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引田天功の編集履歴

2020-05-16 16:45:00 バージョン

引田天功

ひきたてんこう

日本のイリュージョニスト。

概要

日本のイリュージョニスト。別名プリンセス・テンコー

1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名で歌手デビュー、最初は歌うマジシャンとして活動開始。

初代引田天功の没後に1980年12月15日に引田天功の名を襲名した。襲名の契約上、「ステージ上では喋らない」というスタイルに変化した。脱出マジックなどが有名。

当初は初代同様に「極限の脱出マジック」の路線を踏襲したものの、TVでバラエティー番組からオファーが掛かるたびに苛烈になるマジックに精神的な限界を感じ始める。

そこから平成に入って、自身の本来やりたかった「華のあるマジック」の路線への変更を決し、個人事務所を立ち上げて現在の路線で一世を風靡する。


特撮では電子戦隊デンジマン宇宙刑事ギャバン超人機メタルダーに本人役で出演している(「デンジマン」では「朝風まり」名義)。


海外では「二代目引田天功」という契約とは別に「アメリカ出身/プリンセス・テンコー」という別人設定の契約を持っていて、徐々に後者の活動が増えていった(アメリカでは出身地を偽っている人も結構多いし)。

アメリカでは人気が高く、テンコー人形が販売されたり、なんと「Tenko and the Guardians of the Magic」の題名でアニメ化されたりしている。

その関係で数多くの契約条項が設定されており、「プリンセス・テンコー」として活動中はその「無茶振りの塊」を子供の夢を壊さないよう最大限に遵守している。


北朝鮮金正日総書記も熱烈なファンだったとされ、訪朝の期間中は幾度となく朝鮮への移籍と「喜び組」への参加を熱心に勧められたという。



初代・引田天功

日本のマジシャン(イリュージョニスト)本名は引田 功(ひきた いさお)。男性。

1934年7月3日生まれ、1979年12月31日没。

水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックを得意とし、「日本の脱出王」の異名を取った(この時代にはまだ「イリュージョン」という呼び方は一般的ではなかった)。

弟子に二代目天功の他、引田天洋、ナポレオンズなどがいる。

声優の引田有美は初妻の子、1980年代のアイドルグループ少女隊のトモこと引田智子は次妻の子。



関連タグ

手品師 マジシャン

ギンガイザー

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