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リトアニア共和国の編集履歴

2019-07-13 09:24:53 バージョン

リトアニア共和国

りとあにあきょうわこく

リトアニア共和国とは、かつてソ連を構成していたバルト三国の一つである。

概要

バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一国に数えられ、北にラトビア、南にポーランド、東にベラルーシ、南西にロシア(飛び地)に面している。首都はヴィリニュス。


正式名称はリトアニア語でLietuvos-Respublika。通称Lietuva

英語表記は、 Republic of Lithuania通称Lithuania。日本語では「リトアニア共和国」で、通称「リトアニア」。漢字表記は立陶宛。


ソ連構成時代の国名は「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」。


リトアニア国旗の赤・黄・緑の三色は「汎アフリカ色」と呼ばれアフリカ諸国の国旗に良く似たデザインが見受けられるが、当然リトアニア国旗とは無関係で偶然の一致である。ただ、国の形も結構アフリカ大陸に似ている。


歴史

12世紀半ばから、異教徒の国としてキリスト教化を望むドイツ騎士団(プロイセン)を初めとする北方十字軍との抗争を続け、一時征服されたが、ミンダウカスのもと統一し、リトアニア大公国を成立させた。東欧に勢力を伸ばし、一時は欧州最大の大国になった。


14世紀末、ポーランド王国へ接近し、ローマ・カトリックに改宗して連合を組んだ。15世紀からポーランド「共和国(Rzeczpospolita-Obojga-Narodów)」の一地方となったが、この共和国はその勢力の最盛期を迎え、当時のヨーロッパ最強の国家となった。徐々に解体され、ロシア帝国の一部にされた。

第一次世界大戦後に共和国として独立するも、ナチスドイツに併合され、第二次世界大戦後の冷戦期はソ連に併合された。


80年代末に東欧革命が広まり、1990年にソ連からの独立を宣言。バルト三国の中で最初の民主化と独立となった。翌年にはバルト三国はそろって国際連合に加盟した。

ロシアとは宥和を掲げながら西欧への接近を進め、2001年WTOに加盟、2004年にはNATOEUに加盟した。

2008年にナチスの「ハーケンクロイツ(卐)」、ソ連の「鎌と槌()」や「赤い星(★)」を公の場で掲げる事を禁止する法律を制定。

2009年にリトアニア初の女性大統領が就いている。


国柄

首都ビリニュスの近郊に「旧ソ連」を体験できる参加型テーマパークSoviet Adventure Park 1984」があり、入場者はKGBに扮した俳優からのリアルな尋問や拷問を体験できる。テーマパークと呼べるのかどうか微妙な施設である。


EUの中で平均余命は最も低く、治安も良くない。またなぜか自殺率がソ連独立後に急上昇し、一時は世界で最も自殺率の高い国の一つとなり、EUの中で殺人発生率が最も高いという不名誉な記録がある。現在ではベラルーシの自殺率がリトアニアを上回っている。


pixivのタグとしては、Axis Powers ヘタリア(APH)の擬人化キャラクターにつけられることが圧倒的に多い。(詳しくはトーリス・ロリナイティスを参照。)


関連タグ

Lithuania 連合王国 杉原千畝 ハンニバル・レクター バルト三国 バスケットボール

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