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名鉄瀬戸線の編集履歴

2017-09-22 00:51:21 バージョン

名鉄瀬戸線

めいてつせとせん

名古屋市東区の栄町駅と、愛知県瀬戸市の尾張瀬戸駅までを結ぶ名鉄唯一の飛び地路線。

概要

この路線は現在は名古屋鉄道が運営する鉄道であり、栄町駅-尾張瀬戸駅間(20.6km)を結ぶ全線複線・電化路線である。

名古屋の繁華街・栄に乗り入れることもあり、現在の名鉄における稼ぎ頭の路線のひとつでもあるが、名鉄の他の路線とは接続していない(他社の鉄道とは連絡しているが乗り入れはしていない)ため、特殊な車両が運用されていたことでも知られる。


歴史

この路線は瀬戸近辺で製造される陶器(いわゆる瀬戸焼)を輸送するため、鉄道を熱望していたものの、中央本線のルートからはずされてしまった。

そこで、現地の実業家たちにより、軌道を敷設することになり、1905年、瀬戸自動鉄道を立ち上げ、瀬戸から矢田までを開業する。1906年にはが架かり大曽根まで開業する。

当初は電化されておらず、気動車を使用(蒸気機関駆動の蒸気動車であるが、これが日本初の気動車による運行)していたものの、性能の問題により1906年に電化を計画、瀬戸電気鉄道と名を改め、翌年直流600vで電化される。

ところが中央本線はいまだ敷設されなかったため、名古屋の中心まで直接鉄道を敷設する必要が出てきた。いくつかのルートが検討されたが、名古屋城の外堀沿いに鉄道を敷設し、堀川で船に積み替えるということを計画し、1911年にこの区間(通称:お濠電車)が開通した。なお、この区間に関してはあまり広くない堀を通したためとんでもない急カーブ(通称:サンチャインカーブ)や、複線を互いに重ねる形で敷設した単複線(ガントレット)も存在していた。

また、路線の小牧方面、瀬戸方面の延伸が計画されていたものの、前者は却下、後者も着工にいたらず実現しなかった。

1921年、軌道法による路面電車から地方鉄道法による鉄道に変更される。これは名古屋市による路面電車買収に対抗するためと思われる。また1929年には複線化(瀬戸-大曽根間、お濠電車区間は一応複線扱い)するなど、好調を維持したものの、その後国鉄バスなどの路線バスの進出および世界恐慌の影響により経営は悪化する。

日中戦争のさなかである1938年「陸上交通事業調整法」(いわゆる戦時統合)が制定されるが、行政指導以前の1935年、中部地方の大手私鉄であった名岐鉄道愛知電気鉄道の合併により現在の名古屋鉄道(二代目。初代名鉄は前述の名岐鉄道の前身)が誕生していた。そこで1939年、瀬戸電気鉄道はその名古屋鉄道に合併、路線は同社の瀬戸線となり、戦後も分離独立することなく(可能性はないとは言い切れなかった)現在に至る。

戦後の状況

第二次世界大戦後、陸上交通事業調整法が廃止された後も名鉄の一員として歩み始めた瀬戸線は他の路線とは異なり速やかに復旧した。

ところが特に大曽根以遠の線形は悪く、それに伴い脱線事故も発生したためそれを修正する必要が出てきた。

そこで名古屋市と協力する形で名古屋市電乗り入れによる接続(これにより小牧線と連絡する予定であった)が計画され、一部区間はそれにより1956年に新路線となったものの、費用の分担の問題や名鉄側が主導して路線を引こうとしたためそれはなかったことになった。

またこの時代には他の名鉄路線から転属旧型車などが導入(瀬戸電気鉄道時代には、昭和初期に製造された車両電車の中では一番新しい状態であったこと、本線などでは1500Vへの昇圧が行われ以前に使用されていた電車が余剰となっていたことが原因である)され、古い電車好きのファンの方々のたまり場になっていたといわれる。

そして名鉄と名古屋市の協定(東大手駅 - 栄町間を名鉄が地下路線で敷設する代わりに名鉄が持っていた八事 - 赤池間の免許を譲渡する)により1978年の1500V昇圧および栄町への乗り入れ開始、それに伴うお濠電車区間の廃止で3700系(二代目の吊り掛け駆動車両VVVFの三代目とは異なる)や6600系を投入、そして名鉄最後の吊り掛け駆動車両6750系などの登場、さらには遅れて登場した6000系などもあり、鉄道業界ではかなり有名な路線と言える。

しかし平成26年4月には車両がステンレス車の4000系に統一され、名鉄伝統のスカーレット一色の車両はすべて姿を消した。

このまま4000系の天下だと思われたのだが、名鉄の2015年度以降の事業計画において高架工事の運用増のために名古屋本線等で活躍されている3300系(VVVFの三代目)1編成を瀬戸線にも新造して投入、4000系の天下も僅か1年弱でいったん終了している。再び4000系天下になるのは工事終了後の3300系転属後か、それともまたスカーレットが復活するのか、それは誰にもわからない。ただ尾張旭検車区には塗装設備が設けられなかったので、スカーレットがもし復活するとなればラッピングになるだろう。


現行のダイヤと駅一覧

すべて4両編成での運転。

昼間には、普通を15分間隔(半数は栄町~尾張旭の区間運転)、急行と準急をそれぞれ30分間隔で運行しているが、朝夕は準急と普通が増える分、急行の運転がない。

特に平日朝方ラッシュ時の栄町行は、普通のみの高頻度運転が行われる。これはほとんどの駅のホームが4両分しかない上に延長が難しいばかりか、待避線を持つ駅が現時点で1駅もない(厳密には喜多山駅の栄町方向のホーム2・3番線が該当するが、3番線のホームが短すぎるため現在3番線は使われなくなっている)という欠点を補うための措置であるといわれる。

このほか、区間運転では栄町~喜多山、朝方に喜多山→尾張瀬戸、尾張旭→尾張瀬戸、三郷→栄町の便もある。


600V時代は2両編成がメインで特急の運転もあったほか、1500Vになってからも2両編成の列車が残されていたが、栄に乗り入れるようになってから利用客が大幅に増えたこともあり、2両運転はすでにない。


現在の駅一覧


過去に存在した駅

堀川 - 本町 - 大津町 - 土居下 - (清水)


この区間がいわゆる「お濠電車」区間と呼ばれる。堀川駅までの乗り入れはあまり多くなく、大津町駅が実質的なターミナルとなっていた。

部分廃止から相当経過した現在も、大津町駅の遺構が残されており、名鉄により厳重に管理されている。


関連項目

名古屋鉄道 瀬戸線 名古屋市

参照

wikipedia:同項目およびリンク先

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