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九三式中間練習機の編集履歴

2017-08-26 15:32:00 バージョン

九三式中間練習機

きゅうさんしきちゅうかんれんしゅうき

大日本帝国海軍の練習機

練習機であることを上空でも容易に識別できるように機体がオレンジ色で塗られていたことから赤とんぼとも呼ばれた。特徴として安定性・信頼性が非常に高く扱い易いながらも、高等曲芸飛行も可能なほどの操縦性を持ち合わせていた点がある。提督各位には「鳳翔さんの赤い矢」と説明するとピンとくるかも知れない。

成り立ち

昭和初期まで練習機には一〇式艦上偵察機や一四式水上偵察機などの旧式になった偵察機などを練習機としていたが、老朽化により稼働率が低下していたこと、実用機の性能向上により実践的な訓練が難しくなったことから、新たに九一式中間練習機を開発したが飛行安定性に劣り、量産されなかった。

そして九一式練習機の改良型として開発されたのが、この九三式中間練習機である。

機体構造

鋼管または木製の骨組みに羽布張りで後退角の付いた上翼を持つ。この構造は九一式と変わらないが、主翼や尾翼の形状、上翼の取り付け位置が変更され実用性を少しでも向上するために細かな改良が加えられている。

運用

海軍に制式採用された後、川西航空機で60機が制作され、渡辺鉄工所や日本飛行機、日立航空機、中島飛行機三菱重工業など海軍と関係のあった航空機製造会社で大量に製造された。

九三式練習機は海軍のあらゆる練習航空隊に配備され、1945年の太平洋戦争終結まで活躍した。

派生機として陸上機型の九三式陸上中間練習機、水上機型の九三式水上中間練習機が制作されている。一部の機体は民間にも納入され空中写真の撮影などに使われた。


太平洋戦争中期からは実用機の性能向上により、初歩的な練習飛行に使われるようになり、第九三一航空隊では対潜哨戒用に空母搭載機にもされた。

また目立たないように塗装を濃緑色に変更し、搭載限界に近い250kg爆弾を搭載して特攻にも駆り出された。この特攻で駆逐艦キャラハンが撃沈されている。

(上記の通り機体構造の骨組みが羽布張りの為に低空飛行時にレーダーで捉えらず、また磁気反応する近接信管も不作動になり対空砲弾が破裂しなかった)


製造機体数が9000機以上と多いことなどから終戦時もかなりの数が残存し、インドネシア独立戦争ではインドネシア共和国軍の練習機としても活躍したが、オランダ軍による飛行場空爆でほぼ破壊されている。

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