさを見せ、一部では「まさか、運転台が高くて見晴らしが良いから残されたのか?」との憶測まで呼んだ(実際は、改造車ゆえの“減価償却”の絡みから長く残されたらしい)。
それでも遂に2011年3月のダイヤ改正をもって、全車が定期運用から引退し廃車となった。
改造当初の「5年も使えれば十分」との目論見よりは遙かに長期間の活躍であり、交流専用となった715系の全廃後も生き残り、結局、特急電車時代よりも長く“近郊型”として走り続けていた。十分以上に“元が取れた”と言えるだろう。
一方で原型の583系は数を減らしつつも、波動輸送用としてJR東日本に6連1本が残存している。
国鉄型で特急形から原型車体のまま格下げ改造された数少ない例であり、他には715系しかない。また格下げ改造を受けた車両のほうが原形式より先に全廃されるという意味でも珍しい例である。
主な改造
扉の増設
種車は扉が折り戸が一つだったが、改造時に後ろに一つ折り戸が追加された。が、近郊車としては前例がないほど狭く幅はわずか700mmである。
戸閉回路の変更
これにより、全ての運転台から扉を操作できるようになった。
一部窓を開閉可能に
種車は開閉不可能であったが、片側3枚を4分割ユニット窓にして、混雑時の換気の面を良くした。なぜ片側3枚のみかというと、元々冷房が付いていたから。
中間車に運転台を増設
種車の中間車の妻面を片側撤去。運転台を溶接し、中間車を改造。しかし、妻面が切妻のまま、元から屋根が高いこともあって、あの食パン列車の異名が付いた。また、お金が無かったので上段ベッドは撤去しなかったし、洗面所もカバーをしただけだった。それでも、デビュー当時は「国鉄ひょうきん族」とも呼ばれた。
歯車比の変更
特急時代の高速運転向けの歯車比(3.50)では運用に適さないため、101系の廃車発生品と交換して、5.60に引き上げた。これも本来は通勤型の歯車比で、起動力、加速度が高い反面、最高速度が100km/hに制限されるなど、必ずしも最適ではなかったが、“間に合わせ”ならこれで十分とされた。
デッキ部分の廃止
デビュー時の塗色は赤っぽい色だった。
関連イラスト
そしてこの食パン顔である(ドヤァ)。
車内風景。クロスシート部分は583系のものそのままであり、座り心地は好評であった。
関連動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8789672
迷列車(本家)の人による解説
関連タグ
サンパチ君:JR西日本が決行した非常に意欲的な魔改造。