概要
第46・50代ローマ皇帝コンスタンティヌス家2代当主で、帝都をローマからコンスタンティノープルに移しそこで政治を行った初代の元首である。第44・45第ローマ元首・ローマニア西方地域元首であり4元首の一人、コンスタンティウス・クロルス(皇帝コンスタンティヌス家初代)の息子。崩御間近にキリスト教徒に洗礼を受け「コンスタンティヌス大帝」となる。
キリスト教を公認してその後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから 正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会などのオーソドックスからは 聖人とされ、あの十二使徒に匹敵する重要な人物だといわれることもある。(十三使徒)
略歴
272年 - 誕生。当時、父コンスタンティウス・クロルス(コンスタンティウス1世)はまだ士官であった。
292年 - 宮廷に送られ、ディオクレティアヌスや後に東の正帝となったガレリウス(在位:305年 - 311年)に従軍する。
306年 - ガレリウスの下から、西の正帝でブリタンニア滞在中の父クロルス(在位:305年 - 306年)のところへ向ったが、クロルスが死去。ガレリウスの部下セウェルスが西の正帝となり、コンスタンティヌスは副帝となった。
312年 - イタリア・北アフリカを制圧していた簒奪皇帝マクセンティウスをミルウィウス橋の戦いで破りローマへ入城、西方の正帝となる。
この戦いの前にコンスタンティヌスは光り輝く十字架(ギリシア語でキリストを意味する Χ と Ρ の組み文字であるラバルムという説もある)と「汝これにて勝て」という文字が空に現れるのを見たため、十字架を旗印として戦いに勝利し、これがきっかけでキリスト教を信仰するようになったと言われている。
313年 - ミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認。
324年 - 東方の正帝リキニウスを破り、全ローマ帝国の単独皇帝となる。
325年 - キリスト教徒間の教義論争を解決するために初の公会議である第1ニカイア公会議を開催、アリウス派を異端と決定し、皇帝がキリスト教の教義決定に介入する嚆矢となった。
330年 - ローマからバルカン半島のビュザンティオンに遷都し、「ノウァ・ローマ(新ローマ)」と改称。
337年 - 小アジアのニコメディアで洗礼を受け、その直後に死去。