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スハ32系の編集履歴

2018-03-28 23:33:06 バージョン

スハ32系

すはさんじゅうにけい

スハ32系客車とは、1929年から1942年にかけて、当時の日本国鉄を運営していた、鉄道省が製造した客車形式の一群に便宜的に付けられた系列名称である。

概要

スハ32系は、直前に作られていた17m級2軸ボギー鋼製車(オハ31)の後継としてつくられた。

オハ31系では鋼鉄製の車体(屋根・内装・床は木造であり半鋼製)とはなったものの、その車体寸法や内装の基本は木造のナハ22000系と殆ど同じであった。またオハ31系は自動連結器の採用に際し全ての車両が連結器の衝撃を全て台枠中梁で負担する前提でつくられており、車体は大きさの割に極めて重かった。

ちょうど時を同じくして、オハ31系までで用いていたTR11系台車の主要部品球山形鋼(バブルアングル)が製造中止となった。この形鋼は、基本的には造船材料で、造船不況で製造を辞めたのだった。乗り心地はともかく、作りやすかったのか鉄道省は生産中止の撤回を求めたが、必要数の100倍の買い取りを要求され、断念せざるを得なかった。

そのため、台車の変更(同じアメリカ型であるペンシルバニア形へ)、車体の大型化(2軸車でも20m級を標準化)などの設計変更を施し登場したのが、スハ32系の初期グループ・二重屋根(モニタールーフ)の一群である。

17mで3等車80人乗りであったナハ22000~オハ31の座席配置のまま(シートピッチ1300~1335mm)車体を3mほど延ばすと96人乗りに出来たが、これを1組8人分減らすことでシートピッチを拡大(1455mm)、20m88人がけが標準となった(戦後の元接収車両の格下げ車や60系では狭いピッチを選択、96人乗りとした)。


のち3等寝台車のために丸屋根を用いたグループが出来、これが全車種に波及。

3等車の製造は、本州以南向けは1939年(昭和14年)のオハ35系の登場と共に終わったのであるが、北海道と樺太向けは気候の関係で※、転換クロスシートの2等車は構造上必然的に狭窓となるためこの系列のままで継続増備され、3等車は昭和17年(1942)年まで北海道向け、樺太向けが増備されている。なお、製造中の時点では樺太向けの発注元は鉄道省ではなく、一種の植民地政府である樺太庁の所管する鉄道(樺太庁鉄道)であり、別個の形式を持っていた。

現車が工場から出る前に「内地一体化」で名称はそのままに「樺太庁」は現行制度でいうところの「都道府県」の一つになったため、庁営鉄道も鉄道省へ移管、同じ国鉄車両となった。

同じ運営元であるなら必要の高い方へ持っていってしまおう、という動機からか組織改編のあと引き渡しのスハ2650(スハ32相当)は5両中4両は渡樺せず、戦後形式を書き換えた。


※車両の重量等級が1つ上がるにも関わらず継続増備となったのは、オハ35のような広窓は、ガラスの比重(2.5)の関係で割れにくい厚さを取るとかなり重くなり、平均的体力の主では窓を開けられなくなるため、そのまま寒地向きにすると内窓にもバランサーを付けねばならなかったからである(内窓の入っている場所は、本州以南用では日よけの鎧戸や防煙網戸の入っている溝を使っている)。言い換えれば、狭窓は外窓を含めてバランサーなしも普通と言うことになる(後年の電車の2段窓も、縦横違うが同様に1枚の窓枠の重量のたかが知れるため、基本的にバランサーは省略される)。さらに北海道より数段寒冷な樺太向けは当初はデッキの外側・貫通路部分にも扉があり、他の車両と連結していてもホロ布1枚で外気にさらされるデッキ内部の保温をしていた。

車種(主要なもののみ)

登場時点では5桁の数字のみが「形式」だったが、非常に煩雑なため(特に酷いのは35系だったが)、1941年改定後形式を基本とする(また複雑に入り組んだ増備が、形式+シリアルナンバーという現在のJR車付番につながった・・・が今度は戦後カタカナを読めない進駐軍の接収部隊要員が車両の徴用間違いを続発、結果「軍番号」と呼ばれる3~5桁の別体系番号が併存することにもなる)。

普通車

(当時は3等車)1941年以降の形式が「オ」級のものも製造時は「ス」で計画(実際には軽かった)

スハ32・スハフ32・スハニ31

ダブルルーフ車32600・32400・35650

戦時中の中国(華中鉄道・標準軌)へ供出された車があり、後ろから逆順で出してそのあと1941年改番を迎えたため、ダブルルーフの末番と製造数は食い違う。

丸屋根車32800・34400・35700

他に樺太編入車2650(スハ32相当・改番)・2600(スハフ32相当だが先に製造、全数渡樺)

現地は車両ブレーキが統一されてないため機関車だけで制動するという物騒な状態で(その代わり低速運転だった)、機関車から空気圧供給がない場合もあり、トイレなどの水タンクは天井にあったのも特徴。

他に17m級に縮めたスハフ32というべき私鉄車両が戦時買収で国鉄車となりオハフ36とされた。

公式な図面は廃車まで一度も作られなかったが、全くの縮小コピーのため、特段問題にならず。

特急専用座席車

オハ34 (スハ33000→33980→オハ34)実車重量が軽かったため、改定後「オハ」となる。

シートピッチ1600mmと広い。

寝台車

スハネ30・スハネ31→オハ34→スハネ30(2代目)・スハネフ30

5桁時代:30000=スハネ30(初代) 30100=スハネ31


優等車両

二軸ボギー(座席車)

スロ32・スロ33・スロ34・オロ35

三軸ボギー(主として寝台車)

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