概要
現代で言えば大臣や副知事などに相当する将軍大名の補佐官だが、職務は現代と大幅に異なる。
江戸幕府
原則として当初2万5000石、後に5万石以上の譜代大名から専任された(実際には例外がかなりあった)。
同時に4,5人が置かれ、月替りで交代する。
役職分担は元来なく、老中職務全般を当番の老中が担当した。
ただし吉宗時代以降は勝手掛老中(老中首座)と呼ばれる農政財政担当が置かれ、リーダーとなった。
また重大事案などで閣僚会議のように老中会議が行われるケースもあった。
老中になると何かとメリットがあるため、諸大名の就任活動は盛んに行われた。
諸藩
家老のことを老中と呼称する藩が存在した。
なので実質的には家老である。