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サダム・フセインの編集履歴

2017-01-31 15:47:53 バージョン

サダム・フセイン

さだむふせいん

イラクの政治家。サッダーム・フセイン。

イラクの政治家。イスラム教スンナ派のアラブ人。フルネームはサッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティー

このうちアッ=ティクリーティーは「ティクリート出身の」を意味し、フセイン・アブドゥル=マジードは父の名である。アラブ人には姓の概念が無く、父親や祖父の名を乗せて名乗る習慣がある(これは「父称」と呼ばれる)。彼個人の名前は「サッダーム」であり、「直進する者」を意味する。日本のテレビ番組では「困難に立ち向かう者」と紹介されたこともある。

経歴

1937年、イラク中部ティクリート近郊の農家に生まれストリートギャングを経て政治活動に参画、バアス党員となりのし上がって行き、1979年7月17日に大統領となった。


大統領以後

1988年、アメリカ合衆国ソ連の支援を受けてイラン・イラク戦争を起こし、中東の軍事大国にのし上がる。戦争そのものは辛くも勝利した形となったが、1988年までの長きにわたり続いた戦争は深刻な経済危機をもたらした。クウェートによる石油増産を止めさせるためクウェートに侵攻・併合。アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラク領内に攻め込む湾岸戦争を引き起こし大敗した。戦後国際社会からの経済制裁を受け、大量破壊兵器廃棄を受け入れざるを得なくなった。


アメリカ合衆国からは9.11事件を契機としてアルカイダの支援をしているのではないかとの疑念をもたれ、イラクが大量破壊兵器を廃棄せず持ち続けているということにしてアメリカ軍が侵攻、イラク戦争となる。首都バクダッドの陥落に伴い彼は逃亡したものの、隠れ家に潜んでいる所を発見されアメリカ軍に捕らえられた。


逮捕後の裁判では堂々とした態度を見せ、裁判を「戦勝国による茶番劇」だとして非難した。結局イラク戦争の原因となったアルカイダ支援・大量破壊兵器所持の証拠が見つからないまま、大量虐殺などの罪で2006年12月30日に処刑された。


家族

長男ウダイ、次男クサイ、娘婿フセイン・カメルなどの名が知られている。

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