概要
NEC( 日本電気 )が昭和57年から平成15年まで製造・販売していたパーソナルコンピューター( パソコン )のシリーズ。1990年代前半までのパソコン向けアダルトゲーム(「ギャルゲー」という呼称は昭和61年に使われ始めたとされる )は大多数がPC-9801とそのシリーズ対応として発売されていた。
名称に関して
この「PC-9800」という名称は単一の形式名ではなく、初代PC-9801からPC-9821Ra43までのうち、PC-H98シリーズを除く、カタログの上部に記載されるメーカー公式のシリーズ総称であり、公式の付属部品にも用いられるた。タグとしては「PC-9801」やPC-98が多い( PC-9801のtags.php、PC-98のtags.php )。初代のPC-9801が発売されてから10年に及び国内パソコンのトップシェア( 最盛期には約90%まで達した )を占め、「国民機」の異名を取った。
構成
NECが昭和54年に発売した8bitPC、PC-8001、およびその上位互換で昭和56年発売のPC-8800シリーズと続いたソフトウェア互換は保持する一方で、ハードウェア互換はバッサリと切り捨てたこと( これは両者を開発していた部署が異なることも関係する )により、世界初のフルネィティブ16bitパソコンとして産声を上げた。なおCPUにIntel8086を搭載。
画面表示
画面表示は640×400ラインという、日本独特の解像度を採用し、後々問題となる。同時発色数は当初8色だったが、後に拡張され、昭和60年には有名な( 悪名高いとも言う )16色表示を搭載したPC-9801VM・PC-9801VXでシリーズとしての完成形を見る。
- 初代機と同時期に発売された「16bitパソコン」の多くが、従来機種とのハードウェア互換のため、外部8bitバスの8088を採用していた。
- またアメリカでは16bitパソコンはモノクロ回帰していた。これは「オモチャ」である従来のパソコンに対して、ビジネス用ツールとしての側面を優先し処理能力を余計なことに割くべきではないという考え方からである
- 「カラー表示の出来る16bitパソコン」のタイトルは日本の三菱電機が初めて開発したパソコンであるMULTI16の最上位機種MP-1605のものとなったが、これは前述の「8088」CPUを搭載していた。
歴史
PC-9801(初代)
初代発売まで
PC-9801は企画時、実は主力商品ではなかった。NECはPC-8001、PC-8801と続いた「パーソナルコンピュータ」からの脱却を目指し、次のステップを目指していた。これはスタンドアローンではなく、メインフレームACOSをサーバーとした、今日におけるイントラネットに近いものを構想していた。この為PC-8801の後継となる次期主力極小型コンピュータは形式号もかわりN5200シリーズを名乗ることになっており、開発もホビーユースを担当していた「電子デバイス事業グループ」から、1970年代以降のNECにおいて通信と双璧を成す花形である「情報処理事業グループ」の担当へと変更された。
一方、1973年(昭和48)にアメリカのゼロックスで開発された「ALTO」を目の当たりにしたアスキーの西和彦の提唱による「日本独自のGUIコンピュータ」を目指し、京セラと共同で開発が進められることになった。PC-8001、PC-8801の担当だった「電子デバイス事業グループ」はこちらに動員された。こちらにはPC-8801から一足飛びに新世代・新時代のコンピュータ第1号であることを主張するPC-100の形式号が与えられた。
しかし、N5200シリーズは「絶対に失敗できないプロジェクト」であり、PC-100は「ギャンブル性の高いプロジェクト」であったため、「N5200シリーズの開発が長期化もしくは商業的に失敗、PC-100がバースト」という状態になるとNECは16bit時代にPC-8801シリーズで戦わなければならなくなってしまう。
日本においては「NECに非ずんばコンピュータに非ず」。NECがそんな無様なところを見せる訳にはいかなかった。
そのため、「N5200の開発長期化や商業的失敗、PC-100の失敗」という「最悪の事態の時の保険」として、「情報処理事業グループ」の余剰人員からプロジェクトチームを編成し、無難なPC-8801の発展形を開発することになった。つまり、期待されてはいなかったのである。
なのでPC-9801はよく言われる「ビジネスマシン」「ホビーマシン」といった色は最初からついていなかった。ただただ「純粋・純朴なパーソナルコンピュータ」として、窓際で産声を挙げたのである。
この時この窓際の新生児こそがNECの命運そのものを左右し、栄枯盛衰を決定づけることになるとは、誰一人として思っていなかった。
伝説へのテイクオフ ~もしくは、やってはいけない企業戦略
昭和57年、初代PC-9801が発売されると「いよいよNECから16bitパソコンが!」と、市場の注目は俄然、PC-9801に集まった。既に国内でもMulti-16が発売されていたが、やはり本命は世界市場でIBMと互角の戦いを演じて“敗戦国民”に溜飲を下げさせてくれた日本の巨人・NECのマシンである。
え、N5200は……?
実は前年に発売されていたのだが、オフィス用を意識しすぎて、採用されたマルチタスクOS、この当時にハードディスク前提の構成、庶民はカタログを見てため息ついてりゃいいんだよ! と言わんばかりの早すぎた商品構成に見向きもされなかったのである。肝心のオフィス用途でも、まだこんなクソ高いシステムを欲するのは国鉄ぐらいで、PC-9801が発売されると企業の関心までそちらに移ってしまった。失敗してはいけないプロジェクトが失敗してしまったのである。
PC-100は、98から1年遅れで発売されるも、事実上の「和製Lisa」と化しバースト。
もう言うまでもないだろう、「『最悪の事態』になった」のである。
PC-9801はNECの「頼みの綱」になってしまったのだ。
「窓際族プロジェクト」から「栄光の国民機」へ
しかし、NEC自身にとっては余録で生まれた商品だけに、最初から言われるような栄光の道だったわけではなかった。最初の3年は、“色を持ってない”PC-9801の方向性を確定させるための苦難の道だった。特に新世代の記憶媒体であるフロッピーディスクの取扱を巡って二転三転することになる。表示規格もPC-8801から受け継いだ8色カラーは当初から搭載していたが、フォントや発色数の取扱を巡って試行錯誤が続く。初代PC-9801からPC-9801U2までの機体は、そのための存在だったと言える。
最終的に方向性を決めたのはこのPC-9801U2だろう。3.5インチプロッピーディスクを搭載して¥298,000。高嶺の花で有ることに違いはないが、1セット50万円と言われるIBM PCやApple Macintoshに比べれば「文字通り8bit機を2台買うつもりで」なんとか手が出る価格だった。
キューハチの方向性は決まった。「最小クラスの汎用機だ、一定の方向を向くつもりはない」である。
そしてこれがNECの商品構成そのものも決定づけた。NEC自身は、しばらくPC-8801mk.IIとのハイ・ロー・ミックスとする戦略を練っていたが、価格対性能比で圧倒的なパフォーマンスを誇るPC-9801U2は飛ぶように売れた。PC-8801に引退勧告を突きつけ、ホビーパソコンとかいうテレビゲーム機にキーボードを付けたようなまがい物共を根こそぎなぎ倒し、IBMを筆頭とするアメリカ勢を事実上シャットアウト、メインフレームでの「宿敵と書いてともと呼ぶ関係」である富士通のFMRシリーズに早くも引導を渡し、日本市場に君臨する道を見事踏破したのである。
特にホビーパソコンジェノサイドはこれを見ていたアメリカ資本家たちにまで危機感を与えた。
「大した性能もないのに規格を濫立させてグダグダやってるホームコンピュータに投資してる場合じゃない! このままでは鉄道、自動車に続いてパソコンまで日本にやられてしまう! 戦争に勝ったのはオレたちのはずなのに!!」
これにより日本のホビーパソコンに当たるアメリカのホームコンピュータ市場は一気に縮小、選択と集中の理論に基づき、NECと正面切って戦えるIBMとその互換機、Appleに資本は投じられることになった。
昭和60年7月、16色カラー搭載のPC-9801VMを発売。これが98の最初の完全形態となった。この後、Windowsが主流となる1990年代後半まで、多くのソフトが「PC-9801VM・PC-9801UV以降」という対応になった。
昭和63年7月までの主力機の展開
翌昭和61年にU2の後継であり、VMのピザボックス筐体・3.5インチFDD搭載型であるPC-9801UVを発売。
なんとUVにはFM音源が標準搭載され、それでいて価格はVMより安いともう完全にホビーパソコンの息の根を自社のPC-8801mk.IIもろとも止める商品だった。
PC-9800シリーズの基本モデルは素の状態では特別な回路を積んでいないことから、ゲームに必要な能力を持っていないことが「ビジネス機」とされる所以だが、そもそもそんなものは必要なかった。有り余るCPUパワーと広大なメモリ空間でぶっ叩けばいいだけの話なのだ。
昭和63年3月にあからさまにMacに喧嘩を売っている一体型のPC-9801CVを発売。
「PC-98」形式号の登場
ハイレゾ機
昭和60年、見るも無残なN5200シリーズの代替として、1170×750ラインの高解像度(High Resolution、略してハイレゾ)表示が可能な「N5200よりは安価で、バカ売れしているPC-9800と互換性を持つ」商品が求められた。
これにより投入されたのがPC-98XAである。01はどーした。
このXAは更に細かい仕様ごとに割り当てられる形式もそれまでの1ケタ乃至2ケタの番号から、N5200流の「model.XX」という記述になった。
ただ、「N5200よりは安い」が、「UVが2台買える」お値段であり、個人ユースでわざわざこれを買うのは余程の物好きに限られた。
昭和62年、32bit CPU、Intel 80386の情報が日本でも流れるようになった。IBMが搭載してくるのは間違いないし、Macが採用しているMotorola MC68020は既に98にも搭載されている80286と同世代だが、先に32bit化していた。NECの、いや日本のメンツにかけて、32bitで出遅れる訳にはいかない。
10月にPC-98XL2(実際にはXLの2乗と書いて「XL ダブル」と読む)を発売。80386搭載のメジャーパソコン一番乗りを果たしてファンを喜ばせたが、精神的に喜ばせただけだった。手が届く代物じゃない、もうしばらくは16bitで我慢……と、誰しもが思っていた。
J-3100ショック
さて国内メーカーもここまでNECに市場を牛耳られてただ手をこまねいていたわけではない。「宿敵(とも)」富士通がなにかゴソゴソやり始めているがとりあえずそっちの商品化はまだ先の話。
昭和61年、東芝がJ-3100シリーズを発表。中身はIBMの互換機に過ぎなかったが、重要なのは外見。それまで「パソコンは据え置きで使うもの」という固定概念をぶち破り、折りたたみ式可搬型、いわゆるラップトップコンピュータだったのである。
98によるホビーパソコンジェノサイド以来の世界的なセンセーションとなり、以降当時の西側各国で開発が始まる。
もちろんNECも負けてはいられない。東芝は10月発売予定。ならばNECのメンツにかけても年内発売するのだ。
しかし比較的コンパクトなUX/UV、CVでも大きめの百科事典程度のサイズに収めるのは無理がある。新しい統合型チップの開発が必要だが、それには間に合いそうもない。
そこで、とりあえず間に合う分だけ詰め込んでJ-3100の翌月に発売したのがPC-98LTである。「間に合う分だけ」なので、互換性に一部問題が残ったが、とりあえずNECの面目は保たれた。
以降、下2ケタ抜きの「PC-98」形式号は、採算よりも市場実験的、裏メニュー的な機体に割り当てられるようになった。
「PC-H98」の登場 ~落日のN5200シリーズ
ハイレゾ機については、平成元年PC-98RLの後、表示回路だけではなく新たなCPUバス「NESA」を採用したPC-H98シリーズとなり、PC-9800シリーズとは商品展開上は区分された。
一方のN5200シリーズ、もう需要さえPOS端末程度で、それすらデータ管理のため98と互換してくれと言われる始末。そしてH98の登場以降、H98の形式号をN5200に塗り直して専用OSをバンドルしたような状態で商品にされた。PC-100? 知らない子ですね。
ラップトップ主力機の発売
間に合わせのPC-98LTから早くも年が変わって昭和63年3月には、早くもデスクトップ主力機完全互換のPC-9801LV/LSを発売。えっLT買った人はどうすりゃいいのって? 知るか文句は東芝に言えよ(マジでこの調子。なるほど任天堂には勝てなかったわけだ)。
しかし、東芝はまだなにかやっている。
昭和63年7月からPC-9821登場までのデスクトップ主力機
王者の称号「R」
「R」といえば、シビック? スカイライン? そんなスピード狂たちが反応しそうな称号だが、PC-9800でも玉座の機種に与えられる称号である。
昭和63年7月。それはもたらされた
新商品の形式はPC-9801RA。CPUは、80386DX。
一部のハイエンド機のための高嶺の花……と思われていた32bitCPUを、その上位とは言え普及型機種のラインに搭載してきたのである。それもXL2に搭載されていた外部16bitのバッタモンではなく、フル32bitの386DXである。
……が流石に普及機ラインとは言え、お値段は張った。U2の時と同様、RX(286)の1.5倍程度の値段に落としたとは言え、個人が買うにはまだ高い。
だが、それでも買えるかもしれないところに落としてきた功績は高い。まさに「R」に相応しい商品である。
更に翌年、買えるかもしれないを無理すれば買えるに変えるため、RAとRXの間に386SXを搭載してもう2万ほど削ったPC-9801RSを発売。
実際、OSの方は相変わらず16bitのMS-DOSだったのだが、286に存在したメモリアドレッシングの問題が一部改良され、アッパーメモリ空間が追加されたことがパフォーマンス向上に役立った。
ここで気づかれた方も多いだろう。そう、「R」は後々再び98の「玉座に座る者」の称号になる。
FM音源の標準化
しかし、早くも問題が生じてくる。廉価機だったCVやUX/UV、また98NOTEにも既にFM音源が標準搭載されているにもかかわらず、肝心のフラッグシップ機には搭載されていないという問題である。このため平成2年には早くも衣替え、PC-9801DA/DS/DXが発売される。
同時に、これまで「主力機は5インチFDD、小型・ホビー向けモデルは3.5インチFDD」としていた構成をやめて、Dシリーズ内に3.5インチFDD搭載モデルと5インチFDD搭載モデルを用意するようになった。この結果、当時のワープロ専用機に普及していたことに加え、98用ゲームソフトの供給の主体が3.5インチフロッピーディスクになっていたこともあって、3.5インチFDが一気に主流になる。
しかしこのDシリーズは、センセーショナルな初代RシリーズとFシリーズの間に挟まれてあまりいい印象が残っていない、簡単に言うとPC-9800の停滞の象徴みたいな機種になってしまった。
実際、Dシリーズは後々CS・USが発売されたことで「デカさ≒値段」となってしまい、さらにEPSON互換機が単なる隙間需要狙いから98のメインストリームに正面切って喧嘩を売ってくるようになった事もあって、お世辞にも大成功した商品とは言いがたかった。
「何故か」迷走する小型廉価機
平成3年に入って、さすがに既に生産を打ち切ったUX/UVの後継機を出さないわけには行かなくなってきた。
そこで、2月に98NOTE用のものからバッテリー管理周りを取っ払ったマザーボードを使ったPC-9801UR/UFを発売する。
が、ここに問題があった。PC-9800のソフト、特にゲームはFDD2基搭載を前提に開発されているため、FDD1基前提の98NOTE用基盤を使ったことで互換性に支障が発生してしまった。しかも、こうした廉価機が必要とされるホビー用途でこれでは売れない……
「単にUX/UVのマイナーチェンジ機を発売すりゃよかっただけなのに、なんでそこで迷走するんだよ!?」
ストレートでアザーカーもいないのに自ら路肩に突っ込んだURはとても魅力的な価格であったにもかかわらず鳴かず飛ばずに終わった。
10月にはCVの後継機として、また小規模オフィス向けを狙って一体型のPC-9801CSを発売する。流石にAppleから訴えられるじゃねぇかって不a(げふんげふん モニタを10インチから13インチに拡大するために、ウェストのくびれたデザインに変更。そのかわりPC-9801世代では珍しい“アローデザイン”非採用モデルとなった。そして今度はこのデザインを逆にAppleにパクらr(げんふげふん
そして、このCSにはHDD内蔵・Windows3.0プリインストールモデルが用意された。
ここから明示されるとおり、この「C」もまたPC-9821へと受け継がれる形式号になる。
迫りくる影
この頃、アメリカでパソコンの普及台数が一気に増えているという情報が日本にも伝わってきた。かつてのホームコンピュータ(ホビーパソコン)ではない、IBM PC/ATやMacintosh、そしてその互換機が、である。
平成4年1月、その状況に対応して、NECもH98シリーズにしか搭載してこなかったi486SXを搭載し、前面オプションスロットを装備したPC-9801FAを発売し、その時に備える。
だが、アメリカ勢は確実に日本再上陸の準備を整えつつあり、「黙っていても一強」でいられる時代は終わりを告げようとしていた。
最早こんなところでグダグダしている暇はない。URをさっさとカタログ落ちにしなければ防戦準備もままならない。
もう深く考える必要はないだろう、CSの基盤をUR/UFのケースにブチ込めばいいんだよ、ということで7月、PC-9801USを発売する。結局、なんだったんだ……
PC-98GS
Windows3.0の登場に伴い、いわゆるマルチメディアパソコンの可能性を追求するため、1991年に発売された一種の実験機。当時としては高性能を誇ったものの発売価格が本体だけで70万円と高額に過ぎ、商品としては完全に失敗に終わったが、後にPC-9821への道筋をつけた。
初代PC-9821
PC-98GSの商品としての失敗の後、256色表示可能な手軽なマルチメディア機として、1992年に初代が発売された。通称「98MULTi」。初期の機種はCPUにi386SXを搭載、音源もステレオとなり、CD-ROMドライブを標準搭載していた。なおディスプレイは一体感のあるものが同梱されたが一体型ではない。
マルチメディア時代の到来
同年、日本で発売されたCOMPAQ製の安価なPC/AT互換機がPC-9800シリーズのシェアを脅かし始めたことと、Windows3.1の登場によるパソコンの本格的なマルチメディア時代の到来が確実になったことから、i486シリーズ搭載前提の高性能機PC-9821Ap・PC-9821As・PC-9821Aeの「98MATE」が発売され、同時に「98FELLOW」ことPC-9801BA・PC-9801BXも発売されたものの、時流はすでに多少安いところでPC-9801の出る幕ではなく、FA機として少数がラインアップにとどまるのみとなり、PC-9821のラインアップが拡充されていった。
はっきり言ってしまおう、本当にPC-9800の真価が発揮されたのはここからである。今までは、NEC自身もしょーもないこともやっても、マトモな相手はEPSONぐらいで、それ以外はさらに輪をかけて勝手に自爆してくれる相手ばかりだった。
しかしここからはそうはいかない、相手もまた文字通り背水の陣で挑んでくる。PC-9800の方も全力で挑まねば負けがありうる相手である。
そして、元々の特別な色を持たず素性が良いPC-9800だったからこそ、ここからの“本土決戦”に善戦して見せることになるのだ。
9821のシリーズ化
まずPC-9821のバリエーションとして追加されたのが、初代のコンパクト性を求める声に答えて、CPUをi486SXにパワーアップした「98MULTi」シリーズのPC-9821Ceである。その後「PC-9821Cシリーズ」として後半期まで展開していく。一方、メインストリームのフルサイズデスクトップ機では若干の迷走があった。フラグシップの通称「AーMATE」に加え、廉価機のPC-9821Bp・PC-9821Bs・PC-9821Beの通称「BーMATE」を追加するが、実際には廉価化のためPC-9801のマザーボードにGPUとステレオ音源のみを追加したため、他のPC-9821とフルネイティブの互換性がなく、混乱を招くことになった。そこで、Pentium・IntelDX4世代になって、PC-9821Xn・PC-9821Xp・PC-9821Xs・PC-9821Xeの通称「X-MATE」に全面的に切り替えられた。これらはPC-9821の規格を統一した一方、PC-9801の標準だったPC-9801-26Kサウンドボード互換のサウンド機能が省かれ、MS-DOS用ゲームの一部はサウンドボードを搭載しなければサウンドが再生されない状況となった。
VALUSTAR
一方、この頃MacのParformaに端を発する、実用ソフトをバンドルした「オールインワン」商品構成の時流にあわせ、「X-MATE」をベースにした、PC-9821Vxx(xはCPUクロックの上2ケタ、MMX後は3ケタ)の形式号を持つ「VALUSTAR」シリーズが登場する。1996年、Pentium IIの前身であるPentiumProの発表後、大手メーカーのほとんどがプロユース向けのフラグシップ機に搭載する中、実売¥298,000のPC-9821Ra20を発表し市場に最後のセンセーションを放った。以降、P6アーキテクチャ( PentiumPro~Pentium III、および同世代のCerelon )のPC-9821フラグシップは通称「RーMATE」となる。一方、タワー筐体の高級機PC-9821St15・PC-9821St20も登場し、こちらは「98PRO」となった。
PC-9801BX4
平成7年、PC-9801BX3の後継機として投入された、PC-9801としては最後の機体だが、実質のところ高解像度表示用のGPUを取り外しただけで、中身は完全にPC-9821そのものという機体であり、そのネタマシン振りに人気があるのか、ネット上のオークションなどではやたら高値で取引されている。
終焉
しかしながら、PC-9821Ra20のセンセーションがPC-9800シリーズ最後の輝きとなった。以降は各メーカーのPC/AT互換機、またはより安価なPCショップブランド機、あるいは自作機の台頭によりシェアは先細りとなっていく。平成9年にPC98-NX( ほぼPC/AT互換機に近いアーキテクチャを採用 )の発売に伴い実質的に役目を終えた。平成15年にNEC純正の機種としては完全に生産終了。その後互換機は産業用向けに各社にて販売されたが、それもRomwin社から98BASEシリーズが細々と発売され続けているのか、すでに販売終了となっているのかもわからない状況である。
その他
シリーズ
このシリーズはPCが有名であるが、付属品にも使用されており、純正の拡張用の各種ボードやドライブ等にもこの名称が使用されている。
ビープ音
PC-9800シリーズの特徴が「ピポッ」という起動時のビープ音だが、16bit機では「ピーッポーッ」という間延びした音だったのに対して、PC-9801RA以降の386機からは「ピポッ」というスタッカートの利いた音になった。ただし、これ以降の機種でも「AーMATE」まで搭載されていたV30互換モードに変更すると16bit時代の音になった。また、Pentium( P5 )搭載機のCPUをAMDのK6に換装すると、さらに速い音になったりする。
余談
- 1998年に「Windows95」の後継OS「Windows98」が登場、MicrosoftはWindows98に対応可能なパソコンの性能を「PC98」規格として発表したため、世界的には「PC98」と言うとマイクロソフト版の意味になっている。
- 日本における標準機種となったため、各メーカーから互換機が発売されている。ただし、著作権等の関係や技術力の差などにより完全な動作を保証できず、NEC側も互換機対策として通称エプソンチェックというコピープロテクトを導入している。
関連タグ
EPSON かつて9801シリーズの互換機マシンを販売していた。
参照
wikipedia:PC-9800シリーズおよびリンク先