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pc-9800の編集履歴

2018-09-13 15:34:08 バージョン

pc-9800

ぴーしーきゅうせんはっぴゃく

pc-9800はかつてNECが発売したパソコン。ビジネス用、産業用、あるいはホビー用として長期間用いられ、日本においてはほぼ標準となっていた。

概要

NEC( 日本電気 )が昭和57年から平成15年まで製造販売していたパーソナルコンピューター( パソコン )のシリーズ。1990年代前半までのパソコン向けアダルトゲーム(「ギャルゲー」という呼称昭和61年に使われ始めたとされる )は大多数がPC-9801とそのシリーズ対応として発売されていた。


名称に関して

この「PC-9800」という名称は単一の形式名ではなく、初代PC-9801からPC-9821Ra43までのうち、PC-H98シリーズを除く、カタログの上部に記載されるメーカー公式のシリーズ総称であり、公式の付属部品にも用いられるた。タグとしては「PC-9801」やPC-98が多い( PC-9801のtags.phpPC-98のtags.php )。初代のPC-9801が発売されてから10年に及び国内パソコンのトップシェア( 最盛期には約90%まで達した )を占め、「国民機」の異名を取った。


構成

NECが昭和54年に発売した8bitPC、PC-8001、およびその上位互換で昭和56年発売のPC-8800シリーズと続いたソフトウェア互換は保持する一方で、ハードウェア互換はバッサリと切り捨てたこと( これは両者を開発していた部署が異なることも関係する )により、世界初のフルネィティブ16bitパソコンとして産声を上げた。なおCPUIntel8086を搭載。


画面表示

画面表示は640×400ラインという、日本独特の解像度を採用し、後々問題となる。同時発色数は当初8色だったが、後に拡張され、昭和60年には有名な( 悪名高いとも言う )16色表示を搭載したPC-9801VM・PC-9801VXでシリーズとしての完成形を見る。

  • 初代機と同時期に発売された「16bitパソコン」の多くが、従来機種とのハードウェア互換のため、外部8bitバスの8088を採用していた。
  • またアメリカでは16bitパソコンはモノクロ回帰していた。これは「オモチャ」である従来のパソコンに対して、ビジネスツールとしての側面を優先し処理能力を余計なことに割くべきではないという考え方からである
    • 驚くべきことにあのMacですら1984年発売の段階ではモノクロであり、カラー化は1987年のMacintosh IIを待たなければならない。なおMacのカラー化に最も反対したのはあのジョブズだったともいわれている。
  • 「カラー表示の出来る16bitパソコン」のタイトルは日本の三菱電機が初めて開発したパソコンであるMULTI16の最上位機種MP-1605のものとなったが、これは前述の「8088」CPUを搭載していた。
    • 続くPC-9800は規格として8色カラーを標準とした。NECの考え方は単純で、要するにライバルでもあったPC-8801にできたことが自分たちの作るPC-9801にできないのはおかしいという判断からである。そしてビジネス用途でもグラフ等はカラーの方が見やすい事もありビジネスユーザーからも大歓迎で迎えられ、アメリカ勢を一泡吹かせることとなった。

歴史

PC-9801(初代)

初代発売まで

PC-9801は企画時実は主力商品ではなかった。NECはPC-8001、PC-8801と続いた「パーソナルコンピュータ」からの脱却を目指し、次のステップを目指していた。これはスタンドアローンではなく、メインフレームACOSをサーバーとした、今日におけるイントラネットに近いものを構想していた。この為PC-8801の後継となる次期主力極小型コンピュータは形式号もかわりN5200シリーズを名乗ることになっており、開発もホビーユースを担当していた「電子デバイス事業グループ」から、1970年代以降のNECにおいて通信と双璧を成す花形である「情報処理事業グループ」の担当へと変更された。


一方、1973年(昭和48)にアメリカのゼロックスで開発された「ALTO」を目の当たりにしたアスキー西和彦の提唱による「日本独自のGUIコンピュータ」を目指し、京セラと共同で開発が進められることになった。PC-8001、PC-8801の担当だった「電子デバイス事業グループ」はこちらに動員された。こちらにはPC-8801から一足飛びに新世代・新時代のコンピュータ第1号であることを主張するPC-100の形式号が与えられた。


しかし、N5200シリーズは「絶対に失敗できないプロジェクト」であり、PC-100は「ギャンブル性の高いプロジェクト」であったため、「N5200シリーズの開発が長期化もしくは商業的に失敗、PC-100がバースト」という状態になるとNECは16bit時代にPC-8801シリーズで戦わなければならなくなってしまう。

日本においては「NECに非ずんばコンピュータに非ず」。NECがそんな無様なところを見せる訳にはいかなかった。


そのため、「N5200の開発長期化や商業的失敗、PC-100の失敗」という「最悪の事態の時の保険」として、「情報処理事業グループ」の余剰人員からプロジェクトチームを編成し、無難なPC-8801の発展形を開発することになった。つまり、期待されてはいなかったのである


なのでPC-9801はよく言われる「ビジネスマシン」「ホビーマシン」といった色は最初からついていなかったただただ「純粋・純朴なパーソナルコンピュータ」として、窓際で産声を挙げたのである。

この時この窓際の新生児こそがNECの命運そのものを左右し栄枯盛衰を決定づけることになるとは誰一人として思っていなかった


伝説へのテイクオフ(もしくは、やってはいけない企業戦略)

昭和57年、初代PC-9801が発売されると「いよいよNECから16bitパソコンが!」と、市場の注目は俄然、PC-9801に集まった。既に国内でもMulti-16が発売されていたが、やはり本命は世界市場でIBMと互角の戦いを演じて“敗戦国民”に溜飲を下げさせてくれた日本の巨人・NECのマシンである。


え、N5200は……?

実は前年に発売されていたのだが、オフィス用を意識しすぎて、採用されたマルチタスクOS、この当時にハードディスク前提の構成、庶民はカタログを見てため息ついてりゃいいんだよ! と言わんばかりの早すぎた商品構成に見向きもされなかったのである。肝心のオフィス用途でもまだこんなクソ高いシステムを欲するのは国鉄ぐらいで、PC-9801が発売されると企業の関心までそちらに移ってしまった。失敗してはいけないプロジェクトが失敗してしまったのである


PC-100は、98から1年遅れで発売されるも、事実上の「和製Lisa」と化しバースト


もう言うまでもないだろう、「『最悪の事態』になった」のである。

NECの頼みの綱はPC-9801になってしまったのだ。


苦難の3年間

しかし、NEC自身にとっては余録で生まれた商品だけに、最初から言われるような栄光の道だったわけではなかった。最初の3年は、“色を持ってない”PC-9801の方向性を確定させるための苦難の道だった。特に新世代の記憶媒体であるフロッピーディスクの取扱を巡って二転三転することになる。表示規格もPC-8801から受け継いだ8色カラーは当初から搭載していたが、フォントや発色数の取扱を巡って試行錯誤が続く。初代PC-9801からPC-9801U2までの機体は、そのための存在だったと言える。


「窓際族の商品」から「栄光の国民機」へ

最終的に方向性を決めたのはこのPC-9801U2だろう。3.5インチプロッピーディスクを搭載して¥298,000。高嶺の花で有ることに違いはないが、1セット50万円と言われるIBM PCやApple Macintoshに比べれば「文字通り8bit機を2台買うつもりで」なんとか手が出る価格だった。

キューハチの方向性は決まった。「最小クラスの汎用機だ一定の方向を向くつもりはない」である。


そしてこれがNECの商品構成そのものも決定づけた。NEC自身は、しばらくPC-8801mk.IIとのハイ・ロー・ミックス戦略を練っていたが、価格対性能比で圧倒的なパフォーマンスを誇るPC-9801U2は飛ぶように売れ、ホビーパソコンとかいうテレビゲーム機にキーボードを付けたようなまがい物共を根こそぎなぎ倒しIBMを筆頭とするアメリカ勢を事実上シャットアウト、メインフレームでの「宿敵と書いてともと呼ぶ関係」である富士通のFMRシリーズに早くも引導を渡し、日本市場に君臨する道を見事踏破したのである。


昭和60年7月、16色カラー搭載のPC-9801VMを発売。これが98の最初の完全形態となった。この後、Windowsが主流となる1990年代後半まで、多くのソフトが「PC-9801VM・PC-9801UV以降」という対応になった。


昭和63年7月までの主力機の展開

翌昭和61年にU2の後継であり、VMのピザボックス筐体・3.5インチFDD搭載型であるPC-9801UVを発売。

なんとUVにはFM音源が標準搭載され、それでいて価格はVMより安いともう完全にホビーパソコンの息の根を自社のPC-8801mk.IIもろとも止める商品だった。


PC-9800シリーズの基本モデルは素の状態では特別な回路を積んでいないことから、ゲームに必要な能力を持っていないことが「ビジネス機」とされる所以だが、そもそもそんなものは必要なかった有り余るCPUパワーでぶっ叩けばいいだけの話なのだ


昭和63年3月にあからさまにMacに喧嘩を売っている一体型のPC-9801CVを発売。


PC-98GS

Windows3.0の登場に伴い、いわゆるマルチメディアパソコンの可能性を追求するため、1991年に発売された一種の実験機。当時としては高性能を誇ったものの発売価格が本体だけで70万円と高額に過ぎ、商品としては完全に失敗に終わったが、後にPC-9821への道筋をつけた。

  • なお、同等以上の性能を誇った富士通FM_TOWNSはPC-9801のメインストリームと同価格帯であった。

PC-9821

PC-98GSの商品としての失敗の後、256色表示可能な手軽なマルチメディア機として、1992年に初代が発売された。通称「98MULTi」。初期の機種はCPUにi386SXを搭載、音源ステレオとなり、CD-ROMドライブを標準搭載していた。なおディスプレイ一体感のあるものが同梱されたが一体型ではない


マルチメディア時代の到来

同年、日本で発売されたCOMPAQ製の安価なPC/AT互換機がPC-9800シリーズのシェアを脅かし始めたことと、Windows3.1の登場によるパソコンの本格的なマルチメディア時代の到来が確実になったことから、i486シリーズ搭載前提の高性能機PC-9821Ap・PC-9821As・PC-9821Aeの「98MATE」が発売され、同時に「98FELLOW」ことPC-9801BA・PC-9801BXも発売されたものの、時流はすでに多少安いところでPC-9801の出る幕ではなく、FA機として少数がラインアップにとどまるのみとなり、PC-9821のラインアップが拡充されていった。


9821のシリーズ化

まずPC-9821のバリエーションとして追加されたのが、初代のコンパクト性を求める声に答えて、CPUをi486SXにパワーアップした「98MULTi」シリーズのPC-9821Ceである。その後「PC-9821Cシリーズ」として後半期まで展開していく。一方、メインストリームのフルサイズデスクトップ機では若干の迷走があった。フラグシップの通称「AーMATE」に加え、廉価機のPC-9821Bp・PC-9821Bs・PC-9821Beの通称「BーMATE」を追加するが、実際には廉価化のためPC-9801のマザーボードにGPUとステレオ音源のみを追加したため、他のPC-9821とフルネイティブの互換性がなく、混乱を招くことになった。そこで、Pentium・IntelDX4世代になって、PC-9821Xn・PC-9821Xp・PC-9821Xs・PC-9821Xeの通称「X-MATE」に全面的に切り替えられた。これらはPC-9821の規格を統一した一方、PC-9801の標準だったPC-9801-26Kサウンドボード互換のサウンド機能が省かれ、MS-DOS用ゲームの一部はサウンドボードを搭載しなければサウンドが再生されない状況となった。


VALUSTAR

一方、この頃MacのParformaに端を発する、実用ソフトをバンドルした「オールインワン」商品構成の時流にあわせ、「X-MATE」をベースにした、PC-9821Vxx(xはCPUクロックの上2ケタ、MMX後は3ケタ)の形式号を持つ「VALUSTAR」シリーズが登場する。1996年、Pentium IIの前身であるPentiumProの発表後、大手メーカーのほとんどがプロユース向けのフラグシップ機に搭載する中、実売¥298,000のPC-9821Ra20を発表し市場に最後のセンセーションを放った。以降、P6アーキテクチャ( PentiumPro~Pentium III、および同世代のCerelon )のPC-9821フラグシップは通称「RーMATE」となる。一方、タワー筐体の高級機PC-9821St15・PC-9821St20も登場し、こちらは「98PRO」となった。


PC-9801BX4

平成7年、PC-9801BX3の後継機として投入された、PC-9801としては最後の機体だが、実質のところ高解像度表示用のGPUを取り外しただけで、中身は完全にPC-9821そのものという機体であり、そのネタマシン振りに人気があるのか、ネット上のオークションなどではやたら高値で取引されている。


終焉

しかしながら、PC-9821Ra20のセンセーションがPC-9800シリーズ最後の輝きとなった。以降は各メーカーのPC/AT互換機、またはより安価なPCショップブランド機、あるいは自作機の台頭によりシェアは先細りとなっていく。平成9年にPC98-NX( ほぼPC/AT互換機に近いアーキテクチャを採用 )の発売に伴い実質的に役目を終えた。平成15年にNEC純正の機種としては完全に生産終了。その後互換機は産業用向けに各社にて販売されたが、それもRomwin社から98BASEシリーズが細々と発売され続けているのか、すでに販売終了となっているのかもわからない状況である。


その他

シリーズ

このシリーズはPCが有名であるが、付属品にも使用されており、純正拡張用の各種ボードやドライブ等にもこの名称が使用されている。


ビープ音

PC-9800シリーズの特徴が「ピポッ」という起動時のビープ音だが、16bit機では「ピーッポーッ」という間延びした音だったのに対して、PC-9801RA以降の386機からは「ピポッ」というスタッカートの利いた音になった。ただし、これ以降の機種でも「AーMATE」まで搭載されていたV30互換モードに変更すると16bit時代の音になった。また、Pentium( P5 )搭載機のCPUをAMDのK6に換装すると、さらに速い音になったりする。


余談

  • 1998年に「Windows95」の後継OS「Windows98」が登場、MicrosoftWindows98に対応可能なパソコンの性能を「PC98」規格として発表したため、世界的には「PC98」と言うとマイクロソフト版の意味になっている。
    • ややこしいことに、windows98しか動かないNECのPC-98NXシリーズも存在した。その後Windowsの後継OSが出たことや、Windows98の微妙さ( 特に初版はWin95からの変更がほとんどない、その後Win98seは改良されている。ただしその分変な機能を盛り込んで不安定な後継のWindowsMeよりはまし )から、現在では再び日本でPC98と言えば、かつてのPC-9800シリーズの事を指すようになる。尤もそれ以前から日本マニアはNECの方を「PC-98」、マイクロソフトの方を「PC98」として区別しているが。
  • 日本における標準機種となったため、各メーカーから互換機が発売されている。ただし、著作権等の関係や技術力の差などにより完全な動作を保証できず、NEC側も互換機対策として通称エプソンチェックというコピープロテクトを導入している。

関連タグ

パソコン NEC 日本電気

PC-9801 PC-9821

EPSON かつて9801シリーズの互換機マシンを販売していた。


参照

wikipedia:PC-9800シリーズおよびリンク先

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