概要
名字に使われる「籏野」の「籏」が人名地名用の特殊漢字であるため、一部の作品では「旗野」名義(籏の「竹かんむり」が無い)でクレジットされている事がある。
略歴
1959年、東映に入社し企画部にて経験を積む。
1961年に子会社の東映動画へ企画担当として出向。まんが映画(劇場用アニメ)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』を担当し、1962年に公開へと至らしめる。
1963年、月岡貞夫から企画案を持ち込まれて相談に乗り『狼少年ケン』を手掛け、以降、東映動画の送り出す「テレビまんが」(テレビアニメ)に多く関わり、その確立と発展に力を尽くした。
1984年に土曜7時枠で『とんがり帽子のメモル』を手掛ける。この作品は同年の10月より日曜朝8:30に枠移動となり、のちのニチアサキッズタイム枠の原点となった。(同時間枠には『メモル』の後番組である『はーいステップジュン』の中盤まで関わる)
1986年、土曜7時枠に帰参し『聖闘士星矢』を手掛ける。当初はスポンサーとの軋轢からアニメオリジナルの珍設定も飛び出させて原作ファンの怒りを買うなど苦慮を重ねるが、やがて人気を安定させる。しかし、同作は1989年に原作に追いついてしまった事とスタッフの疲弊が顕在化した事を理由として自主的な撤退をスポンサー側に進言し、これを実現させた。
以降、籏野は断続的に同枠に関わり1990年に下記の日曜朝枠と掛け持ちで『もーれつア太郎』を、翌1991年に『きんぎょ注意報!』を手掛ける。この時にアシスタントプロデューサーとして籏野の旗下に加わり『きんぎょ注意報!』後半にて籏野より枠を譲られて独立したのが、のちに『美少女戦士セーラームーン』のプロデューサーとなった東伊里弥である。
1990年、日曜朝8:30に枠に帰参し『まじかる☆タルるートくん』を担当。この時に自身の直下として女性アシスタントプロデューサー関弘美を引き受け、彼女の直接指導者となる。以降、同時間枠において彼女を教授し鍛え、1993年の『GS美神』で関を自らの後任として推挙しメインプロデューサーとして独り立ちさせた。最終的に関は籏野が意図してプロデューサーにする事を目的として鍛え上げて明確な形で送り出した最期の人材(いわば籏野門下の最後の弟子)となった。
1993年10月、関の成長を見届けた後、土曜19:30枠にて『SLAM DUNK』を担当するも、その最中に口腔癌(激務の最中にストレスを紛らわすために吸っていたタバコが原因とされる)に倒れ、1995年に帰らぬ人となった。後任のプロデューサは1974年の劇場版『マジンガーZ対暗黒大将軍』の監督を務めてより籏野と付き合いが深く『SLAM DUNK』においても初代SD(籏野逝去時のSD)であった西沢信孝がスライド出世する事で、その衣鉢を継いだ。
享年58歳。定年に至らぬままに迎えてしまった、壮烈なる現役死であり、その急逝に伴う早世は、多くの関係者から惜しまれた。
なお東映動画が東映アニメーションとなるのは、籏野逝去後となる1998年の事である。
異名
東映動画黎明期よりのプロデューサーである事から、複数の異名を持つ。
おもな担当作品
テレビアニメ
※注記の無い作品は劇場版も担当している。
- 狼少年ケン
- キングコング(TVアニメ版。パイロット版では企画に並び原作者名義も持つ)
- ハッスルパンチ
- サイボーグ009(第1作)
- キックの鬼
- さるとびエッちゃん
- 少年徳川家康
- デビルマン
- ドロロンえん魔くん
- ミクロイドS
- 闇の帝王 吸血鬼ドラキュラ(原作:マーベルコミックス「ドラキュラの墓」)
- ピンク・レディー物語 栄光の天使たち(飯島敬からの引継ぎ)
- ベムベムハンターこてんぐテン丸
- とんがり帽子のメモル
- カリメロ(アニメ1作目)
- パタリロ!
- はーいステップジュン(前半25話まで。勝田稔男に引継ぎ)
- 聖闘士星矢
- もーれつア太郎(第2作)
- きんぎょ注意報!
- まじかる☆タルるートくん
- スーパービックリマン
- GS美神(前半26話まで。関弘美に引継ぎ。劇場版担当は関)
- SLAM DUNK(前半まで。西沢信孝が引継ぎ。遺作)
- 世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国(清水慎治が引継ぎ。死去後放映。遺作)
映画
※上述したテレビアニメの劇場版は除く。
- アラビアンナイト シンドバッドの冒険
- ガリバーの宇宙旅行
- ひょっこりひょうたん島(劇場版のみ)
- 一休さん(劇場版のみ)
- 空飛ぶゆうれい船
- アリババと40匹の盗賊
- マジンガーZ対暗黒大将軍(劇場版のみ)
- 世界名作童話 白鳥の王子
- これがUFOだ! 空飛ぶ円盤
OVA
- 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー スクランブルシティ発動編
余談
黎明期のプロデューサー
籏野は東映動画において、その黎明を支えた、存在感の大きなプロデューサーであったが、日本のテレビアニメの黎明期を題材(東映動画をモデル)にした連続テレビ小説『なつぞら』には、籏野に相当する人物は登場しない。
これは同作が演者確保や物語の関係で「複数の人物をモデルにして一人の人物に仕立てる」(あるいは「3~6人のモデルとなった実在の人物に対して、その必要な要素をバラバラにして組みなおし、1~3人のキャラクターに仕立てる」)手法を用いていたためである。
その論でいえば『なつぞら』において、籏野の立場にいた人物は猿渡竜男(演:新名基浩。メインモデルは月岡貞夫)と荒井康助(演:橋本さとし。メインモデルは三沢徹夫)にあたる。
イナズマン
実は『イナズマン』の産みの親のひとりとして知られる。
もともと籏野は上述の通り『サイボーグ009』第1作のプロデューサーだったのだが、作者の同じ『仮面ライダー』の登場と子ども人気に「乗るしかない! このビッグウェーブに!」と感じ、アニメ屋としても東映(実写)に対抗したくなり、のちに『イナズマン』に繋がる企画『ミュータントZ』を立てて石ノ森章太郎の元へ持っていったのだという。
しかし、東映動画にとってみれば、いわば「上層部」である東映が主導の一端を握る「変身ブーム」にガチで組み付く事は(当然と言えば当然だが)東映動画上層部からは「天に唾を吐く行為」と見なされて理解を得る事ができず、結局、企画は頓挫。肝心の企画書は石ノ森の元に留め置かれる事となった。
しかし、皮肉な事に籏野が石ノ森の元に残した『ミュータントZ』の企画書は、よりにもよって同じく石ノ森の元に出入りしていた平山亨の目にとまり、平山は「この企画書の作品を作りたい」と石ノ森に打診。結果『ミュータントZ』の企画は石ノ森と平山によって『イナズマン』へとリファインされて日の目を見たのであった。