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奥田瑛二の編集履歴

2018-12-02 20:29:53 バージョン

奥田瑛二

おくだえいじ

奥田瑛二は日本の俳優、映画監督、画家。旧芸名、奥田英二(読み同一)。

概要

1950年3月18日生まれ、愛知県東春日井郡高蔵寺町(現、春日井市)出身。

本名、安藤 豊明(あんどう とよあき)


小学校5年生のときに見た大友柳太朗の『丹下左膳』を観て衝撃を受け、役者を志す。

大学進学を前に上京し役者を目指す旨を春日井市議会議員であった父に打ち明けるも反対されるが、「政治の勉強をするため」と説得して了解、上京し、明治学院大学法学部入学と同時に父の伝で丹羽兵助代議士の秘書となり、住みこみの書生生活を送る。

しかし自身の本分の是非に悩み出奔。大学も中退する。その後なんとか高校の先輩でもある俳優の天知茂に師事し、約2年ほど付き人を務めたが、将来に不安を感じ夜逃げ同然に飛び出してしまう。

その後モデルで食いつなぎながら1976年に『円盤戦争バンキッド』の主人公・天馬昇 / バンキッドペガサス役でデビュー。

しかし役に恵まれず不遇時代を過ごし、ホームレスのような生活を送る。

その時知り合った後の妻・安藤和津の家に転がり込み1年も経たずに結婚。

1979年、日活映画『もっとしなやかに、もっとしたたかに』で実力を認められる。

1984年にNHK総合テレビの時代劇『宮本武蔵』の又八役を演じて以降、TVドラマへの出演により人気が上昇。

1986年には『海と毒薬』(ベルリン映画祭銀熊賞)で初の主役。同時に熊井啓監督と出会い、以後数多くの作品に出演。

42歳のときに「監督やるぞ!」と思い立ち、一度は挫折したものの基礎から映画製作を学び、48歳にして助監督を経験。50歳を迎えた2001年に『少女〜AN ADOLESCENT』で念願の監督デビュー。

3作目となる『長い散歩』は、緒形拳を主役に配し、モントリオール世界映画祭で、日本映画として1982年の佐藤純弥監督作『未完の対局』以来2作目となるグランプリを受賞。さらに国際批評家連盟賞とエキュメニック賞も同時受賞し、計3冠を獲得するという快挙を成し遂げた。


家族

妻はエッセイストの安藤和津、長女は映画監督の安藤桃子(旧名・安藤モモ子)、二女は女優の安藤サクラ

因みに安藤和津は犬養毅元首相の孫で犬養健元法相の娘。

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