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小中華思想の編集履歴

2017-11-03 15:11:04 バージョン

小中華思想

しょうちゅうかしそう

小中華思想は中華思想に端を発する思想である。

概要

 この思想中華思想の普及により周辺国で生まれた思想である。一部は中華思想と同一のものであるが、一部ではそれと異なる思想を含む。

中華思想

 本来これは中国中華、すなわち世界の中心を指す言葉であり、一言でいえば「自民族中心主義」である。

 この思想は孔子の時代にはすでに存在したとされ、異民族に対し「自らの威厳が届く範囲」と「そうでない範囲」に分類し、そうでない分類を南蛮西戎北狄東夷などと呼び野蛮人分類する、というものであったらしく、特に儒教の考えの一部をなしていた。

 ところが、中国においてはその異民族に支配される状況が発生し、その状況においてはこの思想は停滞し、いわゆる漢民族が支配層になると復活する、という状況であったが、清朝では特殊な形で用いられたとされる。

周辺国への伝播

 この思想が周辺国に伝播されることにより変化が発生している。これが広義における小中華思想である。

日本

 この思想は日本では基本的に否定的に受け取られていたが、例えば江戸時代ごろにおいては朱子学( の人朱熹が儒教を再構築した学問 )の流れにおいて「( 中国が他民族に占領された今 )我が国のほうがその思想の中心にふさわしい」と主張するものがあり、これは明治時代以降の天皇に対する過剰な崇拝および他のアジア諸国への軽蔑につながったという意見も存在する。

朝鮮半島

 中国の影響が強く、古代においては戦争を行っていた朝鮮半島であったが、儒教の導入や地政学上の影響から、「中国と同化することにより中華の秩序の中心となる」ことを目指すようになったと思われる。ただこの思想が異なる点は支配層に強く存在し、自国民の庶民層をも差別した、という点である。

 これを特に小中華思想と呼び、この言葉が使われたのは高麗王朝時代からであるとされる。李氏朝鮮においては朱子学を取り入れ、さらにこの思想を強くした。この思想に変化が訪れたのは清朝への降伏および大明の滅亡である。これにより日本と同じく「中華が異民族に抑えられた今我が国こそが中華である」という思想に目覚めたといわれ、これらの思想は大韓帝国の滅亡により朝鮮の知識層であり保守的であった儒学者が力を失うまで維持されたといわれる。

 ただし中国における朝鮮半島の扱いはあくまで属国であり東夷に過ぎず、他の国、例えば琉球などと同格であったと思われる節がある。

影響

 この思想は先進国であった中国の文明を取り入れることには有利に働いたものの、逆に周辺国の文化、あるいは自国の文化を軽蔑したり、政治上の重大な選択を誤る原因となる、というデメリットも存在し、例えば倭寇に混じる中国人は切ることを認められなかったり、満州人に対する扱いを誤り危うく亡国寸前にまでなったり、ハングルに関してはそれにより普及が遅れた可能性などを指摘されている。

 また、李氏朝鮮後期の思想に関してはそれまでとは異なり自国の文化向上に寄与したものの、鎖国などにより他国からの技術流入を拒絶する結果となった面も否めない。

 また、この思想が日本による支配などを経て国粋主義と結びつき、現在でもこの思想が大韓民国朝鮮民主主義人民共和国などの支配層及び民衆に亡霊のように生き残っているのではないか、という指摘も特に一部からある。

関連項目

思想 中華思想 ナショナリズム

朝鮮半島 日本

参照

wikipedia:同項目中華思想

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