ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

スホーイの編集履歴

2016-10-23 16:39:52 バージョン

スホーイ

すほーい

ロシア連邦の航空機設計企業

概要

ロシアの航空機設計企業である「公共株式会社スホーイ社」のこと。


ソ連時代の1939年、パーヴェル・オシポヴィチ・スホーイ(АПавел Осипович Сухой)によって第51設計局(ОКБ-51)がハルキウ市(ウクライナ)で開局された。開発した製品にはスホーイの姓から接頭辞Su(Су)が冠せられた。

1949年に閉鎖されるが、1953年に再興。ロシア連邦時代に入って民営化された「公開株式会社スホーイ社」を経て、2014年より現在の名称となっている。


沿革

1937年、TsAGI(中央航空流体力学研究所)でアンドレイ・ニコラエヴィチ・ツポレフの指導の下、軽爆撃機Su-2の設計がスホーイのデビュー作となったが、当時、大規模な粛清があり、師匠にあたるツポレフが「ドイツに機密情報を流した」として逮捕され、スホーイに対するスターリンの心証は良くなかった。

独立して自らの設計局を持ち、Il-2の後継機となるシュトルモヴィクSu-6の開発を進めたが、スホーイは独自の生産ラインを持っておらず、スターリンの「生産ラインを切り替える暇があるならもっとIl-2を作れ」という意向により採用は見送られた。


戦後はジェット戦闘機の開発に着手するが、エルモラーエフ設計局から引き継いだ双発ジェット戦闘機Su-9(K)のレイアウトがMe262そっくりだったことがスターリンの不興を買い、続くSu-15 (P)、Su-17 (R)の開発失敗を労働サボタージュと看做され、1949年、設計局の閉鎖が命じられた。


1953年のスターリン没後、スホーイは航空産業省第1設計局(ОКБ-1)の設計主任に任ぜられ、根拠地となる第51工場を受給された。

当時、ミグ設計局が小型戦闘機開発で手一杯だったため、スホーイには迎撃戦闘機や戦闘爆撃機の開発が期待されていた。

飛行特性を調べるため同じ胴体の後退翼機・Su-7、デルタ翼機・Su-9を試作し、前者が戦闘爆撃機Su-17、後者が迎撃戦闘機Su-15に発展した。Su-15のSTOL研究機T-58VDをベースに戦闘爆撃機Su-24も作られ、元を辿れば全て最初に手掛けた試作機を起源としていると言える。一つの原型からの様々な派生型の開発は、現在のSu-27ファミリーの充実にも見られるスホーイの特色である。


1981年にソ連空軍に制式採用されたSu-27は格闘戦闘機として名を馳せ、ロシア連邦空軍の次世代戦闘機であるPAK-FAの開発も任されている。また、スホーイ・スーパージェットなどによる民間機市場への参入にも積極的であり、ロシアの航空機メーカーとしては今一番勢いに乗っている。


主な製品

Su-2Su-5Su-9(K)
Su-2初音電撃作戦#1435Cy-9
Su-12(右下)Su-7 フィッターSu-9 フィッシュポット
ソ連の地味な偵察機・攻撃機Su-7BKL フィッター敵の偵察機を叩き落とせ!!
Su-11 フィッシュポットCSu-15 フラゴンSu-17 フィッターC~K
Su-11フラゴン航空支援
Su-20/22 フィッターSu-24 フェンサーSu-25/39 フロッグフッド
Su-22Su-24M2 フェンサー【戦闘機ワンドロ48】Su-25 フロッグフット 【戦闘機ワンドロ 72】
Su-26Su-27 フランカーSu-30MKI(インド輸出用)
SU-26M(スホーイ26M)超音速の翼 Vol.3 ~ ソビエトの赤い星 ~Su-30MKI
Su-31Su-33 フランカーDSu-34 フルバック
Su31Военно-Морской ФлотSu-34
Su-35(Su-27M) フランカーE1Su-35S Su-37 フランカーE2
Close your eyesSu-37
Su-47 ベールクト(ファーキン)S-32T-50
Su-47 BerkutPAK FA
T-4スーパージェット100
初音電撃作戦#1436

関連タグ

戦闘機 レシプロ戦闘機 ジェット戦闘機

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました