日本の天皇に相伝される朝廷守護の宝剣、王権の象徴（レガリア）。
概要
一般的には坂上宝剣の呼称で知られているが、正しい銘文は「坂家宝剣」である。坂家は大納言・坂上田村麻呂を指す。
文献によっては田村将軍の剣、敦実親王の剣、坂上田村鎮国剣（鎮国剣）などとも記されている。
現在は所在不明ではあるものの『公衡公記（昭訓門院御産愚記）』「乾元二年（1303年）五月九日付、裏書」に同御剣の説明及び絵図が残されている。
刀身は「鯰尾の剣」で、片面に「上上上 不得他家是以爲誓謹思」、もう片面に「坂家宝剣守君是以爲名」と金象嵌で銘文が刻まれていた。
拵えは「鮫柄・銀の鐔・平鞘・白銀の責・石付、黒地に胡人狩猟図を金に蒔く」ものであった。
逸話
坂上田村麻呂から皇室へ
奈良時代末期から平安時代初期にかけて征夷大将軍として活躍した坂上田村麻呂の遺品の刀剣の中から、嵯峨天皇自ら一振りを選んで御剣とし、御府（内裏）に納めたという。
別説として、大陸より伝わり宮中にあった御剣を下賜された田村麻呂が、自ら御剣に銘を入れて天皇（朝廷）を守る護身剣としていたものを、田村麻呂の子孫が皇室へ献上したとも。
石突が戻ってきた
ある時、醍醐天皇が野行幸の護身剣として坂上宝剣を持ち出した。ふと御剣を見ると石突（鞘端の金具）を紛失していたため、「皇室伝来の御剣であるのに」と嘆かれた。
すると幸いにも、行幸に同行する狩りの御犬が石突をくわえて持って来たため、高名な御剣が元に戻ったことに大変喜ばれたという。
雷が鳴ると鞘走る
この御剣は雷が鳴ると自然に脱ぐ（鞘走る）という霊威を示したという。
坂上宝剣は皇位継承のしるしと考えられていたため、醍醐天皇の同母弟で左大臣・藤原時平の娘婿であった式部卿・敦実親王は、皇位継承を望み自ら肌身離さず御剣を持っていた。
時代背景を補足すると、この頃の平安京では清涼殿落雷事件があり、菅原道真の怨霊騒動があった。
再び皇室へ
詳細は不明だが坂家宝剣は敦実親王から藤原北家の元へと伝わっていたものの、御剣の霊威の評判を知った白河院が藤原師実から召しあげたため皇室へと戻った。
師実の孫であり養子の藤原忠実が若い頃に不審に思って抜いてみせたところ、金象嵌で「坂上宝剣」と銘あったという。
現代では『古事談』「坂上宝剣事」などの説話から坂上宝剣の呼称が広く定着したものと思われる。
壺切御剣との関係
坂家宝剣と壺切御剣は皇位継承に影響を与えたという点で類似性が指摘されている。
久仁親王（のちの後深草天皇）の立太子に際して承久の乱で所在を失っていた壺切御剣（二代目）のかわりに壺切御剣（三代目）が新鋳された。しかし、恒仁親王（のちの亀山天皇）の立太子に際して勝光明院の宝蔵から二代目の壺切御剣が見付かったため、後深草の三代目の壺切御剣は廃されている。
後述のように、坂家宝剣も壺切御剣と同じく後嵯峨法王から後深草を越えて亀山へと伝えられた事で、その後の皇位継承に影響を与えた。
南北朝時代の引き金
鎌倉時代、後嵯峨法王は院政をしながら後深草天皇を上皇とし、その弟の亀山天皇を即位させた。後深草には熙仁親王（のちの伏見天皇）がいたが、亀山の世仁親王（のちの後宇多天皇）を2歳でありながら皇太子とした。後嵯峨は亀山を寵愛し、亀山の系統に皇位が受け継がれることを強く望んでいたという。
決定的となったのは後嵯峨が亡くなる直前に、朝廷守護の宝剣として坂上田村麻呂から伝来した「田村麻呂将軍の御佩刀」を内裏に奉り、後嵯峨の意向により亀山へと伝えられたことである。母である大宮院（西園寺きつ子）も御剣の継承に関与していた事を知った後深草は「女院のうらめしき御事」と悲しみ、太上天皇の尊号を返上して仏門へ入る決心をした。また、一連の出来事を知った執権・北条時宗は後深草に深く同情したという。
この出来事が持明院統と大覚寺統の両統迭立へと繋がり、二所朝廷となる南北朝時代へと移り変わる最初の出来事とされる。
賜剣の儀
亀山天皇へと伝えられた坂家宝剣はその後、亀山の妃・西園寺瑛子（昭訓門院）が恒明親王を産んだ際に新造の御剣が出来上がらなかったため、亀山から田村麿将軍剣を赤地錦袋に納めて進められ、賜剣の儀で皇子の御枕頭に置かれて役を果たした。
