明石家さんま等と並んで日本のお笑い界、バラエティの司会を牽引してきた人物であり
多才であり、司会者としての才能はかなりのものである。
例えばTBS『オールスター感謝祭』で200人のタレントを捌く腕は他の追随を許さなかった。
かつては松本竜助とコンビを組んで漫才をしていた時期もある。
クイズヘキサゴンや行列の出来る法律相談所などはおそらく伸助の影響で
徐々に番組の方向性が変わっていった、所謂「伸助カラー」を強く受けたといえる。
また、クイズヘキサゴンからは音楽を沢山リリースすることにもなっており
この時の作詞は伸助担当(名義はカシアス島田)であり詩のセンスもあるのかも知れない。
ヘキサゴンファミリー=伸助ファミリーと言う評価をされる事も多い。
しかしながら2011年8月23日に突如会見を開き
黒いお友達との関係が存在したことを告白し、突如芸能界からの引退を告げ引退した。
このことは多数の芸能人からのコメントが寄せられ
橋下徹前大阪府知事や当時の内閣官房長官である枝野幸男からもコメントがあったとされる。
テレビ界でも影響力の強い島田紳助の引退はクイズヘキサゴンなどゴールデンタイムの番組の終焉にも繋がった。