概要
ザ・ドリフターズ(以下ドリフ)の一員で、バンドマン時代のドリフではドラムを担当していた。
後にバンド活動をしなくなっていき、民謡や軍歌等を替え歌にしコミックソングとして歌うようになると、主にリードボーカルを務めるようになる。
ドラムの腕前は『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』等のコントで、ドラムや和太鼓、ティンバレス等の打楽器を叩く際に、稀に垣間見る事が出来る。
ドリフ映画ではアイドル的なポジションにあったが、結婚するようになったのは年を重ねてからである。
持ちギャグは主に「ィエ゛ーックシュン」といった「くしゃみ」、
「ウエ゛ーー」といった「吐き芸」が良く知られている。
更に「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ」という台詞もギャグの1つであった。
また、コント内で度々登場する「ハゲヅラ眼鏡のおやじ」もトレードマークとなっている。
ドリフメンバーとして
実は荒井注がドリフを脱退する際、本当は加藤も一緒に脱退するつもり(荒井と話を付けていた)だったが、荒井の方が先に発表してしまった為に脱退の時機を逃してしまった。もし、加藤もドリフを脱退していたらその後のドリフは我々が知るドリフとは全く別のものになっていたかもしれないし、カトケンコンビもなかったかもしれない。
また、本来世代に隔たりのある志村けんの後見人の様な存在でもあった。
志村は他のメンバーより10歳以上年下の為あまりプライベートな付き合いはなかったと言われ、唯一加藤がその例外だった。
その後加藤はTV番組ではひたすら志村を褒めており、自ら「志村けんの大ファンだ」と豪語するほどだった。
一方でドリフターズの闇の部分を惜しげもなく語るのも加藤である。有名な不仲説の多くは加藤が発信している部分も多く、特にリーダーのいかりやとは方向性の違いから衝突していた。
しかしいかりや自身は裏で志村と加藤の存在感をありがたがっており、恨み辛みを吐いていた加藤自身も、いかりや死去前最後の仕事では積極的にいかりやと会話をしていた。お互い愛憎が入り混じった、一口には言えない感情があったと思われる。
死後、いかりやへの悪口を冗談で言いつつも「長兵衛さん(長介)が居たから今の自分がある」「死ぬと今までの悪い思い出がみんな消えて、良い思い出ばかりが浮かんできてしまう」と語り、葬儀では最後の最後でひっそりと涙を見せている。
現在はバラエティー番組に出演する傍ら仲本工事や高木ブーらと「こぶ茶バンド」を結成し各地を回る等、音楽活動も行っている。
プライベートなど
結婚
ドリフ全盛期当時は、結婚の有無が人間のステータスに大きく関わる時代だった。
そのため、30代半ばを過ぎても結婚の話がまるで出なかったことをしばしばネタにされていた。しかし1987年にようやく初めて結婚した。しかしいかりやの逝去前に熟年離婚を嫁に言い渡されてしまう(体調不良のいかりやに余計な心配はかけまいと、しばらく隠していた)。
それからしばらくはTV出演の際に元妻へ「よりを戻してください」と切実な訴えをしており、大病を患った際は元妻が看病にきてくれるほどだった。が、2011年に娘とほぼ同年齢の若い女性と再婚した。
あまりにも世代の合わない結婚だったことに加え、私生活では若妻が自身の交友関係者を自宅に呼んで、しばしばパーティに興じる姿を撮影した写真が出回るなどしていたため、「遺産目当てではないか」という声が多く飛び交った。
加藤の顔色にも疲労の色が見えたため、若妻は批判の的となったが、実際は若妻側の方が資産家で、むしろ加藤の借金を嫁の実家に肩代わりしてもらったエピソードが発覚。
それ以外にも年々健康に不調をきたす加藤を献身的に支える姿などが明らかとなったが、これは世間から白い目で見られる状況に加藤が心を痛めたためだという。
こういった私生活を表向きに行く姿勢から、徐々にこの年の差婚に対する世間の見方が変わりつつある。
健康面・不祥事
若い頃は車関係でしばしば事件・事故を引き起こしており、1970年の事故は正面衝突で重傷を負う程だった。そのためファンなどから「スピード狂」というありがたくない肩書きを授かっている。
先の事故を含めて加藤は何度も死にかけている。2006年に大動脈解離、さらに2016年頃には飲んでいた薬が身体に合わずパーキンソン症候群を発症。それを知らずに「鶴瓶の家族に乾杯」の収録に参加し、受け答えにも苦労していたが、この不調の原因を調べるため即日病院で診察したことで原因がわかったという。
このように生死の境を何度も彷徨っているが、なんだかんだで毎回復活している。先のパーキンソン症候群の際は「認知症か?」というネットの憶測もあったが、現在ではトーク番組に復帰し、ネット配信のトーク番組でも饒舌な姿を取り戻している。
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