概要
1950年に「広島カープ」として創立。1968年に東洋工業(現マツダ)参加してから現在のチーム名に改称。
1960年代まではユニフォームの大本は紺色であったが、1973年にチームカラーに赤が取り入れられて以降は「赤ヘル軍団」と呼ばれるようになった。
本拠地はマツダスタジアム。
フリーエージェント選手は慰留しない、補強資金が少ないことから、自前の選手を育てるためにとにかく猛練習(阪神タイガースにFA移籍した金本知憲が、阪神の練習が広島と比べると楽だったことに拍子抜けした、という逸話がある)、グッズの注意書きが妙にハイセンスなどの他球団には見られない様々な特徴がある。
(原則としてFA選手の出戻りは許さなかったが、メジャーへ移籍し日本へ戻るなら広島と公言した黒田博樹と阪神へ行ったものの自由契約となった新井貴浩は例外。)
1991年の優勝以降、後述する逆風の中戦力の低下やそれに伴う成績の低迷が続き、12球団で最も優勝から遠ざかっていたが、2016年8月24日の巨人戦で勝利し、25年ぶりにマジック「20」を点灯させた。
そして9月10日の巨人戦で勝利したことで25年ぶり7度目のリーグ優勝を達成した。
球団マスコットは「スラィリー」。
キーワード・歴史
原爆からの復興の象徴として、広島に球団創立
1949年のプロ野球に拡張を受けて、カープの前身組織となる「広島野球倶楽部」を設立。日本野球連盟への加盟申請を受理され、翌年よりセ・リーグに参加する。
愛称の「カープ(carp)」は、広島市内を流れる太田川の名産である鯉と、先の1945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)中の8月6日の原爆投下で焼け落ちた広島城の別名「鯉城」からとったもの。
球団創立からしばらくは最下位争いの常連。
1951年には球団解散の危機に陥ったものの、広島市民の「樽募金」などによって何とか回避する。
それでも1960年には初の勝ち越しを果たし、1957年には本拠地を広島市民球場に移転、広島県下初のナイターが行われた。
結局、1968年に球団創立19年目にしてAクラス入りまで浮上のきっかけは全くつかめなかった。
「広島東洋カープ」の誕生、赤ヘル黄金時代
1968年に東洋工業(現マツダ)が筆頭株主となって、球団名を現在の「広島東洋カープ」に改称。1970年代も序盤は低迷が続く。
1973年より本格的にユニフォームに赤が取り入れられる。
1975年、ジョー・ルーツが球団初の外国人監督に就任。ルーツは5月を待たずに監督を辞任するものの、チームは中日ドラゴンズ・阪神タイガースと熾烈な優勝争いを繰り広げた末、球団創立25年目にしてセ・リーグ初優勝を果たす。日本シリーズでは惜しくも阪急ブレーブスの前に敗れたが、優勝後のパレードでは30万人ほどが集まり空前の盛り上がりを見せる。
その後はコンスタントにAクラス入りを果たすと1979年に2度目のリーグ優勝。この年の日本シリーズでは江夏の21球を演じた末、初めての日本一に輝く。1980年も優勝、日本一の2連覇を達成。
1980年から1991年の優勝までの12年間で毎年Aクラスに入り、その間に山本浩二、山本一義、衣笠幸雄をはじめとして、外木場義郎、津田恒実、大野豊、江夏豊、山根和夫、北別府学、大下剛史、金城基泰ら名選手が次々と出てカープ黄金時代を演出した。
1990年代、長く出口の見えないBクラスのトンネルへ
1991年、これまで抑えを務めていた津田が病に倒れる。それでも川口和久、佐々岡真司、野村謙二郎、前田智徳、西田真二、山崎隆造らの活躍でリーグ優勝。
1992年は読売ジャイアンツ・ヤクルトスワローズ・阪神との四つ巴の優勝争いを演じ、結果ヤクルトに優勝を譲る。
1993年に津田が脳腫瘍で急死。そのショックからかチームは調子を急激に落とし、1974年以来の最下位に沈む。
その後緒方孝市、金本知憲、黒田博樹ら名選手を輩出するも優勝は出来ず。さらに1997年以降は2013年まで一度もAクラス入りができなかった。
さらに「独立採算制」というチーム事情により他球団より資金面で非常に厳しいこともあり、1993年に導入のFA制度やドラフトの逆指名制度により、数々の辛酸を舐めることになる。
そのため、川口、江藤智、金本、新井貴浩ら主力選手が次々とFAで流出。こうした状況もあり21世紀に入ってから圧倒的にシーズン5位に終わることが多くなった。
監督も山本(第二次)→マーティ・ブラウン→野村と変わるも最高位は4位。
それでも栗原健太(現東北楽天ゴールデンイーグルス)、永川勝浩、前田健太、梵英心、福井優也、野村祐輔ら生え抜きのレギュラーが活躍した。
念願の3位Aクラス、CSへ
2013年は前田健、大竹寛、野村、ブライアン・バリントンが10勝カルテットを形成し、野手陣は東出輝裕に代わってセカンドに定着した菊池涼介ら若手選手が活躍。
中日、横浜DeNAらを振り切って1997年以来の3位Aクラス入りを果たした。
そして、初出場のCSではファーストステージでシーズン2位の阪神相手に2連勝しファイナルステージ進出を決めた。
しかしファイナルステージでは巨人相手に3連敗、シーズン1位のアドバンテージ込みで0勝4敗で日本シリーズ進出はならなかった。
2015年は緒方孝市新監督の下、黒田(と新井)の電撃復帰で幕を開ける。開幕後は新助っ人ジョンソンや、エース前田健太を筆頭に先発陣は好調も、打撃陣が今ひとつで僅差のゲームを落とす場面が目立ち、一時は最下位まで沈んだ。それでも、先発から中継ぎにまわった大瀬良大地、急遽クローザーに抜擢された中﨑翔太が安定感を見せ始め、田中広輔、新井を中心に打撃陣も復調すると、ヤクルト、巨人、阪神との熾烈な優勝争いを演じた。終盤は阪神とのCS争いに敗れ、4位でシーズンを終える。
2016年、25年越しの悲願
2016年1月、長年エースを務めた前田健太がロサンゼルス・ドジャースにFA移籍、投手陣の弱体化が懸念されたが、ベテラン・黒田の奮闘、低迷期を脱した野村、安定感のあるジョンソンを筆頭に、2年目の薮田、ルーキー岡田、軟投派新助っ人ヘーゲンズらの活躍に加え、中継ぎ陣は、豪速球で相手をねじ伏せるジャクソンや、大瀬良、今村、一岡、守護神・中崎ら若手投手陣が活躍した。一方、攻撃陣もベテラン・新井を中心に、中日から移籍してきたエクトル・ルナ、来日5年目の長距離砲ブラッド・エルドレッド両助っ人や、田中、菊池、丸ら中堅も活躍、鈴木誠也、松山、安部も台頭して、決め手に欠ける他チームを圧倒、2016年9月10日、25年ぶり7度目のセ・リーグ制覇を果たし、10月15日にはクライマックスシリーズで横浜DeNaベイスターズを下して日本シリーズ出場を決め、チームは黄金時代を予感させる新たな時代を迎えた。その一方で低迷期のチームを支えた倉、広瀬が2016年限りで現役を引退することを決意、チーム復帰2年目のベテラン・黒田も日本シリーズ終了後の引退を表明、チームは黒田のつけていた背番号「15」を永久欠番にすることを決定、その功績をたたえた。10月22日から始まった日本シリーズでは惜しくも北海道日本ハムファイターズに敗れたが、セ・リーグの代表の名に恥じぬ戦いを見せ2017年以降に大きな期待を抱かせた。
2017年、セ界二連覇。しかし…
前々年の2015年がBクラス(4位)であったため、当年に開幕権はなかったが、開幕権を保有していた阪神が返上したため、開幕戦をマツダスタジアムで迎えることとなった。2年連続でジョンソンが開幕投手に決定した。開幕戦こそ落としたものの、その翌日から10連勝(1分けを挟む)し、昨年の11連勝以来2シーズン連続となる2桁連勝記録を残し。王者の存在感を見せつけた。
しかし、順調と思われたチームの動きも暗雲が見え始める。その後チーム全体の防御率の不振、ジョンソンがインフルエンザにより長期離脱、エース野村祐輔の腰痛での離脱と不運が相次ぐ。その後の阪神戦、5回表まで9点差と大差でリードしていた状況から逆転負けを喫し、開幕以来首位を走っていたチームは2位に転落してまう。
その後、連勝を重ね首位を奪還し阪神との首位争いをし繰り広げる中リーグ首位で迎えたセ・パ交流戦では、福岡ソフトバンクホークス、埼玉西武ライオンズ、阪神タイガースと4つ巴の優勝争いとなり交流戦全体に大きな影響を与えた。しかし優勝を迎えるべく迎えた交流戦優勝をかけた最終戦ソフトバンク戦で敗北し2位に終わり球団初の交流戦優勝とはならなかった。
交流戦終了後、首位を争っていた阪神が選手層の薄さから極度の打撃不振に陥り急失速、9連敗を喫するなか、チームは岡田・薮田・野村・ジョンソンら先発陣が奮闘、丸・エルドレッド・鈴木誠也・安部ら打撃陣も好調を維持して首位を独走、梅雨明けを前に他者を寄せつけぬ強さを見せつけていた。しかし、左ハムストリング筋損傷によりジョンソンが一時離脱、若き主砲・鈴木誠也も右足脛骨内果骨折、三角靭帯損傷により今季絶望となり戦力低下がささやかれたが、層の厚さは他チームの追随を許さずセ・リーグ首位を走り続け、9月18日に甲子園にて二位阪神との直接対決を制し連覇を達成した。この年は二軍もカープが優勝した。
…しかし、CSでは3位から這い上がった横浜DeNAベイスターズに軍配が上がり、日本シリーズ進出はならなかった。
また、ドラフト会議では「地元高校生は1位で取らない」という不文律を破り、高校No.1捕手と称される地元・広陵高校の中村奨成を1位指名。中日ドラゴンズとの競合の末に指名権を獲得し、後日入団した。
セ界王者として迎えた2018年
2018年の開幕投手は2016年からマエケンからエースの座を引き継いだ野村が開幕投手となった。中日ドラゴンズとの三連戦を白星で飾り、好調な滑り出しを見せた。しかし、鈴木誠也の一時調整による登録抹消、更には新井貴浩、バティスタの調整不備により開幕2軍の確実なものとなった状況が引き金となりその後のDeNA、阪神と開幕2カード連続で負け越し首位の座をDeNAに明け渡すと4月13日からの巨人戦で堂林翔太、水流昴らの打撃が復調し始め同カード3戦目で菊池涼介が2打席連続ホームランを撃ち放ちカード勝ち越しを決め、この時点でDeNAとの差を0.5とし、DeNAと互角の状況とし緊迫状態入る。その後の4月17日からのヤクルト戦で勝利し首位に立ちその後ヤクルトとの同カードを全勝し再びチームは波に乗り出す。
pixivでは
またカープ坊やを改変した(例として他球団のマスコット)イラストも多数投稿されている。
選手・首脳陣
(所属は2017年4月25日現在)
監督・コーチ
一軍
79緒方孝市…監督
71高信二…ヘッドコーチ
90玉木朋孝…内野守備・走塁コーチ
75廣瀬純…外野守備・走塁コーチ
72東出輝裕…打撃コーチ
91迎祐一郎…打撃コーチ
78畝龍実…投手コーチ
73小林幹英…投手コーチ
84植田幸弘…バッテリーコーチ
二軍
89水本勝己…監督
85永田利則…外野守備・走塁コーチ
80山田和利…内野守備・走塁コーチ
83朝山東洋…打撃コーチ
92森笠繁…打撃コーチ
88佐々岡真司…投手コーチ
87澤崎俊和…投手コーチ
76倉義和…バッテリーコーチ
三軍
82浅井樹…統括コーチ
86菊地原毅…投手コーチ
93青木勇人…投手コーチ 強化担当
投手
11福井優也
12九里亜蓮
13加藤拓也
14大瀬良大地
16今村猛
17岡田明丈
19野村祐輔
20永川勝浩
21中﨑翔太
23薮田和樹
24横山弘樹
26中田廉
28床田寛樹
29ケムナ誠
30一岡竜司
34高橋昴也
36塹江敦哉
39飯田哲矢
41藤井皓哉
46高橋樹也
47山口翔
48アドゥワ誠
53戸田隆矢
56辻空
57オスカル
64中村恭平
65長井良太
66遠藤淳志
67中村祐太
68平岡敬人
98佐藤祥万
120岡林飛翔
121藤井黎來
122佐々木健
142ジョアン・タバーレス
143ヘロニモ・フランシア
捕手
22中村奨成
27會澤翼
31石原慶幸
32白濱裕太
40磯村嘉孝
54船越涼太
61坂倉将吾
内野手
0上本崇司
2田中広輔
4小窪哲也
6安部友裕
7堂林翔太
25新井貴浩
33菊池涼介
45桒原樹
52庄司隼人
59美間優槻
63西川龍馬
69青木陸
123木村聡司
外野手
9丸佳浩
10岩本貴裕
35下水流昂
37野間峻祥
38赤松真人
43土生翔平
44松山竜平
49天谷宗一郎
50高橋大樹
51鈴木誠也
60永井敦士
OB
永久欠番
3・衣笠祥雄
8・山本浩二
15・黒田博樹
題材にした作品
- 広島カープ誕生物語:黎明期~1975年のリーグ初優勝までを描いた作品。この間に起こった出来事をほぼノンフィクションとして描いている。
関連タグ
個別
おとぎ銃士赤ずきん スラィリー カープ坊や 鯉 球場ラヴァーズ マツダ メロディ・パトリシア・ノーマン
カープが題材の二次創作ネタ
カープお嬢 カープ美波 25番というフレンズ 広島東方カープ
カープファンの人物・キャラクター
太字は架空人物
アンガールズ、宇治原史規、奥田民生、小野早稀、かきふらい、岸田繁、北沢力、俵万智、堂珍嘉邦、徳井義実、内藤哲也、西脇綾香、橋本じゅん、花田十輝、ポルノグラフィティ(岡野昭仁、新藤晴一)、桝太一、南夏奈
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