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クリーブランドの編集履歴

2017-06-20 07:50:51 バージョン

クリーブランド

くりーぶらんど

アメリカ合衆国オハイオ州の都市

曖昧さ回避


クリーブランド級軽巡洋艦「クリーブランド」

クリーブランド級軽巡洋艦の1番艦。艦名はクリーブランド市に由来する。

海軍軍縮明けに計画された。主砲、対空兵装、レーダーが充実した強力な艦で、雷装は無かった。


性能諸元

排水量基準:11,800t、満載:14,131t
全長186m
全幅20.2m
機関B&W式ボイラー×4、GE式蒸気タービン×4
最大出力100,000馬力
最大速力32.5kt
航続距離11,000浬(15kt)
乗員1,335人
兵装
  • Mk.16 47口径6インチ主砲(3連装砲塔×4)
  • Mk.12 38口径5インチ両用砲(連装砲塔×6)
  • ボフォース40mm機関砲(4連装×8)
艦載機SO3C水上機×4
GFCSMk.34(主砲)×2、Mk.37(両用砲)×2

艦歴

1937年、ロンドン海軍軍縮条約ワシントン海軍軍縮条約が失効し、アメリカ海軍の保有制限も解除された。

1938年、第2次ヴィンソン海軍法による軽巡洋艦「クリーブランド級」が計画され、その1番艦として「クリーブランド」が建造される事となった。

1940年7月1日、起工。

1941年11月1日、進水。

1942年12月8日、日本が英米に宣戦布告し、太平洋戦争が始まる。

6月15日、就役。

10月10日、北アフリカへ向かう。

12月5日、ソロモン諸島を目指し、太平洋へ向かう。

1943年3月4日、ビラ・スタンモーア夜戦で日本海軍の駆逐艦峯雲村雨)を撃沈。

11月1日、ブーゲンビル島沖海戦に参加。

1944年6月19日、マリアナ沖海戦では第58.3任務群に属した。

1945年2月9日、スービック湾に到着。フィリピン近海で作戦行動。

7月16日、中城湾沖縄県)に到着。東シナ海黄海の掃海攻撃を行うが、日本軍艦艇はほとんど見当たらなかった。

8月14日、日本がポツダム宣言を受諾し降伏。

9月9日、沖縄を出航し、占領支援任務、連合軍捕虜輸送支援を行う。

12月5日、ボストンに到着しオーバーホールを行う。

1947年2月7日、退役。

1960年2月18日、スクラップとして売却。


関連タグ

アメリカ海軍 軽巡洋艦 クリーブランド級

アズールレーン

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