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キリシタン大名の編集履歴

2018-06-30 21:36:48 バージョン

キリシタン大名

きりしたんだいみょう

キリシタン大名とは、戦国時代~江戸時代初期にかけて、キリスト教(カトリック)に改宗した大名たちのことである。

概要

宣教師たちは戦国時代日本において布教するにあたり、各地を支配する大名たちに掛け合い、領内での布教の許可をとりつけた。

その際に当の大名たちにも伝道を行った。外国人が保有する技術や貿易の利益も魅力的であったが、キリスト教そのものに惹かれて改宗した者もいた。


神仏への暴挙

しかしキリシタン大名の中には、日本で古来から信仰される土着の神道や、神道と結びつきが強い仏教異教だとして敵視し、仏閣を破壊する者や仏像などを冒涜するなど暴虐を働く者が数多く現れ、問題視されるようになった。


具体的には長崎の生糸貿易を仕切っていたイエズス会が、キリシタン大名を背後から援助することで大名の権力争いに介入、それにより神社仏閣の物理的な破壊に暗黙の了解を与え、土地の寄進や寺社の破壊をキリシタン大名に行わせていた。


肥前国彼杵地方を治めた大村藩で伝えられる『大村郷村記』や、ルイス・フロイスの報告などの記録書によれば、キリシタン大名大村純忠は大村家の守護神であった多羅山大権現摩利支天といった領内の神社仏閣を徹底的に破壊し、その跡地に十字架を立てて、建材をポルトガル商人に無料で引き渡したという。


同じく有馬晴信は、仏僧たちが加津佐の海岸の祠に隠した仏像を摘発し、運び出せる仏像を搬出した後、住民の前で残った仏像を取り出して、唾を吐きかけ冒涜した挙げ句、放火して焼き尽くし薪にしたという。高山右近についても同様の事件を起こしていたことが、ルイス・フロイスの報告書にあるという。


大友宗麟も寺院の破壊や僧侶・神官の虐殺など非道を尽くしたという記録があり、筑前の秋月氏はそれについて「 大友領国の老若男女がキリシタンとなって寺社を破壊し、『仏神』を川に流し、薪にし、寺社の所領は没収して他の人間に給与するなど…… 」と批判している。


これらによって反感を覚えた仏教側・神道側の人々も反撃を加えたため、キリシタンと他の日本社会との溝は広がってしまい、これを問題視した豊臣秀吉によりバテレン追放令が敷かれ、江戸幕府からは危険な上に統治の邪魔にもなると判断されたため、キリスト教は禁教、キリシタン大名も姿を消していく。


代表的な戦国武将(50音順)

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関連タグ

キリスト教 キリシタン 戦国武将

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