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中央線の編集履歴

2009-12-03 16:47:02 バージョン

中央線

中央線(ちゅうおうせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)管内の中央本線のうち、東京都千代田区の東京駅から東京都八王子市の高尾駅までの快速系電車の運転系統の案内上および営業上の呼称である。また路線図などの案内や運転上では山梨県大月市の大月駅までとなっているものもある。


なお、JRの路線図や駅ホームなどでは「中央線(快速)」、「中央線快速電車」といった表現でも案内されている。また、御茶ノ水駅 - 三鷹駅間の複々線区間のうち、この快速電車と優等列車が走る線路は「中央急行線」という名称である(後述)が、書籍・雑誌やJRのプレスリリース[1]などでは「中央快速線」と呼ばれることもある。

概要

東京地区の電車特定区間の運転系統の一つで、東京都心と東京都中・西部の多摩地域の各都市とを結び、また都心部では各新幹線の接続する東京駅と副都心のひとつである新宿とを結ぶ役割を担っている。基本的な運行系統としては主に電車特定区間内の東京駅 - 高尾駅間を運行するが、一部は大月駅や青梅線青梅駅(上りのみ奥多摩駅発の設定あり)、五日市線武蔵五日市駅(青梅線経由)、八高線高麗川駅(同)、富士急行線河口湖駅まで運行される。


中央本線の沿革の兼ね合いや運行系統のため、東京圏で単に「中央線」と言う場合には、中央線快速電車を指す場合が多い。この運転系統の駅構内での案内方法は、東京駅 - 神田駅間と武蔵境駅 - 高尾駅間(複線区間)では「中央線」、御茶ノ水駅 - 三鷹駅間(複々線区間)では「中央線(快速)」と案内される。ラインカラーは、かつて運行されていた101系電車の車体色に採用されたオレンジバーミリオン(国鉄朱色1号)。後に201系電車の車体色およびE233系電車の帯色にも受け継がれ、旅客案内などにも使用されている。なお、本系統に限らず、JR東日本の東京近郊区間では、路線案内に用いる色と車体の色を同じものにすることを徹底している。


御茶ノ水駅 - 三鷹駅間では複々線区間となっており、快速系電車は急行線を走行し、並行する緩行線は各駅停車の電車(黄色の帯の電車)が走行する。御茶ノ水駅付近では緩行線と方向別複々線をなすが、以西では線路別複々線となる。中央線は貨客分離を優先とした大改修を行った上で旅客化されていることや、改修に際して渡り線を複々線区間の出入口に当たる地点にのみ設けた関係で、各駅停車以外は快速も特急もすべて急行線で運行されている。そのため、特急の通過待ちをしている快速が緩行線の各駅停車に追い抜かれるダイヤがある。


旅客輸送量は、中野駅 - 新宿駅間が最大である。快速系電車はごく一部をのぞいて東京駅を発駅とし、武蔵小金井、立川、豊田、八王子、高尾等で折り返すことで、西に行くほど輸送力が減る輸送形態であり、緩行線も含めると三鷹以東が最大輸送力となっている(三鷹からの緩行は約半数が東京地下鉄東西線に乗り入れるが、その余裕で中野折り返しが運行されている)。多摩地域から新宿、東京方面への通勤通学路線であるが、朝夕の乗客が完全に片方向に偏るのでなく逆方向の需要もかなり大きい。


日本の鉄道の中では定時性はあまり良くない。ラッシュ時に5 - 6分程度の遅れが頻繁に発生するので、終日定時運行するのは1か月で1日あるかないかである。これは乗客の多さと、1時間に最大30本という超過密ダイヤが主な原因である。2分に1本のペースは、10両編成での高速鉄道運行の限界である。また、東京駅において、2面1線のホームですべての折り返し電車をさばくため、非常に定時運行を守ることが難しい。他にも、人身事故の多さや、30分に1本走る特急や特別快速、通勤ライナーなど多種多様な列車種別があること、青梅線などの支線が多く運行形態が複雑などといった理由もある。常磐線や東海道線などが15両編成で運転できるのに対して、中央線では特急列車を除き最大10両編成であるため、混雑緩和が難しい。


名称について

路線名としては、東京駅 - 神田駅間は東北本線、代々木駅 - 新宿駅間は山手線に属し、その他の区間は中央本線である。国鉄時代はこれらの2区間が二重籍であったが、民営化後に変更された。なお、マルスのシステム上の経路表示においては「中央東線」と呼び、区間は「東京 - 神田 - 御茶ノ水 - 代々木 - 新宿 - 韮崎 - 」となっており、東京 - 神田間が「東北線」と重複し、「山手線」の代々木 - 新宿間は分断されている。


当該区間のうち、御茶ノ水駅 - 中野駅間は東京の国鉄の中で早くに複々線化されたことや、山手線内で複々線の両方に旅客列車が走行し急行運転を行ってきたことから、現在、快速電車や長距離列車などが走る本線は正式には「中央本線(急行線)」と呼ばれる。これは駅構内の出発信号機などの表示などで用いられている。


かつて現在の快速電車は急行電車と称していた。しかし、松本・甲府方面の準急が急行列車(有料)に格上げされ、中央線では有料の急行列車と無料の急行電車が存在することから、混乱を避けるため、無料急行電車を快速電車と改称することとした。


歴史

甲武鉄道の東京都心乗り入れに際して建設された市街線(しがいせん)に関東大震災後の復興事業での貨客分離および長距離列車と近郊電車との路線分離を行うために複々線化した上で列車線兼貨物線として開業したのが現行の中央線快速の始まりとされる。


御茶ノ水 - 中野で複々線が建設され、1932年(昭和7年)に完成した。計画当初は貨物輸送力の増強を図る目的であったが、複々線全線完成後一部時間帯に急行電車を運行させ、旅客輸送力の強化が図られた。また、この計画と同時に総武本線両国 - 御茶ノ水間についても高架鉄道として建設され、この結果東京始発のものをラッシュ時には急行電車として運転することとなり、各駅に停車する電車は一部の時間帯に総武本線へ乗り入れることとなった。


第二次大戦後、俗に言う「通勤五方面作戦」で中野以西の輸送力の増強を図ることになり、1966年(昭和41年)に中野 - 荻窪間の複々線化が完成し、中央緩行線の電車と営団地下鉄東西線(現・東京地下鉄東西線)乗り入れの電車がこの区間に運行されている。なお、1969年(昭和44年)には複々線区間が三鷹まで延長された。だがそれ以降計画はほとんど進まず、三鷹から立川間の複々線化がなされる気配はない。


なお、複々線化と列車運行とが軌を一にしないのは、いわゆる中電とも称される甲府方面の列車の多彩さ・煩雑さと、すでに1960年代までに沿線の都市化が進行していたためとされる。


* 1889年(明治22年)4月11日 甲武鉄道新宿 - 立川間開業。

* 1889年(明治22年)8月11日 立川 - 八王子間延伸開業。

* 1894年(明治27年)10月9日 牛込 - 新宿間延伸開業(市街線の開業)。

* 1895年(明治28年)4月3日 飯田町 - 牛込間延伸開業。

* 1904年(明治37年)8月21日 飯田町 - 中野間電化(直流600V)。

* 1904年(明治37年)12月31日 御茶ノ水 - 飯田町間延伸開業(電化)。

* 1901年(明治34年)8月1日 官設鉄道八王子 - 上野原間開業。

* 1902年(明治35年)6月1日 上野原 - 鳥沢間延伸開業。

* 1902年(明治35年)10月1日 鳥沢 - 大月間延伸開業。

* 1906年(明治39年)10月1日 甲武鉄道御茶ノ水 - 八王子間を買収・国有化し、八王子 - 篠ノ井間を鉄道に編入、これにより御茶ノ水 - 篠ノ井間が鉄道となる。

* 1908年(明治41年)4月19日 御茶ノ水 - 昌平橋間延伸開業(電化)。

* 1911年(明治44年)5月1日 宮ノ越 - 木曽福島間延伸開業(全通)。中央西線を編入し、昌平橋 - 名古屋間を中央本線に改称。

* 1912年(明治45年)4月1日 昌平橋 - 万世橋間延伸開業(電化)。

* 1919年(大正8年)1月25日 中野 - 吉祥寺間電化。

* 1919年(大正8年)3月1日 万世橋 - 東京間延伸開業。

* 1920年(大正9年)5月26日 国分寺 - 下河原間貨物支線開業(東京砂利鉄道の線路を譲受、1910年(明治43年)敷設)。

* 1922年(大正11年)11月20日 吉祥寺 - 国分寺間電化。

* 1927年(昭和2年)2月 東浅川駅が開業。

* 1927年(昭和2年)3月1日 代々木 - 信濃町間複々線化。

* 1928年(昭和3年)5月1日 新宿 - 中野間複々線化。

* 1928年(昭和3年)11月15日 飯田橋駅が開業。

* 1929年(昭和4年)3月10日 国分寺 - 国立間電化。

* 1929年(昭和4年)4月15日 飯田町 - 信濃町間複々線化。牛込駅(現・飯田橋駅東口付近)廃止。

* 1929年(昭和4年)6月16日 国立 - 立川間電化。

* 1930年(昭和5年)12月20日 立川 - 浅川(現在の高尾)間電化。

* 1931年(昭和6年)4月1日 浅川 - 甲府間電化。

o ただし、浅川以遠を結ぶ列車は電気機関車牽引の客車により運転される。

* 1932年(昭和7年)7月1日 御茶ノ水 - 飯田橋間複々線化。御茶ノ水駅改良工事完了。総武本線乗り入れ開始。

* 1933年(昭和8年)7月15日 長距離列車の東京方始発駅を飯田町駅から新宿駅に変更。

* 1933年(昭和8年)9月1日 朝夕ラッシュ時に限り列車線を使用して御茶ノ水 - 中野間で急行電車運行開始。

* 1934年(昭和9年)4月2日 国分寺 - 東京競馬場前間の支線開業(電化路線、国分寺 - 北府中間は国分寺 - 下河原間貨物支線と二重戸籍)。

* 1943年(昭和18年)11月1日 万世橋駅休止(事実上廃止)。

* 1944年(昭和19年)3月5日 急行電車の運行を休日にも拡大。

* 1944年(昭和19年)10月1日 国分寺 - 東京競馬場前間休止。

* 1946年(昭和21年)6月14日 東中野 - 大久保間のカーブ区間でドアより通勤客が放り出され死亡する事故が発生。鉄道事故も参照されたい。

* 1946年(昭和21年)6月17日 朝間上りに限り急行電車が四ツ谷駅を通過。

* 1947年(昭和22年)4月24日 国分寺 - 東京競馬場前間の支線の運行を再開。

* 1947年(昭和22年)5月5日 急行電車に婦人子供専用車を設定。

* 1949年(昭和24年)9月 二等車の連結を再開。

* 1951年(昭和26年)4月14日 三鷹 - 武蔵野競技場前間の支線開業(ただし不定期列車のみ運転)。

* 1951年(昭和26年)9月17日 急行電車の朝間上りの四ツ谷駅通過措置を終了。

* 1956年(昭和31年)9月1日 国分寺 - 下河原間貨物支線の起点を北府中に変更、これにより国分寺 - 東京競馬場前間の支線との二重戸籍が解消。

* 1957年(昭和32年) 急行電車に101系が導入を開始。二等車の設定を廃止し、代わって老幼優先車が設定される(1958年に廃止)。

* 1959年(昭和34年)11月1日 三鷹 - 武蔵野競技場前間の支線廃止。

* 1959年(昭和34年)11月9日 平日に限り急行電車の全日運行開始。

* 1960年(昭和35年)9月10日 東浅川駅廃止。

* 1961年(昭和36年)3月17日 急行料金を徴収する急行列車「アルプス」の運行開始(1960年)により、急行電車を現行の快速電車に改称。

* 1966年(昭和41年)4月28日 中野 - 荻窪間複々線化。休日にも快速電車の全日運行が行われる。

* 1967年(昭和42年)7月3日 国電区間が中野から高尾まで延長。同時に「特別快速」の運行を開始。設定時より昼間時のみ運行。

* 1969年(昭和44年)4月8日 荻窪 - 三鷹間複々線化。

* 1973年(昭和48年)4月1日 国分寺 - 東京競馬場前間の支線廃止。北府中 - 下河原間貨物支線は武蔵野線に移籍(1976年9月20日廃止)。

* 1973年(昭和48年)9月1日 婦人子供専用車を廃止。

* 1979年(昭和54年) 201系試作車の導入開始。

* 1981年(昭和56年) 201系量産車の導入開始。

* 1985年(昭和60年)3月14日 定期普通列車の新宿乗り入れを夜行の下り1本を除いて廃止。

* 1986年(昭和61年)11月1日 定期普通列車の新宿駅乗り入れを朝夕を中心に復活。快速電車の大月方面への直通運行および「通勤快速」運行開始(当初は新宿駅始発の「通勤快速」も設定されていた)。停車駅は現在と異なり、新宿以東と三鷹以西は快速と同じ、新宿 - 三鷹間は中野のみ停車(新宿始発は中野通過)。途中での追い越しはなし。設定は深夜帯。

* 1988年(昭和63年)12月1日 国分寺駅2面4線化完成。従来の特別快速を「中央特快」に名称を変更し、新たに国分寺駅に停車を開始する。また休日の夕方以降にも運転時間帯を拡大する。青梅線に直通し国分寺駅を通過する「青梅特快」を運転開始。当時のダイヤでは青梅特快のみ新宿の発車時刻が他の特快よりも特急に近く、国分寺に停車させるとそこで追い抜かれざるを得ないため、青梅線方面への速達効果を最大限に出すために国分寺駅通過の措置を採っていた。また、夜間の新宿始発含む「通勤快速」を「中央特快」に格上げ。夕方ラッシュ時に新たな「通勤快速」を新設。停車駅は現行と同じ。

* 1990年(平成2年)3月10日 快速電車の富士急行線河口湖までの直通運転開始。

* 1991年(平成3年)3月16日 「おはようライナー高尾・青梅」「ホームライナー高尾・青梅」を新設。

* 1993年(平成5年)4月10日 「青梅特快」が国分寺駅に停車。「通勤特快」運行開始。

* 1993年(平成5年)12月1日 新宿発着の普通列車(下り3本・上り1本)を廃止。115系が新宿駅から完全に撤退。

* 1996年(平成8年)3月16日 八高線電化により青梅線経由で拝島-高麗川間へ直通運転開始。

* 1999年(平成11年)12月4日 「成田エクスプレス」高尾駅発着列車の運行開始(1往復)。

* 2001年(平成13年)12月1日 「おはようライナー高尾・青梅」と「ホームライナー高尾・青梅」が「中央ライナー」・「青梅ライナー」に列車名と運行形態を変更して運転開始。

* 2003年(平成15年)9月28日 三鷹 - 立川間の連続立体交差事業の一環として、前日夜から同日にかけて三鷹 - 国分寺の上り線を仮線に切り替える工事を実施。この際大きなミスが発生し、工事終了予定時刻(朝6時頃)を過ぎても8時間あまり同区間が不通になる状態が続いた。

* 2004年(平成16年)7月19日 同日未明から早朝までの高架化工事により、武蔵小金井駅付近の下り線を仮線化。

* 2004年(平成16年)11月7日 同日未明から朝までの高架化工事により、国分寺・東小金井・武蔵境駅付近の下り線を仮線化。三鷹 - 国分寺間は上下線とも仮線となった。

* 2005年(平成17年)9月5日 女性専用車両を再設定。

* 2005年(平成17年)9月25日 前日夜から同日朝までの高架化工事により、西国分寺 - 立川間の上り線を仮線化。

* 2006年(平成18年)10月9日 前日深夜から同日朝までの高架化工事により、西国分寺 - 立川間の下り線を仮線化。西国分寺 - 立川間は上下線とも仮線となった。

* 2006年(平成18年)12月26日 E233系の運用開始。

* 2007年(平成19年)7月1日 前日夕方から同日朝までの高架化工事により、三鷹 - 国分寺間の下り線が高架になる。

* 2008年(平成20年)3月13日 ライナーにおける183系・189系の使用を終了。

* 2008年(平成20年)3月17日 3月15日のダイヤ改正により新設された東京発箱根ヶ崎行運行開始(平日のみ)。

* 2008年(平成20年)4月10日 国分寺駅西側にある変電所にて火災が発生。午前8時 - 午後3時まで約7時間に渡り東京 - 高尾間(一時は東京 - 甲府間)で運転見合わせ。約50万人に影響し、同区間を併走する京王線のダイヤが混乱、さらに沿線の教育機関や企業にも影響を与えた。

* 2009年(平成21年)1月11日 前日夜から同日朝までの高架化工事により、西国分寺 - 立川間の下り線が高架になる。

* 2009年(平成21年)12月6日 前日夜から同日朝までの高架化工事により、三鷹 - 国分寺間の上り線が高架になる予定。






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中央特快



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