概要
中国や日本の伝承に登場する妖狐の一種。長い時を生きて霊力を得てさらなる変質を遂げた存在。
中国
『玄中記』によると狐が千歳を生きて天に通じることでなる存在である。同書では千歳の狐は淫婦、百歳の狐は美女になる、とされ魔性の存在としての位置づけである。
『五雑俎』では千歳で天に通じた狐は人を化かすことはなくなるものの、それまでは美女などに変化して人間から精気を取って栄養源としている。
日本
13世紀ころの仏教文献『実帰抄』、『白宝抄』では
天狐・地狐・人形という三つのシンボルを用いたまじないの術が紹介されている。「天狐」は鳥の鳶が描かれた紙で狐としての性質は希薄であるが、
他の三つと共に、仏教における三つの主要な煩悩「三毒」の象徴とされ、災いや障礙神をあらわすものとされる。
江戸時代になると天狐は妖狐のうちの最上位の存在とみなされるようになった。江戸時代中期の儒学者・皆川淇園が書いた『有斐斎箚記』では高位なほうから天狐・空狐・気狐・野狐というランク付けになっている。
さらにこの書を引用した江戸時代末期の随筆『善庵随筆』や『北窓瑣談』では殆ど神のような存在で有って、気狐や野狐のように悪さはしないと記されている。
『日本書紀』で舒明天皇の治世9年(637年)に確認された大流星のことを「天狗」と記しており、この語は「あまつきつね」と読む。このことから『善庵随筆』は天狗とは天狐である、とする説を収録している。
2000年代末ごろからインターネット上において尻尾は四本であるという説が流布しているが一次出典は不明。
妖狐の各ランクを語る文脈において、位を高めて一旦、尾の数が九尾になるが、そこから先に更に進み、やがて空狐となる段階で尾の数はゼロになる、という書き方がされることも多い。
ウィキペディア日本語版の天狐の項目にもこの「四尾」説が記された(2007年10月3日 (水) 06:42 の版)が後に「個人の霊能による独断と思われる見解をまとめたサイト」からの引用として削除されている。
一つ前の版では「尾の数は9本」とされていたが、現状ではその記述もない。例えば『封神演義(封神演义)』に登場する千年狐狸精は千年を生きた狐の妖怪で妲己という美女に化けて紂王をたぶらかしており、『玄中記』での天狐の定義にあてはまると言えるが、原作には尻尾の数についての言及はない。
天狐の尻尾の数については個体によっては「高位の狐」つながりで尾が多いと考えることもできる、というに留めるのが無難だろう。
ゲゲゲの鬼太郎では
70年代を除くすべての年代に登場。妖狐族の長で、作中のヒエラルキーは空狐よりも上。デザインは人の顔のように見える顔を持つ衣を着た狐のような姿。また、猫目も特徴的である。
鬼太郎と直接戦闘をしたのは80年代版のみで、その他の作品では過激派である空狐を戒める役である事が殆ど。80年代の劇場版第三弾にも盆踊りに参加していた事から人間との共存を望んでいる事が伺える。
ただし、厳密には2000年代版に登場したのは第2夜OPでシルエットとして登場したのみ。恐らく打ち切りが決まるまでは登場が予定されていたのだろう。(姿は80年代版寄り。)
実写版では小雪が演じるがデザインがどの年代の天狐とも異なり、透明な複数の尾を持つ美しき女神のような印象を受ける。力も他の天狐の例に漏れず強大で命令を聞かず暴走した空狐をただの子狐の姿に退化させてしまった事からも偉大さが伺える。性格は穏やかで人間と妖怪の共存を望んでおり、人間に住処を追われてもまた新天地を探せば良いと考えているなど柔軟な思考も併せ持つ。なお、天狐曰く妖狐族は油揚げが好物とのこと。(60年代アニメや実写版で見られた。)
どの年代も共通して人間に住処を脅かされているという設定。
Pixivにて
Pixivにおいては、狐の神獣や妖怪のキャラクターを描いたイラストに多く付けられるタグで、漫画やアニメなどに登場するキャラクターにも付けられる。
例)