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神皇正統記の編集履歴

2020-06-24 16:52:12 バージョン

神皇正統記

じんのうしょうとうき

南北朝時代に記された歴史書。同時代の『梅松論』が北朝視点なのに対し、こちらは南朝の視点から記された。

初めの一節

大日本(おおやまと)は神国(かみのくに)なり。天祖(あまつみおや)始めて基(もとい)を開き、日神(ひのかみ)長く統(とう)を伝へ給(たま)ふ。わが国のみこの事あり、異朝にその類なし。この故に神国といふなり


翻訳

大日本は神国である。天祖国常立尊がはじめてこの国の基をひらき、日神すなわち天照大神がながくその統を伝えて君臨している。我が国だけにこのことがあって、他国にはこのような例はない。それゆえにわが国を神国というのである。


概要

後醍醐天皇による政治の失敗と光明天皇を奉じる北朝との戦いで敗れた南朝の退勢を立て直すため、転戦していた北畠親房は東国にてこの書物を記し、新帝後村上天皇に献上した。神代から後醍醐天皇の崩御、後村上天皇の即位までの歴代天皇の即位・改元・享年など皇位継承を記すことによって、南朝の正当性(とりわけ皇室と公家を中心とした朝廷政治を理想とする)を主張した書物となっている。


天竺(インド)や唐土(中国)と比較して(※1)日本の皇統が万世一系で続いていることなど、天皇の超越的性格を三種の神器と合わせて説き、神国思想を強く打ち出したことにより、後世に大きな影響を与えた(水戸学皇国史観など)。


(※1)一方でこれらの国が生んだ聖人(釈迦、孔子など)に対しては、自身も仏教に帰依して儒学に精通していた親房個人は尊敬している箇所も存在する。


関連タグ

後醍醐天皇:後醍醐帝による朝廷政治復活、能力による人材登用に対しては称えているものの、 新政策については批判している。

足利尊氏:後醍醐天皇から一字を拝領したのを無視して「高氏」と表記するなど敵視。他にも「徳のない盗人」など散々に批判し、尊氏=逆賊とする姿勢を徹底しており、それも後世に影響を与えた。

北畠顕家:彼が奥州に赴任した時の喜び、若くして先立ったことへの悲哀を簡潔な中に込めて記している。

続神皇正統記梅松論:いずれも北朝視点から記された史書。


南北朝時代 北畠親房 歴史書 日本神話 仏教 神道 儒教

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