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エーリヒ・ハルトマンの編集履歴

2019-08-28 17:56:19 バージョン

エーリヒ・ハルトマン

えーりひはるとまん

第二次世界大戦時に戦闘機パイロットとして活躍し、352機撃墜は史上最多。最終階級はドイツ連邦軍空軍少将。

概要

第二次世界大戦時にルフトヴァッフェで戦闘機パイロットとして活躍。

1942年10月、東部戦線の第52戦闘航空団(JG52)へ配属され、敗戦までこの部隊に所属し、ソ連軍を相手に戦った。

1943年3月にヴァルター・クルピンスキー中尉の2番機となって急激にスコアを伸ばした。

射撃は得意な方であったが上官たちから一撃離脱に徹する事、確実に命中する距離まで近づいて射撃する事を叩き込まれ、実行した。(敵機に近寄り過ぎ、相手の機の爆発で自機を損傷した事もある)

JG52に供与された戦闘機はメッサーシュミットBf109Gで、ハルトマンが機首に黒いチューリップを描いた所、ソ連空軍パイロットたちが「黒い悪魔」と呼んで避けたためスコアが伸びなくなり、消すことになった。

「僚機を失った者は戦術的に負けている」を信条とし、唯一撃墜された僚機のパイロットも不時着して無事だった。(其のパイロットは戦闘機パイロット充足の為に爆撃機から鞍替えとなったパイロットであり、戦闘機の機敏な動きに慣れていなかった)

最終的に、史上最多の352機撃墜を記録する。(被撃墜16回)


敗戦時、ドイツに戻ってイギリス軍に降伏するよう命令されたが、命令を拒絶し、部下・隊員家族・避難民たちを連れてアメリカ軍に降伏した。戦勝国間の取り決めによりソ連に引き渡され、10年にわたる過酷な抑留生活を送る。

1955年、西ドイツ首相アデナウアーがソ連を初訪問したのをきっかけに釈放され、西ドイツに帰国。ドイツ連邦空軍に入隊しパイロットになった。

1967年には大佐に昇進したが、ロッキードF-104導入に反対して空軍上層部の不興を買い、1970年に退役。退役時に少将に昇進した。


その後は故郷ヴュルテンベルク州に戻り、アメリカ連邦航空局のヴュルテンブルク地区代表を務めた。

1990年10月3日、東西ドイツ統一。

1993年9月20日、狭心症により死去。享年71歳。


余談

  • 1944年9月10日、ウルスラ・ペーチュと結婚し、前線にいる間に男子が生まれたが、ソ連に抑留されている間に死んでしまい一度も会うことはなかった。帰国後、女子が生まれている。
  • F-104に関しては、経験の無いパイロット達がこの機を乗りこなすのは難しく、F-100などで技術を習得してから移行すべきという考えだった。西ドイツ空軍に導入されたF-104は多くの事故を引き起こした。→「F-104」の記事へ。
  • JG52時代の上官ゲルハルト・バルクホルンが自動車事故で死んだため、晩年は自動車の運転を控えた。
  • 童顔だったため、仲間からは「ブービー(坊や)」と呼ばれていた。
  • イケメンとして知られ、休暇に街に繰り出せば女性たちから黄色い声が上がったが、婚約者ウルスラがいたため手を出さなかった。戦友たちはハルトマンについて行ったことでおいしい思いをし、中にはそのままゴールインした者もいたとか。
  • フランス語とロシア語はペラペラ、英語もある程度話すことが出来た。
  • アドルフ・ガーランドを長としMe262を擁するエース部隊第44戦闘航空団にも誘われたが、所属者が高位のエースばかりからなるこの部隊では肩身が狭い思いをすると断っている。後にソ連軍の捕虜となった折、この事を後悔したという。

関連タグ

ルフトヴァッフェ リアルチート

エーリカ・ハルトマン(「ストライクウィッチーズ」で彼がイメージモデルとなったキャラクター。ちなみに妹のウルスラ・ハルトマンは彼の妻「ウルスラ・ペーチュ」(後に「ウルスラ・ハルトマン」に)がイメージモデル。)

テンカワ・アキト(劇場版『機動戦艦ナデシコ』でアキトが登場した機体名は、彼のあだ名に由来する)

ブレイズ(「エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー」

上官であり、所属飛行隊隊長のバートレット大尉から付けられたアダ名が「ブービー」。(ただし、この「ブービー」の意味は「どん尻、ビリ」。また、バートレット大尉の昔のアダ名も「ブービー」)また、「(ラーズグリーズの)悪魔」という異名を持ち、パッケージ機体のカラーが黒色など共通点が多い)

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