概要
フルネームはジャック・ルーズベルト“ジャッキー”・ロビンソン(Jack Roosevelt "Jackie" Robinson)。
アメリカ合衆国メジャーリーグのプロ野球選手で、ポジションは二塁手・一塁手。所属チームはブルックリン・ドジャース(現:ロサンゼルス・ドジャース)。
1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立され、黒人差別が酷かった当時のMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューして活躍し、有色人種のメジャーリーグ参加の道を切り開いた。
一般には「黒人初のメジャーリーガー」と言われるが、これは厳密に言うと、MLBが上述の有色人種排除の体制を整えた1900年以降の「近代メジャーリーグ」を対象とした言い方で、アフリカ系アメリカ人で初のメジャーリーガーは、1884年のモーゼス・フリート・ウォーカーであり、ジャッキーは彼以来63年ぶりのメジャーデビューを果たした。
デビューシーズンでは一塁手として、打率.297・12本塁打・48打点・29盗塁という成績を残してチームの優勝にも貢献し、同年から制定された新人王を受賞した。
1962年には、1939年のルー・ゲーリッグ以来となる有資格初年度で、野球殿堂入りを果たし、1972年には彼の背番号『42』は、ロイ・キャンパネラの『39』、サンディー・コーファックスの『32』の背番号と共に、ドジャースの永久欠番に制定され、1997年にはMLB全球団の永久欠番となった。
2013年には、彼を題材とした伝記映画『42〜世界を変えた男〜』が公開され、野球映画史上最高のオープニング記録を打ち立てている。
彼が選ばれた理由
彼が選ばれたのは、彼が最高のニグロリーグ(黒人リーグ)選手であったからではなかった。
当時のニグロリーグには、伝説的な逸話に彩られた大投手サチェル・ペイジ、「黒いルース」と言われ一説には1000本に迫る本塁打を記録したジョシュ・ギブソンなど実績抜群の選手がおり、彼らから見ればロビンソンは超新星であったものの黒人選手の第一人者とは言い難かった。
しかし、ペイジは39歳という年齢、ギブソンは酒浸りを問題視されて見送られることになる。
対するロビンソンは年齢もまだ若く、陸軍で幹部候補生として勤務していたことから品行を信頼できると判断されて契約を勝ち取った。
というのも、当時野球は紳士のスポーツであるとされ、それが黒人を排除する理由を正当化していたため、最初の黒人選手は実力と年齢だけではなく品行に問題がない人物であることが求められたからだった。
ロビンソンが白人から受けていた悪評は「差別に敏感」ということだけだったという。
面談の際、リッキーは「やり返さない勇気をもつのだ」と説き、次いでロビンソンの頬を殴ったが意図を理解したロビンソンは「頬はもうひとつあります。ご存知ですか?」と穏やかに答え、信頼を勝ち取った。
彼の紳士ぶりはマイナー入りした時も変わらず、観客が撒き散らしていた罵声を歓声に変え、「黒人は人間ではない」と公言していた監督が最終的に握手を求め「君は素晴らしい選手であり、紳士だ」と認めたほどだった。
以降の活躍は先述のとおりで、彼の終始一貫した「やり返さない勇気」は野球界の常識を変え、有色人種抜きでは考えられない現在のメジャーリーグの礎を築くことに貢献した。
メジャーリーグをすべての人々に門戸を開いたスポーツリーグに生まれ変わらせたロビンソンの背番号「42」は、メジャーリーグ全球団にとって偉大な番号となり、1997年に全球団共通の永久欠番に指定され、2004年には、MLBは4月15日を『ジャッキー・ロビンソン・デー』と制定し、2007年のロビンソン・デーでは、ケン・グリフィー・ジュニアのコミッショナーへの提案によって、希望する選手全員が背番号『42』の付いたユニフォームを着用して試合に出場し、以降も継続している。