解説
前身は1968年創設の「藤和不動産サッカー部」。(栃木県那須に設立。)
1971年、創部から3年8ヶ月でJSL昇格。
1975年、後期リーグから藤和の親会社のフジタ工業に転籍し、フジタ工業クラブサッカー部と改称。
翌1976年から本拠地を東京に移した。同時に練習グラウンドを神奈川県平塚市に移転。
(これがのちに平塚移転塚移転に繋がる。)
その後フジタ工業のサッカー部となり呼称はフジタ。後に社名変更でフジタサッカークラブに改名。
本場ブラジルのプロ選手であったセルジオ越後を始めブラジル出身の技巧派選手を揃え攻撃的なブラジルサッカーで席巻、セルジオ越後が去った後に3度JSLを制覇した。
1993年、Jリーグ準会員に承認。同時に「ベルマーレ平塚」に改名。
1994年にジュビロ磐田とともに加盟。
翌年、中田英寿が加入。その年、ACLの前身の一つであるアジアカップウィナーズカップで優勝した。
1998年、W杯メンバーとしてGK小島伸幸、ヒデ、FW呂比須ワグナー、DF洪明甫(韓国代表)を輩出。W杯終了後、ヒデはイタリアのACペルージャへ移籍した。
1999年、メインスポンサー(…というかほぼ経営母体?)だったフジタが経営再建のためスポンサーから撤退。主力の大量放出の末J2に降格した。これが所謂ひらつ化である。
2000年にチーム名を現行の「湘南ベルマーレ」に改名。しかし、いまだに「ベルマーレ平塚」でチーム名が止まっている人も珍しくない。
そこからはJ2に長く沈むことになる。
2010年にJ1昇格を果たすも最下位で降格、2013年にも昇格したが16位で降格した。
2014年、開幕から勝ち続け、第9節横浜FC戦でJリーグの開幕連勝記録を更新した。
それまでのJリーグ記録は浦和レッズが2000年にJ2で記録した8連勝である。(J1では横浜F・マリノスの2013年の6連勝)
その後も勝ち続け、第14節アビスパ福岡戦でJ2リーグ連勝記録に並んだ。(札幌とタイ記録)
※連勝が増えるごとの表情の変化に注目
しかし第15節愛媛FC戦で敗北を喫し、連勝記録はタイとなった。
前半戦終了時に勝ち点60を記録(20勝1敗)。
そして第33節京都サンガF.C.戦において史上最速でのJ1昇格を内定させた。
正式に決定するのは9月28日のクラブライセンス交付後となっていたが、
無事J1クラブライセンスが交付され、昇格が確定した。
しかしクラブライセンス交付前って速すぎる…
マスコット
「キングベルⅠ世」。
モチーフは海の神ポセイドンなのだが、川崎フロンターレのふろん太からは「キングベルおじいちゃん」と、又、愛媛FCの準マスコットである一平くんからは「爺」と呼ばれ慕われている。
(月刊J2マガジン曰く、「神様というよりフツーのエロ爺に近い」?)
スタジアム
Shonan BMWスタジアム平塚。コンコースが狭いので飲食売店はスタジアム敷地外に設置されるが、満足度はかなり高い。
平塚駅からは徒歩でも行かれるが少し離れており、シャトルバスの運行もしている。
自動車の場合、平塚市総合公園やその周辺の駐車場を利用することになる。平塚駅前のものも含めれば駐められないということまではならない。(ただし、総合公園側はJ観戦者の駐車場利用を一応禁止している…はずである。)
別名・表記ゆれ
関連タグ
横浜F・マリノス・川崎フロンターレ・横浜FC 同じ県内にあるチーム
横浜DeNAベイスターズ ホームのある公園の同じ敷地内にファームの本拠地がある。
Fリーグ 2007年よりフットサルに参入。なおこちらの本拠地は小田原市である。
日本女子サッカーリーグ フジタがスポンサーだった頃、1990年に女子サッカーの天台FCを支援、『フジタ天台SCマーキュリー』(のち「フジタサッカークラブ・マーキュリー」)として日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に参加、ベルマーレ平塚と兄妹チーム的存在となり、同じデザインをベースとする黄緑色のユニフォームを採用した。フジタの支援打ち切りと同時期の1999年に解散。