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ヘレナの編集履歴

2017-11-18 00:04:33 バージョン

ヘレナ

へれな

ギリシャ語の「ヘレネー」がラテン語化した人名。

曖昧さ回避


概要

ギリシャ語のトロイア戦争の原因となった絶世の美女の名前、「ヘレネー(Έλενη)」がラテン語化して「ヘレナ(Helena)」となった。

名前の意味はギリシャ形は「明るさ・明朗さ」、ラテン形は「光」がある。

略称にリーナレナ、変化形にヘレンエレンエレナなど。


軽巡洋艦「へレナ」

アメリカ海軍のセントルイス級軽巡洋艦2番艦(CL-50)。艦名はモンタナ州ヘレナ市に因む。

1939年8月27日進水、9月18日就役。

1941年12月7日、真珠湾攻撃で日本海軍機の最初の標的となった。魚雷1本が命中、至近弾多数。本土に回航されメア・アイランド海軍造船所で修理され、新型レーダーを装備。

1942年9月、ガダルカナル島への輸送船団を護衛する。その後、第18任務部隊に合流。9月15日、空母ワスプ」が「伊19」の攻撃で炎上し、「ヘレナ」は乗員救助に当たる。10月11日、ヘンダーソン飛行場砲撃のために接近してきた日本艦隊とサボ島沖で交戦(サボ島沖海戦)。新型レーダーにより、いち早く日本艦隊を探知した。11月13日未明、ヘンダーソン飛行場砲撃のために接近してきた日本艦隊とアイアンボトムサウンドで交戦(第三次ソロモン海戦第一夜戦)。夜戦で司令官のキャラハン少将が戦死し、「ヘレナ」のフーバー艦長が任務部隊を指揮して撤退したが、「伊26」の攻撃で轟沈した軽巡洋艦「ジュノー」の生存者を見捨てて逃げたため、解任させられた。

1943年1月よりニュージョージア島の日本軍に艦砲射撃を繰り返す。

7月4日夜、クラ湾への上陸部隊を掩護。ガダルカナル島沖に引き返した所で日本海軍の「東京急行」の接近を知らされ、再びクラ湾に向かった。7月5日夜、クラ湾で日本海軍第三水雷戦隊と交戦(クラ湾夜戦)。「ヘレナ」に魚雷が3本命中し、轟沈。


重巡洋艦「へレナ」

アメリカ海軍のボルチモア級重巡洋艦8番艦(CA-75)。艦名はモンタナ州ヘレナ市に因む。

1945年4月28日進水、1945年9月4日就役。

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。7月6日、サンフランシスコ港を出発し、朝鮮へ向かう。8月7日、端川市を艦砲射撃。9月13日、仁川上陸作戦の準備のため、イギリス海軍空母「トライアンフ」と共に鎮南浦で艦砲射撃と爆撃を行った。

1950年11月、オーバーホールのためロングビーチに入港。

1951年4月18日、佐世保で第77任務部隊に合流。6月、韓国東海岸各地で艦砲射撃を行う。その後、第77任務部隊に戻る。7月3日、平壌を空爆する空母「トライアンフ」と空母「ヴァリー・フォージ」を援護。12月8日、オーバーホールのためロングビーチに入港。

1955年1月18日、人民解放軍江山島を占拠し、中華民国軍大陳群島の防衛が困難になった。2月8日から2月11日にかけて、大陳群島から台湾に中華民国の軍民を避難させるため、中華民国海軍と共同作戦を行った。

1958年8月23日、人民解放軍が金門島守備隊に対し砲撃を開始。9月7日、「ヘレナ」は中華民国軍の輸送船の護衛に当たる。

1961年1月中旬、アメリカ海軍第1艦隊旗艦となる。

1963年6月29日退役。

1974年1月1日除籍。スクラップとして売却。


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